第七節 彼らの日常
その日も、アルディオスは現れた《巨獣》を討ち取っていた。
相手は山と見紛う程の大きな身体を持つ岩石の巨人。
圧倒的な質量を振り回し、ただ動くだけで街一つが瓦礫の山に変わるだろう怪物。
それを殆ど力技だけで粉砕し終えると、アルディオスは何事もなかったかのように《廃棄都市》に戻ってきた。
空を見上げれば、太陽は一番高い位置にある。丁度昼時ぐらいか。
途中、森で仕留めた大猪と幾つかの果実をぶら下げて街の広場へと足を運ぶ。
石碑の周りに咲く白い花は、ただ風に吹かれるがまま穏やかに揺れている。
「…………」
無言で祈りを捧げてから、その花を一つだけ手折っていく。
猪を丸ごと一匹と、甘い果実。月の光を灯した花を一輪。手土産としては悪くないだろう。
そう自分の中で判断しながら、アルディオスは広場を離れた。
この十日ですっかり通い慣れた道。見えてくるのは、街の外周にある比較的に荒れていない小さな家だ。
家の前には銀色の少女がいた。崩れかけた塀の上に腰掛けて、退屈そうに細い足を揺らしている。
「………おい」
声を掛けると、反応は実に劇的だった。
「アル!」
ぱっと表情を輝かせて、少女は塀の上から飛び降りる。
危ない、と言葉にしそうになるが、少女は重力を無視した動きでふわりと着地した。
そのままはしゃぐ子犬のような足取りで、アルディオスの傍へと駆け寄る。
「おかえりなさい!」
「………あぁ、ただいま」
喜びに満ちた微笑みと、暖かく出迎える言葉。
自分の意志で遠ざかったはずの暖かさに、アルディオスは戸惑いながらも応えた。
十日も経てばこれも慣れてくるだろうかと思ったが、なかなか上手くは行かないらしい。
「今日は早かったのね」
「あぁ、そう大した相手でもなかった」
「どんなのをやっつけて来たの?」
「山のような巨人だった。岩と土で出来たな」
「山みたいな巨人? すごい、あたしにも壊せるかな?」
「あぁ、一発で行けただろうな」
「それなら、連れて行ってくれても良かったのに」
「そういう訳にもいかん」
首を横に振ると、少女――ライアは不満そうに頬を膨らませてみせた。
十日。それだけの時間で、彼女はアルディオスが思っていた以上に「人間」らしくなっていた。
拙かった言葉遣いは瞬く間に改善され、幼子に近かった精神も年相応の少女と変わらない程に成長した。
本当に驚くべき進歩だ。アルディオスも様々な事柄を教えたが、ライアはそのすべてを容易く吸収してみせた。
神であればこの程度は当然の事なのか、それともライアが特別なのか。
それは分からないが、アルディオスは少女の成長を良い兆しだと素直に受け取ることにした。
「ここでじっとしてるのは、退屈」
「………あぁ、そうだろうな」
頷きながら、不機嫌さをアピールするライアへ手に持っていた花を差し出た。
一輪の白い花。少女は紅い瞳でそれをじっと見てから、慎重な手つきで受け取った。
ライアの細い指先が、そっと花の茎に触れる。
「…………」
両手で大切に持ちながら、その白く儚い姿を見つめる。
アルディオスも黙って、花の美しさを愛でる少女の様子を見守る。
どれほどそうしていたか。ひらりと、花びらが舞い散るように淡い光が揺れる。
触れるものを灰に変える破滅の極光。その一端がライアの手から漏れ出してしまったのだ。
当然、触れてしまった花は一瞬にして白い灰となって散ってしまう。
そんな花の最後を、ライアはひどく残念そうに見送った。
「…………」
「…………」
無言。ライアは花を持った姿勢のままで、じっとアルディオスの顔を見上げている。
掛けるべき言葉を思案してから、男は慎重に口を開いた。
「………大分、抑えるのには慣れてきたな」
「! うん、凄いでしょう?」
「あぁ。その調子なら、大丈夫だろう」
褒められたことが素直に嬉しくて、ライアはにっこりと微笑む。
この世界には壊してはいけないものがある。それを教えると、アルディオスはライアに誓った。
そのために、アルディオスは先ずライアの能力を抑制する事から始めていた。
触れるものを塵にする白い腕は、意識しない限り出てこないようで特に問題はなかった。
問題となったのは、ライアが纏う破滅の極光。
こちらはライア自身が意識せずとも出てきてしまうようで、本人も「制御する」という発想自体を持っていなかった。
しかしアルディオスが触れても光に焼かれない以上、制御自体は不可能ではないはず。
そう考えて思いついたのが、この花の手土産だった。
「最初は触れた瞬間に灰にしていた事を考えると、目覚しい進歩だな」
「凄い?」
「あぁ、凄いぞ」
「そうよね。あたし、頑張ってるもの」
ふふっと笑いながら、喜びを身体で表現するようにライアはその場でくるりと回ってみせる。
白いドレスがふわりと花びらのように広がり、虹色の燐光が時期外れの雪のように辺りへ散った。
「あっ」
少女が自分の失敗を悟ったが、もう手遅れだった。
思わず放出してしまった極光の粒は、地面や塀など触れた場所に小さな穴を開けていく。
褒められたことが嬉しくて、抑えていたものがつい溢れ出してしまった。
ライアはそれをはしたない、と感じた。折角努力の成果を見せたのに、みっともないところを見せてしまった。
スカートの裾を抑えて、ライアはそのまま俯いた。
「………ふむ」
失敗を咎められると萎縮してしまった少女の頭を、アルディオスはそっと撫でる。
「失敗は、恥ずべき事じゃない」
「………うん」
「お前の極光は、感情の動きに影響される。それを学べたな」
「うん」
「なら、それはそれで一つの成果だ。次からは、その事も意識すればいい」
幼い神へと、アルディオスは慎重に言葉を伝えていく。
破壊神としての権能を完全に制御できるようになったなら、アルディオスはライアに外の世界を見せるつもりだ。
つまりその段階に至るまでは、ライアはアルディオスを通してしかこの世界について学ぶことが出来ない。
今この少女を正しく導くことが出来るのは、自分だけなのだ。
その責任を、アルディオスは常に自らの内へと刻みつける。
「時間はある。焦る必要はないんだ」
「………ん。分かった」
アルディオスの言葉に、ライアは微笑みながら頷いた。
「よし。そろそろ飯にするか」
「今日は何を獲ってきたの?」
「猪だ。後は森で食べられる果実を幾らか摘んできた」
「お魚の方が良かったかも」
「なら、明日はそうしよう」
そんな話をしながら、アルディオスは常備しておいた薪に火を点ける。
家屋には調理道具も残されてはいるが、残念ながらアルディオスが使うには一般家庭の台所は狭すぎる。
何よりもこんな場所では調味料の類は殆ど手に入らない。
手に入るものは近くで取れる岩塩と、あとは精々森の中に自生した香草を摘んでくる程度。
結局出来るのは、肉や魚を砕いた岩塩で味付けをして焼いたり、香草で臭みを取って煮込んだりするぐらいだ。
「………悪いな」
「?」
呟くようなアルディオスの言葉に、ライアは不思議そうに首を傾げた。
神に呪われたアルディオスに、破壊の神格であるライア。どちらも生存のための食事は本来必要としない。
しかし必要がないだけで、食事を取れないわけではない。
味覚とは生き物の本能に根ざす娯楽であり、外界から受ける重要な刺激の一つだ。
故にアルディオスは、毎日決まった時間にライアと食事を取っている。
ライアも最初はよく分かっていなかったが、今では何が食べたいかのリクエストまでして来てくれる。
そんな他愛もない事が、アルディオスには嬉しかった。
「………よし」
レシピはいつもの通り単純明快。塩をすり込んだ猪の肉を火で炙って焼いただけ。
適度に脂が乗った肉を食器代わりの葉の上に広げ、腰から下げた投剣で小さくスライスしていく。
ライアはアルディオスの正面に座って、黙ってその作業を眺めている。
「ん」
細かく切った肉を刃先に刺して、少女の方へと差し出す。
「あむ」
ライアは大きく口を開けて、その肉にパクリと食いついた。
丁度良いサイズにカットされた肉は、噛めば噛む程に独特の味わいと焼けた脂の旨みが染み出してくる。
「美味しい」
「そうか」
覚えて間もない言葉を口にしながら、ライアは微笑む。
アルディオスはそれに頷きながら、また新しい肉を少女の口へと放り込む。
いつもの食事風景。極光を完全に引っ込められないライアでは、まだ自分一人では食事は取れないのだ。
傍から見ると、鳥の雛な何かに餌付けでもしているようだ。
そんな事を考えながら、見た目以上に大食らいな神様に次々と肉を与えていく。
大猪一頭の肉ともなれば相当な量だが、食べ始めれば大体一日で消費し切ってしまう。
「………これだけの量の肉、一体どこへ消えるんだろうな」
「? 分かんない」
「………だろうな」
まさにこの世の神秘だ。きっとそういうものなのだろうと、アルディオスは納得することにした。
「しかし、飽きたりはしてないか?」
「飽きる?」
「ここだと、食わしてやれるものはあまり変わらないからな」
「美味しいから、大丈夫」
「………そうか」
お世辞や気遣いではなく、本心からの言葉なのは間違いない。
間違いないが、やはり食事に関しては十分なものを出せているとは言い難い。
その不足に関しては、アルディオスは自身の至らなさを強く感じていた。
「………街に出れば、もっと美味いものが幾らでもあるんだがな」
「そうなの?」
「あぁ、そうだ」
頷いて、未だにライアが触れたことがないこの《廃棄都市》の外について語る。
「俺は肉や魚を焼いたり煮たりが限度だが、街の料理屋ならもっと複雑に調理が出来る」
「そうなの?」
「あぁ、そうだ」
「それも、壊したらいけないもの?」
「壊したら食べられないだろう」
「………そっか」
問われて、答えて。考えを巡らす少女に、男は手土産の果実を一つ差し出した。
森で取れる真っ赤な果実。少し固い果肉は酸味が強いが、同時に甘い蜜もたっぷりと含んでいる。
「この実も、街ではそのまま食べることは少ないな」
「? どう食べるの?」
「色々とやるんだ」
「色々って?」
「………色々は色々だ」
お菓子というものを上手く説明出来ず、言い出したアルディオスの方が適当に言葉を濁してしまう。
ただ、神様の好奇心だけはいたく刺激されたらしい。
赤い実をしゃくしゃくと齧りながら、ライアは目を輝かせていた。
「美味しいもの、沢山あるのね」
「あぁ。俺が作ったのよりずっと美味いぞ」
「でもアルの焼いたお肉、あたしは好きよ。だって美味しいもの」
「………そうか」
飾り気のない純粋な好意に、アルディオスは笑った。
こんな風に自然と笑みが溢れることなど、何時以来だろうか。
「………ね」
「? なんだ」
「アルはお肉、食べないの?」
言われて、自分はまったく肉に手を付けてない事に遅まきながら気が付いた。
ライアに食べさせたり、話をする事に思いの外夢中になっていたようだ。
他人の事を気遣うというのもまた良い兆候だろう。
「いや、食べるぞ。大丈夫だ」
兜の面覆いの部分だけを上げて、骨が付いたままの肉の塊を一つ手に取る。
そのまま思い切り齧り付く。焼きすぎて少し固い肉。それを千切るように食べる。
味として美味いかと言えば、そこまで美味いわけではない。
単純に塩を塗って焼くだけでは、街で取る食事に比べれば随分見劣りしてしまうだろう。
お世辞にも美味と呼べる程のものではない。けれど。
「美味しい?」
「………あぁ」
微笑みながら問いかけてくる少女に、小さく頷く。
本心からそう思う。久しく取っていなかった食事を、アルディオスは美味いと感じていた。
肉を食べて、果実を食べて。死んだはずの《廃棄都市》に、穏やかな空気が流れる。
「………ね」
「なんだ」
「壊してはいけないものって、食べ物だけ?」
「いや」
「なら、他には何があるの?」
「………そうだな」
幾らでもある。少女の答えとなるものは、それこそ幾らでもあるだろう。
人々が生きる証である街並みと、そこで続けられる日々の営み。
その全てが、少女の問いに価するだろう。
だからアルディオスは、短い言葉にその答えを込めた。
「お前自身が、そう思うもの全てだ」
彼女がまだ見ぬ世界が、彼女にとってそれだけの価値を持つものであれ、と。
アルディオスの言葉を聞いて、ライアは少しだけ不思議そうな顔をした。
首を傾げて、考えて。それから、小さく頷いて。
「――いっぱい、壊したくないものがあると良いな」
尊い祈りを口にしながら、ライアは嬉しそうに微笑んだ。
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