ステルス戦闘機スーパーストリングズ
「通信状況のテスト。こちらスーパーストリングズ一号機。ハヌル・コ、聞こえるか」
ハヌルはステルス戦闘機スーパーストリングズが飛び立ってからいてもたってもいられなかった。浮遊感のようなものを感じるのだが、マッハスピードで飛行している実感はなかった。視界は青い空と白い雲が見えるのみで、今自分がどこにいるのか判断できない。
「返事をしてくれ、ハヌル」
「返事をするもなにも、どうすれば声を届けられるのかわからないのよ」
ハヌルが駄目元で口走ると、機嫌のいい返事が聞こえてきた。
「君のマイクのスイッチは入れておいた。そのまま声を出してくれれば俺の耳に届くよ」
「先に言ってよ」
「通信状況のテスト。こちらスーパーストリングズ二号機、一号機、聞こえるか」
「一号機、感度良好。そっちは」
「二号機、同じく」
パイロットが別のステルス機と通信し始めてしまったため、ハヌルは感情の捌け口も失った。このまま何だかわからないままに
「ハヌルちゃん、聞こますか」
アンサが無線で通信してきた。
「聞こえるよ。この服なんなの、すごく着心地が悪い」
「それを脱いだらもっと気分が悪くなるよ」
「こんな狭いところに押しこめられたら脱げないよ」
「なら、安心だね」
何が安心なのだろうか。
「それに、ヴィナさんのバックアップが何なのかもちゃんと説明されてないんだけど」
アンサがわざとらしく笑う声が聞こえてきた。
「それはね、人工衛星よ」
ハヌルは聞いたことがある言葉だと思った。だが、何だったか思い出せない。
「宇宙にカメラを飛ばして、それでリアルタイムでアリトシの軍隊の戦力配置を教えてもらうの」
ハヌルはどういうことだかわかり、驚愕の声を上げた。人工衛星のことはモダニズム時代の文献で読んだことがある。
「宇宙に打ち上げたのね」
写真や文章でしか知らなかったことが現実になっているのだ。この時代、真上から状況を見ることができる技術を持っているのは自分達だけだ。うまくいけば、アリトシの攻撃を受けることなく、帰れるかもしれない。
「納得したでしょ」
「すごい。格好いい。アンサちゃんすごいね」
「すごいのはこの技術を蘇らせたイスラム勢力特別担当班だよ」
「こちら一号機。ユルシュル、ハヌル。イスラム勢力特別担当班からの暗号無線を受け取るから少しお喋りをやめてくれ」
アンサは了解と言ってそれきり話さなくなった。ハヌルは返事をするまでもなく黙った。アンサのコードネームがユルシュルであることをハヌルは思い出していた。
「こちらイスラム勢力特別担当班。長いので以降はメッカと名乗る。人工衛星からの動画映像でそちらの位置を確認した。現在アリトシの軍用船舶都市からおよそ二〇キロメートルの距離だ。まだ気付かれていない。中央突破しろ」
ハヌルは見えないはずのステルス機がどうして見えるのか不思議に思った。
「雲の流れよ」
アンサが小声で話しかける。
「雲の流れがどうしたの」
ハヌルも小さい声で返事する。
「ステルス機の起こす風は凄まじいから、上空からなら雲の流れ方でステルス機がどこを通ったかわかるの」
「ユルシュル、本の虫のお嬢さんをからかうなよ。雲の流れなんかでステルス機の居場所がわかるわけないだろ」
二号機のパイロットだったと思う声が言った。
「嘘なのね」
ハヌルは怒った口調で言った。
「私が知るわけないでしょ」
アンサはハヌルが本当は怒っていないことに気付いている。
「何よ、それ」
「本当のところは秘密だ」
二号機のパイロットも会話に加わる。
「そんなこと言って、ボブも知らないんでしょ」
「あったりー」
そんな会話を繰り返していると、一号機パイロットから叱責が飛んできて、三人はその後しばらく大人しくした。
*
イスラム勢力特別担当班の人工衛星管制室では、ヴィナが仕事中の管制員の様子を見学していた。導師イムラーンが同行している。
「いいか、よく見とけ。ここにいる連中が俺達の作戦の要だ。今回が初の実戦だ。アリトシと全面対決する前にいい機会ができてよかった」
導師イムラーンは長い脚をゆっくりぶらつかせて管制員の後ろを歩き回る。ヴィナは管制員が見ている映像や、管制員達の落ち着いた動作に見入っていた。管制員のデスクは二〇を超える。三列に分かれて横長に並べられており、席は全部埋まっている。
「すみません、ちょっと通ります」
黒人とアラブ人の混血だと思われる男が前屈みになってヴィナの横を通り過ぎ、慌てて管制室を出て行った。
「導師、あの人はいいのですか」
ヴィナは導師イムラーンに訊く。
「イスカンダルか。あいつは小心者でな。頭は切れるが、ここぞと言う時にプレッシャーに弱い。だが、人手が必要な仕事だからな、一人くらいは見逃している」
導師イムラーンは一人という言葉を強調した。確かに、管制員が全員あの様ではよくないだろう。
「導師は管制に携わることはないのですか」
「通常時、俺が管制席に座ることはない。だが、一人欠けた時やどうにも立ち回らなくなった時は、俺も座る」
イスカンダルが戻ってきた。出て行った時より顔色がいい気がした。
「大丈夫ですか」
ヴィナは気遣って声をかけた。イスカンダルは照れ笑いをしながらか細い声で言った。
「そんな丁寧に話しかけないでくださいよ。あなたは僕の上司なんですから。僕は大丈夫です」
「そう。よかった」
ヴィナは笑顔を返して映像に目を戻した。
どうにかしてハヌルを
ヴィナは東南アジアでアンサの反戦団体が
クルドは無茶だと言ったが、方法はそれしかなかった。人工衛星の性能を試してみたいという気持ちもあり、ヴィナは作戦実行を懇願した。アンサの許可が下りると、クルドも折れた。
アンサの反戦団体は大北京の田舎のゲリラ兵士で構成されているが、アンサが戦争歌姫として活動していた頃から一緒に仕事をしていた
イスカンダルが席についたところで、一斉に管制員達が何事か言い始めた。
「気付かれた、まずいぞ」
管制員の誰かが悲鳴に近い声でアナウンスする。ヴィナはわからないながらも映像に目を凝らして状況を把握しようとした。
縮尺がどのくらいなのかわからないが、三つの豆粒大の点に矢印が引っ張られ、スーパーストリングズという文字が書かれている。アリトシの軍用船舶都市はそれより少し見やすい大きさの四角で、今そこから煙が上がったのが見えた。三号機の点が赤色になり、左に大きく逸れる。
「こちら
三号機の行方を追っていた管制員が早口で何度もマイクに向かって繰り返す。一分くらい経ってから三号機が返事した。
「こちら三号機。発砲されたが弾は当たらなかった」
「こちら二号機。一号機の護衛に回る。いいか」
「こちらユルシュル。攻撃許可をお願いします」
ざわつく室内でヴィナはただ立ち尽くしているのみだった。手伝おうにも何をしていいかわからない。屈辱だ。
*
その頃ハヌルは絶体絶命の気分を味わっていた。一号機のパイロットはハヌルを気遣ってか、敵襲に遭うまでできる限り揺れない操縦を心掛けていたのだと今になって思う。急降下したり旋回したり機体を傾けたりと、かつてのアンサの戦争歌姫ライブステージのアクロバット飛行顔負けの操縦で、ハヌルは安全服の中で吐き気を催していた。
「パイロットさん、やめて」
「悪い、ハヌル。今それは無理だ」
「でも、私もう限界かも」
「その服の中で吐いたら大惨事だぞ」
ハヌルは吐くのだけは我慢しようと決意した。
視界に海や炎が見えたから今は戦闘中なのだということがハヌルにもわかった。一瞬で突っ切ることができればよかったのだが、先に気付いていた軍用船舶都市の軍人が待ち構えていた。大きく軌道を逸らされた一行は、太平洋沖に一度出て、そこからアジア大陸の核汚染地域すれすれの空を通って
耳元のスピーカー越しにアンサの歓声が聞こえてきた。アンサの乗っているらしい二号機が一号機の前方を飛び、軍用船舶都市に牽制弾を放っている。国民会議の時、アンサは人を不幸にする戦争をするべきではないと言っていたが、それが嘘だったかのように戦闘を楽しんでいる。
「アンサちゃん……ユルシュルちゃん、そんなに撃って大丈夫なの」
ハヌルは、作戦中はコードネームで呼ぶべきだったかと思い、声を振り絞って言い直した。
「アンサでいいよ。殺してないから今のはアリだよ」
確かに、アンサの弾は軍用船舶都市のすぐ横を通って海に着弾している。都合のいい解釈だと思ったが、それで自分の命が助かっているのだからよしとすることにした。
「ハヌル、危険地帯を抜けたぞ。見ろ」
ハヌルが返事をしようと口を開けた時、機体が逆さになった。
「何するんですか」
ハヌルは腹立ち紛れに言ったが、目の前に茶色い大地が見えて、パイロットへの恨みが一気に吹き飛んだ。ところどころ緑に覆われていて木が密集して生えていることがわかる。核汚染地域の砂漠がずっと向こうまで広がっていて、少し目を動かすとエベレストの頂上が見えた。
「あれが上海。朝鮮半島も見える」
パイロットが言う。
「どこですか」
ハヌルは朝鮮半島を探した。自分の先祖のルーツを一目見たいと思った。
「左の方にある」
ハヌルが左に目を向けると、また機体が少し傾いた。カーブしているようだった。機首を西から北へ向けようとしているのだとわかった。
「怖いので逆さで飛ぶのやめてください」
ハヌルが言うとパイロットは冗談を言いながら機体を元に戻した。
間もなく、二号機、三号機からの通信が入った。全機無事に危険地帯を通り抜けたらしい。その後、大北京と
*
ヴィナは全機無事に
密告者がいるのか。ヴィナはその可能性に突き当たった。それ以外に考えられない。以前から練られていた作戦ならまだしも、出たとこ勝負の作戦が漏れるにはその場で作戦内容を聞き、すぐに敵側に知らせた人間がいなければならない。
今回の件で、最も怪しい人間は誰か。ヴィナは自分に出来ることを見つけた使命感で、先に管制室を出て行った導師イムラーンを探しに廊下に出た。
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