第十三節 襲撃と崩壊


 戦う術を持たない人々にとって、竜の襲来とは災害と同じ意味を持つ。

 巨大な身体をただ振り回すだけで石壁を打ち崩し、鋭い爪と牙は鍛えられた鋼を紙のように引き裂いてしまう。

 逆に竜の鱗は“不変”の特性を宿すが故に極めて頑丈だ。

 刃や魔術を容易く弾き返し、熱や寒さにも驚く程の耐性を有している。

 まさに絶望の具現。この世における最古にして最強の獣―――それがドラゴン。


『ッッッ―――――!』


 大気が破裂したかのような咆哮が、人々の混乱に没する街に高らかと響き渡る。

 その叫び声を浴びて、竜から逃げようとした者の多くがその場で凍り付いたように動きを止めてしまった。

 聞く者に恐怖を与える《竜声》。ドラゴンが弱者の群れを一網打尽にする際に使う常套手段だ。

 エルダー級のドラゴンが放つ《恐慌の叫びテラーシャウト》に耐えられる者など殆ど存在しない。

 魂を打ち砕かれる衝撃に、誰もが意識を保ったまま立ち尽くすだけの彫像へと変わる。

 そうしてどうするか。竜が無力な獲物に向けるものなど、一つしかない。

 ―――竜の吐息。すべてを焼き尽くす炎の洗礼。


『オオォォォォォォォォッ!』


 言葉を忘れ、竜は獣も同然に吠え猛る。翼を大きく広げ、本能のままに暴れ狂う。

 街の一角は瞬く間に火の海に沈み、多くの人達が真っ黒い屍となって焼かれ続けている。

 地獄だ。この世の地獄が其処にあった。

 周りから動くものが無くなると、竜は唸り声を上げながら一歩踏み出す。

 臭いで分かる。まだ生きている獲物が何処にいて、どんな風に逃げ回っているのか。

 彼の主人は命じた。人の住む街を襲い、尽く皆殺しにせよと。

 だからそうする。上書きされた真名により魂そのもの支配された竜に、かつての自我は欠片も存在しない。

 気高き竜の誇りは何処にもなく、破壊を撒き散らす醜悪な魔獣の姿だけが残されていた。

 尾の一振りで城壁を崩し、玩具のような屋台を踏み潰しながら、哀れな竜は街の通りを我が物顔で進む。

 事実、竜はこの地獄の支配者であり、弱者を責め苛む暴君に他ならなかった。

 しかし王者の専横が常に罷り通るとは限らない。

 弱者の身でありながらも抗う者は、いつの時代も必ず存在する。

 例えそれが、凶悪極まるエルダードラゴンであったとしても。


『ッ!』


 炎の中から飛び出す影を、竜の眼は確かに捉えていた。

 すかさず《恐慌の叫び》を撒き散らすが、影は動きを止めることなく竜へと向かう。

 数は六つ。その内の四つは竜を囲む形で左右へと動き、その手に持った武器を鋭く投げつける。

 愚かな、と。竜は鈍った思考でその行動を嘲る。どれほど鋭い鋼であっても、竜の鱗を傷付ける事など出来ない。

 それが普通の武器であるなら。


『ギッ!?』


 鋭い痛みが竜の身体の四ヶ所を同時に貫いた。

 それは槍だった。全長二メートルほどの太く長い投槍ピルム

 穂先に使われているのは《竜鉄鋼》。エルダー級の竜鱗と鉄を合わせた最高の鋼だ。


「“風よ、大地よ! 悪しき者が空に上る事を赦すことなかれ!”」


 四つの声―――リンベルンの守護に当たる四人の騎士達による呪文詠唱が重なる。

 同時に、竜は自身の身体が鉛にでも変わったような感覚と、頭上から押さえつけるような強い風の力を感じた。

 目標を大地に縛りつける《重力束縛グラビディバインド》と、強風で飛行能力を阻害する《下降気流ダウンバースト》の二重詠唱。

 複数の魔術の効果を一つの詠唱で同時に発動させる、一流の魔術師のみが扱える高等技術だ。

 加えて、四人の騎士達は事前に打ち込んでおいた投槍を基点に魔術を行使している。

 竜は歳経た個体ほど魔術という“変化”に対して高い耐性を持つ。

 エルダーともなれば人間の扱う魔術では殆ど影響を与える事は出来ない。

 そんな竜の魔術耐性を突破するために用意されたものが、《竜鉄鋼》の穂先を持つ投槍だ。

 竜の鱗が使われた鋼が竜の肉を貫く事で、魔術による“変化”を直接肉体に与える為の触媒となる。

 これにより相手が古老の竜であろうと、投槍で貫きさえすれば一流程度の魔術師でも術を通せるようになった。

 王国騎士団が考案した《対竜殲滅戦》の根幹を成す基礎戦術。

 野外でドラゴンとの戦闘が発生した場合、先ずは地面で気持ちよく暴れさせて、それから二度と空には戻らせない。

 騎士団に属する正騎士達は一人の例外もなく、その戦術を可能にするだけの修練と経験を積み上げていた。


「目標の拘束完了!」

「ご苦労! そのまま警戒しろ!」


 四人の騎士が素早く己の役割を完遂する間に、残る二人の影は真正面から竜に挑んでいた。

 王国騎士団長であるフェリミアと、神殺しの英雄たるアルディオス。

 竜を殺すなら兎に角首を落とせ。竜の心臓は分厚い筋肉と鱗に守られている上に、例え槍で貫いても構わず動き続ける程に頑強だ。

 故に首を落とす。出来る限り速攻、かつ一撃で仕留めるのが望ましい。

 二人はその基本を忠実に守るべく、動きを制限された竜の首へと己の剣を振るう。

 しかし、如何に獣に堕ちたと言っても竜は竜。千年を生きるエルダーの首は安くはない。


『ッッッ――――!』


 咆哮。だが、《恐慌の叫び》ではない。別の《竜声》による魔術の行使だ。

 途端に風が大きくうねった。竜を拘束するために騎士達が行使した《下降気流》で生じた風。

 それが《竜声》によって捻じ曲げられ、フェリミアとアルディオスの身体を正面から殴りつけた。


「ぐぁっ………!?」

「ッ…………!」

 

 凄まじい風の力に、フェリミアは大きく弾き飛ばされる。

 アルディオスは一瞬だけ抗い、風の流れを切り裂くように剣を叩き込もうとする。

 切っ先は竜の首を抉る――が、浅い。風によって押し流された分、刃の距離が遠くなっていた。

 さらに吹き付ける風が、アルディオスの身体も吹き飛ばしてしまう。


「無事か、フェリミア」

「ええ、問題ありません」


 嵐と変わらぬ強風で叩きつけられたにも関わらず、二人とも殆どダメージを受けた様子はない。

 剣を構え直し、改めて狂乱の竜へと向き直る。

 竜は翼を広げている。四人掛りの術式拘束を受けているにも関わらず、その巨体は宙へと浮き上がりつつあった。


「腐ってもエルダーか。このままだと空に逃げられかねんな」

「逃げられる前に仕留めます。逃げられたとしても、また引き摺り下ろせば済む事」

「違いない」


 じゃらりと、アルディオスは腰に巻いていた鎖を手に取る。

 愛用している《竜鉄鋼》の鎖。それを軽く振り回しながら、竜の首へと狙いを定める。


「少々力技だが、俺がこれで奴の動きを止める」

「ではその間に、私が首を落としましょう」

「頼む」


 プランは決まった。竜が拘束を引きちぎる事に熱中している間に全て終わらせる。

 これ以上の暴虐を許しはしない。アルディオスも、フェリミアも、同じ思いを胸に抱いていた。

 そう、同じだ。彼らが抱いていた思いは、等しく同じだった。

 ―――だから“それ”は地獄の中で響き渡った。

 咆哮を上げて暴れる竜も、攪乱に徹する騎士達も、竜を仕留めるべく動こうとしたアルディオスとフェリミアも。

 全員が、その歌声を耳にした。鳥の鳴き声にも似た、空の全てを楽器にしたかのような美しい歌声。


「ッ…………!」


 アルディオスが己の軽率さを呪ったところで、何もかもが手遅れだった。

 竜を最速で仕留めるために、一人残してしまった事が完全に裏目に出ていた。

 歌声は響く。それが何であるか知らないフェリミアは空を見上げて………。


「…………えっ?」


 見た。見てしまった。見慣れたはずの少女の姿を。

 虹色の輝きを纏い、竜が生み出した地獄に降臨した大いなる神威を。


「ライ、ア………?」

「…………」


 フェリミアは呆然とその光景を見ていた。アルディオスは言葉にならない唸り声を漏らした。

 ライアは歌っている。地獄の炎よりもなお激しい怒りに胸を焦がしながら。


『ッッッ―――――!』


 竜が咆哮する。その《竜声》にどのような意味が込められていたのか。

 それは誰にも分からなかった。世界が竜の声に従うよりも早く、全てが終わってしまったから。

 光が瞬く。両手を広げるライアの胸の前に、極光のヴェールが幾重にも収束していく。


「っ、待て! やめろ………!」


 ようやく絞り出したアルディオスの言葉も、やはり手遅れだった。

 歌声が途切れる。地獄よりもなお昏い瞳が竜を写し、天使のような声音が冷たく断罪を告げる。


「こわれろ」


 極光が世界を貫いた。

 アルディオスが最初に撃ち込まれたモノの比ではない、破滅を刻む光の奔流。

 光はほんの数秒足らずで消え去った。消え去った後には、何も残ってはいなかった。

 先ほどまで竜がいた場所には、真っ白い灰だけが風の中で舞っている。

 巻き添えを受けた地面や城壁も、まるで巨大なスプーンで抉りとったかのような鮮やかな断面を見せていた。

 一体、何が起こったというのか。

 幸いにも難を逃れた騎士達は、そのあり得ざる風景を呆然と眺める他ない。

 フェリミアは無言。不理解から来る沈黙ではなく、理解してしまったからこその沈黙。


「…………」


 アルディオスは、語るべき言葉の一つも出てこなかった。

 そんな男の元に、極光を脱ぎ捨てた破壊の神―――ライアが飛び込むように降り立った。

 破壊するべき敵を討ち滅ぼした彼女に、もう先ほどまでの怒りはない。

 変わらぬ少女の愛らしさで、アルディオスとフェリミアの二人に微笑みかけた。


「ね。頑張ったよ、あたし!」

「………あぁ」

「あのおっきいトカゲ、街を壊そうとするんだもの。許せないよ、あたしが壊したくないものを壊すなんて………」

「………あぁ、そうだな。ライア」


 ライアの怒りは正当なものだ。壊したくないと思ったものを、壊そうとする者が現れた。

 だから彼女は、その敵を破壊した。一片の容赦も慈悲も与えず、その権能によって灰へと帰した。

 咎める事など、出来るはずもない。ライアは街を守るために竜を滅ぼしたのだから。

 しかし、それは罪ではなくとも禁忌に触れる行いだった。


「………アルディオス様」

「…………」

「今のは、ライアが………?」

「…………」


 震える声。俯くフェリミアの表情は、アルディオスから伺う事は出来ない。

 不思議そうに覗き込もうとするライアを、彼女はその手で制した。


「答えてください! 私の勘違いであるのなら、それで良い………ですが、やはり、ライアは………!」

「………あぁ。お前が想像している通りだ」


 この期に及んで誤魔化そうとする事は、フェリミアに対する侮辱に他ならない。

 アルディオスは腹を括り、彼女の疑問に肯定の言葉で答える。

 女騎士の細い肩が、大きく震えた気がした。


「ライアが………降臨した、神格………!」


 余りにも重い真実。フェリミアの心は、激しい感情で千々に乱れる。

 アルディオスは新たな言葉を続けられぬまま、ただその場に立ち尽くしていた。

 その二人の様子を、ライアだけが理解出来ぬまま不思議そうに眺めていた。

 ただ一つ純粋で無垢なままの視線が、二人の後悔を見つめていた。

 

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