第十一節 城塞都市リンベルン


 人を寄せつけぬ深い森と、そこに現れる魔物達の脅威を孕み続ける西方の禁域。

 最端の街が月神により《廃棄都市》に変貌しても尚、その都市は変わらず人の活気で満ち溢れていた。

 その名は《城塞都市リンベルン》。

 激しい流れを持つフローレンス大河と巨人よりも高い頑強な城壁。

 そして何よりも王国の精鋭たる騎士団の守護によって平和を保ち続けてきた大都市。

 十年前の災厄を目と鼻の先で経験しながらも、奇跡的にその傷跡は薄く、今も街は多くの人々で賑わっていた。

 街の住民は勿論のこと、大通りには幾つもの露店が軒を連ねている。

 その多くが旅の行商であり、《既知領域》の各所で仕入れた品が所狭しと並べられている。


「さぁ安いよ安いよ! ちょっとそこの兄ちゃん、見てっておくれよ! おまけと値切りは要相談だ!」

「これなるは《群竜の塒リーヴァグラム》で獲れた本物の飛竜の爪だよ! インテリアにも良し、煎じて薬にしても良し!」

「《断崖帝国ヘルガンド》産の武装一式! 冒険者やるなら装備をケチっちゃダメダメ! 生命が惜しけりゃ買ってってくれよ!」


 商人達は誰も彼もが熱を込めて売り文句を声高に叫んでいる。

 この《城塞都市リンベルン》ではご禁制の品でない限りは、誰でも簡単に商売の許可を受けることができる。

 売るのも買うのもすべて自由。故に人は多く集まり、商人同士の競争も加熱していく。


「ささ、そこの奥さん! こちらは《永遠の故郷レイマン》でしか栽培されてない本物のユディアス茶葉だ! 今ならお安くしときますよ!」

「本当にレイマンの葉かしら? ちょっと色が薄いんでなくて?」

「いやいや、そんな事は御座いませんとも! ですがそう、どうしても気になるようでしたら、お値段は勉強致しますので………!」


 売る側は売りたいものを売り、買う側は本当に必要なものかを考えて買わねばならない。

 好んで偽物を売り付けるような不義理な商人は自然と淘汰されていくが、それでもすべての店が良心的とも限らない。

 街で日々を逞しく生きる住民に、魔物に懸かった賞金目当てに都市を訪れた冒険者。

 あるいはリンベルンを守護する任に当たっている騎士や、その下請けとして雇われた傭兵など。

 商人達が様々な品を持ち寄るように、それを買う側の人間も実に多様だ。

 誰も彼もが一喜一憂。商人は折角の商品を買い叩かれてしまわぬように、客は必要以上に買わされてしまわぬように。

 今を生きる人々が織り成す、どこまでも活力に満ちた混沌の坩堝。

 この街に一度足を踏み入れてしまえば、どんな人間だろうとその風景の一つに過ぎない。

 故にすれ違う人間の素性を気にする人間は少数派だが、何事も例外というものはある。

 例えば、見上げる程の巨体を持つ大男。

 どれだけ少なく見積もっても三メートルは超える。他人と並べば、容易に頭五つ分以上は飛び出してしまう。

 そんな巨漢が獣の毛皮で作った外套を羽織り、顔の上半分を覆い隠してしまうようなターバンに、仰々しい角飾りまで突き出している。

 トドメとばかりに背中に負った巨大な剣。男の巨体と比較しても分厚い刃は、どんな怪物を断ち割るために鍛えられたのか。

 これを見るなと言う方が無理というものだ。


「わあああ………!」


 そして異様な大男の足元にいるのは、銀色の髪を靡かせる妖精の如き少女だ。

 背丈は男の半分にも満たない程度。白いドレスをひらひらと揺らしながら、男の傍で嬉しそうに駆け回っている。

 可憐、という言葉がこれほど相応しい人間が他にいるだろうか。

 白く細い手足も、紅く煌くその瞳も、何もかもが見る者の心を惹きつけて止まない。

 野獣と女神。男と少女の組み合わせは、自然とそんな言葉を想起させた。


「すごい、人がいっぱい! ね、アル! ホントに凄いの!」

「そうか」


 少女は踊るように通りを進み、男はその後をゆっくりと付いて行く。

 多くの通行人でごった返すリンベルンの《風穴通り》だが、男と少女が進む先には自然と隙間が出来る。

 物語の幻想にも似た二人の異様さに、気圧されてしまわない人間などそうはいない。


「ちょっとすみません、道を開けて!」


 無論、皆無というわけでもない。

 通りの巡回を任された傭兵二人が、人の流れに逆らって駆け寄ってくる。

 魔物じみた大男が通りを闊歩しているという話を耳にし、対応するためにやって来たのだろう。

 街の治安維持の一端を任されているだけあって、傭兵達はかなり場馴れしている様子だった。

 場合によっては荒事も有り得ると、腰に佩いた剣を抜く覚悟もしてきたわけだが………。


「やぁ、任務ご苦労。だがこの場には、君らが心配するような事は何もないぞ」


 そこには何故か、王国騎士団の最高位であるフェリミア=アーサタイルの姿があった。

 彼女は常に前線で戦い続ける国家の英雄、雇われに過ぎない傭兵達でもその顔を見間違うことはない。


「だ、団長殿っ? これは一体………?」

「門を通る時に、騎士団の者には伝えたのだが。流石にまだ完全に行き届いてはいないか」


 驚きのあまり目を白黒させている傭兵達に、フェリミアはわざとらしい仕草で咳払いを一つ。


「今私は、非公式ではあるがさる要人の歓待をしている最中だ。急な話であったため、連絡が遅れた事は申し訳なく思う」

「要人、ですか………?」


 答えながら、視線は美しい少女と山のような大男を交互に彷徨う。

 フェリミアは大きく頷いた。


「その通りだ。彼女は、とある国の高貴な血筋の方―――としか、教えてやることはできないが………」


 示されて、傭兵達に向けて少女はにこりと微笑んだ。

 見る者の心を奪い、柔らかい絹のヴェールで包み込むかのような笑顔だ。

 高貴な血筋という説明にも納得する他ない。何よりもそれは騎士団長の言葉でもある。

 二人の傭兵は少女についてそれ以上は聞かなかった。

 となれば、問題はもう一人。


「あぁ、彼は………彼女の保護者、と言うべき人物だな。個性的な見た目に驚く者が多いのも無理からぬ事だろう」

「個性的と言いますか………あぁいや、何でもありません。しかし一体、どのような方で………?」

「聞きたいか? 聞きたいのも当然だろうな」


 うむ、と。何故か誇らしげに胸を張って頷く騎士団長。

 少女は不思議そうにその様子を見上げて、大男は無言のまま眺めている。

 何だこれはと、傭兵達が冷静になるより早くフェリミアは更なる言葉で畳み掛けていく。


「この方こそ、《大黒渦》で荒れ狂う東の海にさらに東、《漣の船団セルディア》の果てから訪れた伝説の武人」

「で、伝説の武人っ?」

「あぁ、名は決して明かさぬという約束で、私も一手指南して頂いた程の方だ。凄まじいお方なのだ」

「騎士団長殿が指南を………!?」


 気が付けば、フェリミア達の周りには人だかりが出来ていた。

 あの王国騎士団長、フェリミア=アーサタイルが自ら教えを乞うような大人物。

 それが遠く離れた東の国からやってきた巨人の戦士となれば、漏れ聞こえる話だけで聴衆など自然と集まってくる。

 美しく可憐な少女は、騎士団長が自ら歓待する異国の姫。

 巨人と見紛う大男は、そんな姫の守り手でもある最果ての達人。

 今や人々は疑う事無くそう認識し、噂話は風の速さで人から人へと駆け抜けていく。

 自らの小芝居の手応えを確かに感じ取って、フェリミアは密かにガッツポーズを取った。


「さぁ、お前達も与えられた役目があるだろう。立ち話も程々にして、互いの職務に励もうじゃないか」

「はっ、失礼致しました。騎士団長殿。それでは我々はこれにて!」


 傭兵二人は王国式の敬礼を示すと、そのまま足早に駆け去っていった。

 話を聞いていた人々も、下世話な好奇心には拘らず思い思いにその場を離れていく。

 それを確認してから、フェリミアはようやく一息吐いて。


「………とまぁ、このような感じで誤魔化してみましたが」

「大した役者だと、褒めてやれば良いのか。これは」


 幾らなんでも臭すぎるだろう、とは言わないでおいた。

 実際、正面から街に入るにはアルディオスの外見は大きすぎるハンデだ。

 あの月を堕とした大英雄であると名乗ればまた違うのだろうが、アルディオス自身がそれを望まなかった。

 騎士団長であるフェリミアが保証すれば、それに異を唱える者など出るはずもない。

 だというのに、アルディオスは自らが何者であるかを明かす事を避けた。

 何を思っているのか。どんな後悔を胸に秘めているのか。

 フェリミアは知らなかった。知らないまま、それに触れる事もしなかった。

 それでいい。自分は、いつかこの人が胸の内を明かしてくれるのを待てば良いのだと。


「ね、ね。フェリ?」


 小さな指に手を引かれて、暗い思考は中断される。


「ん、どうした。ライア?」

「人、いっぱいだから」


 そわそわしながら、通りに軒を連ねているお店へと視線を巡らせる。

 納得したように笑って、フェリミアは少女の頭を撫でた。


「一人で行ってしまわなかったのは、良い判断だな」

「アルが、フェリと一緒にって言ってたから」


 待ちきれずにリードを引っ張る子犬そのものの仕草で、ライアはフェリミアの手をぎゅっと握る。

 その様子を見ていたアルディオスも、ライアの言葉に大きく頷く。


「フェリミアから離れなければ、好きに見て良い」

「迷子になどさせませんから、ご安心ください」

「悪い……いや、助かる。俺も後ろから付いて行く」


 前に出過ぎても邪魔だろうと、アルディオスなりに気遣ったつもりだった。

 しかしライアはお気に召さなかったようで、今度は空いた方の手で男の太い指をぐいっと掴む。


 明らかに困惑しているアルディオスに、ライアは見上げながら一言。


「アルも一緒に行く」

「………邪魔だろう」

「あたしは邪魔じゃないもの」

「いや、お前だけの話じゃなくてな………」

「いーからっ」


 街へ向かう前と同様、それは断固として譲るつもりはないらしい。

 助けを求めるつもりでフェリミアの方を見たが、肩を竦めてお手上げポーズを返されてしまった。

 ふと辺りに視線をやってみると、何やら道行く人々の視線まで温かくなった気がする。

 適度に距離を置いて様子を見るだけのつもりだったが、どうやら小さな神様はそれでは満足しないようだ。

 どうやら年貢の納め時のようだ。アルディオスも観念したように頷いて。


「………分かった」


 そう言葉少なに、ライアへと降参の意を示した。

 それを聞き、ライアの表情は花が綻ぶようにパッと明るくなる。


「フェリ! フェリ!」

「あぁ、良かったな。ライア。さしものアルディオス様も、お前には手も足も出ないようだ」

「………少しぐらい、手心を加えて欲しいものだが」


 ぼそりと漏らした言葉は、冗談半分本音半分。

 フェリミアとライアは互いの顔を見合わせてから、本当に楽しそうに笑った。


「ダメよ、アル。あたしやフェリが言わないと、ずっと難しい顔をしてるんだもの」

「ライアは、アルディオス様の表情が読めるのか?」

「そのぐらい、見てれば分かるわ。ずっとお面してるけど、じーっと見てれば何となく見えてくるのよ?」

「ふむ、それは実に参考になるな」

「………そら、行くんだろう。二人とも」


 放っておくと話がどんどん拙い方に流れると判断し、アルディオスの方から出発を促す。

 それには二人とも素直に頷き、再び通りを歩き出す。

 真ん中に小柄なライアを挟んで、アルディオスとフェリミアがそれぞれ両隣に並ぶ。

 小さな手は決して離れないように、二人の指をしっかりと握っていた。

 フェリミアは、今では妹のように可愛がっている少女の手を優しく包み込んだ。

 アルディオスは、少し前まではすべてを壊そうとした幼い神の手に万感を込めて触れていた。


「えっと、どこから見れば良いかな?」

「どこらでも良いぞ。今日はライアの見たいものを見て回ろう」

「………一応、目的らしいものもあった気がするが」

「それも勿論、忘れていませんよ! 大丈夫!」

「お料理も、ちゃんと覚えられる?」

「あぁ大丈夫、私に任せなさい。ここには色んな料理も食材もあるから、きっと楽しいぞ」

「うんっ」


 微笑みながら頷くライア。外の世界に触れて、少女は本当に嬉しそうだった。

 彼女が地上に降りたばかりの時、破壊を振り撒く神格でしかなかった姿からは想像もつかない。

 変わっている。少しずつだが確実に、ライアは単なる破壊の神とは違うものへと変わりつつある。

 良かった。自分の選んだ事は、決して間違いではなかった。

 そんな安堵を感じながら、アルディオスは二人に手を引かれる形で歩き出した。


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