第三章 この時が永遠に続くのなら

第十節 団欒風景


 フェリミア=アーサタイル。まだ二十歳そこそこの年齢で王国騎士団の頂点に立つ騎士団長。

 本来ならば、彼女は王都を中心に主要都市の守護を担っている。

 押し寄せる《闇の血族》の群れに、いつ現れるかも分からない危険な《巨獣》達。

 それらを屠り、殲滅し、ただの一匹も王国で暮らす民草に寄せ付けぬ事こそ王国騎士団の役目だ。

 かつてはアルディオスも騎士団長としてその任に当たり、フェリミアはその背中を追いかけながら練磨を続けてきた。

 改めて、現騎士団長のフェリミア=アーサタイルの事を考える。

 アルディオスが知る彼女は溢れんばかりの才能に恵まれてはいたが、まだまだ未熟だった。

 剣の腕に関しても、異才と呼ぶ他ない固有魔術に関しても。

 その若さ故に、アルディオスの記憶にあるフェリミアは未熟な少女に過ぎなかった。

 だが、今は違う。彼女は王国騎士達の頂点に立つ騎士団長。その実力も、十年前とは比べ物にならない。

 フェリミアが《廃棄都市》を訪れてから、更に三日。その三日で、彼女はその事を結果で証明した。

 禁域に指定されている西の領域は、常に魔物の脅威に晒され続けている。

 細々とした《闇の血族》は勿論のこと、ほぼ毎日と言って良い頻度で《巨獣》の類も発生する。

 故に昼夜を問わず、アルディオスは現れた魔物が禁域から出ないよう討伐を行っていた。

 それを現在、フェリミアがたった一人で代行している。

 別にお前一人でやる必要はない。そうアルディオスも諭したが。


「私なら問題ありません。それより、どうかその時間でライアの相手をしてあげてください」


 微笑みながらそう言われては、それ以上の反論も難しい。

 それに事実として、フェリミアは無理をして魔物の討伐を行っているわけではない。

 常に余裕を保ち、必要な力を必要なだけ使い、確実に禁域の魔物を駆逐していく。

 十年。言葉にすれば短いが、人が変わるには十分過ぎる時間だ。

 フェリミア=アーサタイルは、間違いなく王国騎士団長という肩書きに相応しい騎士となっていた。


「ホント、フェリって凄いわよね」


 地面に座るアルディオスの膝の上で寛ぎながら、ライアも彼女の働きぶりを称賛する。


「別に、大した事じゃない。私は私に出来ることをやっているだけだよ」


 褒められたのが照れ臭いのか、フェリミアは少し頬を染めながら笑った。

 岩を削って作った丸いテーブルの上に、幾つもの皿が置かれていく。

 フェリミアがその辣腕を振るったのは、何も魔物討伐に関してだけではない。

 特に改善されたのは食事事情だ。アルディオスに出来なかった事を、フェリミアは難なく実行した。

 皿やフォーク、スプーンなどの基本的な食器を街から調達し、必要な調味料も購入。

 まだ台所が比較的に無事な家屋を見つけ、その設備を利用して調理する。

 アルディオスが用意する簡素な味しか知らなかったライアも、これには大層喜んでいた。

 出される料理はどれも丁寧に仕上げられており、お世辞抜きでもちょっとした店で出せるぐらいに出来が良い。

 やはり、こういうのは女性の領分かと、アルディオスは改めて自分の到らなさを痛感していた。


「………アルディオス様?」

「ん。あぁ、何だ?」

「いえ、ご気分でも優れないのかと………」

「そんな事はない。大丈夫だ」


 押し黙っているのが気になったか、フェリミアはアルディオスの顔を覗き込む。

 常から外さない兜に表情は隠れたままだが、付き合いの長い相手は雰囲気で何となく察することが出来るらしい。

 問題はないと言葉少なに答えながら、改めて石のテーブルに置かれた料理に目を向ける。

 今日のメインは魚の煮込みのようだった。

 川で獲れた白身魚をよく焼いた上で、香草や野菜と共に果実酒で煮込んだ料理。

 芳しい香りが鼻腔をくすぐり、これ以上なく食欲をそそられる。

 それに焼いたばかりの黒パンと街で仕入れたバター、森で獲れた果物がデザートとして並んでいる。

 果物もただ置いてあるわけではなく、皮を剥いたり芯を取ったりとキチンと食べやすいよう処理がなされていた。


「お代わりもあるから、遠慮なく食べてくれ」

「はーい。ありがとう、フェリ」


 そう言って、ライアはフォークとスプーンを手に取る。

 食事はライアにとって娯楽であると同時に、今は能力を制御するための練習にもなっていた。


「美味しい!」

「そう言って貰えると私も嬉しいよ」


 美味しそうに料理を食べていく少女の様子を、フェリミアは微笑ましそうに眺める。

 感情が高ぶっても極光を出さないよう、ライアが意識しながら食事をしてる事を彼女は知らない。

 ライア自身もそれを表に出す事なく、力を抑えたまま純粋に料理の味を楽しんでいる。

 本当に目覚しい進歩だと、アルディオスは感心しながら見ていた。

 以前なら、うっかり光を零してしまう事は多々あった。

 特に感情の強さに極光は左右されるため、喜びなどで大きく心を動かされた時にそういう事は起こりがちだった。

 けれど今は違う。フェリミアが来てからというもの、ライアの能力制御は大いに高まった。

 些細なミスも殆ど無くなり、今や一人でほぼ完璧に食事を行えるぐらいに向上している。

 ほんの少しでも極光が漏れてしまえば言い訳も何もないため、アルディオスとしてもそれは嬉しい誤算だった。

 まだ共同生活が始まって数日ほどだが、フェリミアは今もライアの事を戦災孤児だと誤解したままだ。


「ん、んー………」

「? どうした、ライア」


 と、料理を食べながら何やらライアが唸り始めたので、アルディオスは首を傾げる。

 フェリミアも同じように少女の様子を見た。作った料理に、何かおかしなところでもあったのだろうかと。

 二人の視線を受けて、ライアは珍しく難しそうな顔をした。

 悩んでいる様子で首を捻って、それから一言。


「ね。あたしにも出来る?」

「…………」


 何の話だろうかと、アルディオスは理解が遅れてしまった。

 無言で疑問符を浮かべている鈍い男の横で、フェリミアが小さく咳払いをする。


「ライアも、料理を覚えたいのか?」

「うん。フェリ、すごく上手だから羨ましい」

「そうか。向上心を持つのは良いことだな」


 笑いながらそう言って、フェリミアは少女の銀髪を軽く撫でてやった。

 ライアはくすぐったそうにしながら、荒事以外ではまったく牛並みな男に視線を向ける。


「ね、アルはどう思う?」

「…………」


 問われて、アルディオスは真剣に考え込んだ。

 成る程、確かにフェリミアが言う通り向上心を持つのは大変素晴らしいことだ。

 しかし力の抑制も板についてきたとはいえ、完璧であるとはまだ断言し切れない。

 殆ど失敗する事が無くなったとはいえ、それはこの数日程の話だ。

 どういうきっかけで暴発するか分からない以上は、慎重に慎重を重ねて然るべきだろう。

 そこまで考えてから、アルディオスは口を開いた。


「………まだ、難しいんじゃないか?」

「アルのばーか」


 何故だか不明だが、即座の罵倒が返ってきた。

 ライアは膝の上からぴょいっと飛び退くと、そのまま対面に座っていたフェリミアの方へと移動する。

 そのままフェリミアを壁にするような形で隠れ、顔だけ出して。


「ばーかばーか。アルのばか。牛。トーヘンボク」

「…………」


 一体どこでそんな言葉を覚えてくるのか。やはりこれも神の成せる業なのか。凄いな神様。

 不服そうな顔でちまちまと悪口を飛ばすライア。

 飛ばされてるアルディオスの方が目に見えて落ち込んできたので、流石にフェリミアもフォローに入る。


「こら、こら。ライア。アルディオス様が本気で凹み始めたからその辺にしておくんだ」

「むーぬー」


 ライアは不満そうにしながら、まるで猫のようにフェリミアの肩にぐりぐりと額を押し付ける。

 アルディオスはアルディオスで、どうして罵倒されたのか理解が及ばずますます落ち込んでいた。

 ………恐らく、自分も料理をしてアルディオス様に食べて貰いたいのだろうな。

 その辺りの乙女心は、同じ女としてフェリミアは直ぐに察する事が出来た。

 素直に頷いて欲しかったところに、アルディオスが空気を読まないは発言をしてしまった為、思いっきりヘソを曲げてしまったのだろう。

 普段はそう気分を害したりしないライアだが、こればっかりは仕方がない。

 ライアが自分に懐いてくれているのは間違いないが、同時に対抗心めいたものを見せているのもフェリミアは知っていた。

 少女にとってアルディオスは親のような存在で、この地で彼以外に頼れる人間などいなかったはずだ。

 そんな相手の前に、何やら親しげな女性が突然現れたらどう思うか。

 気持ちはよく分かる。仮に自分が同じ立場なら、どれだけ取り乱すか想像もつかない。

 それに比べれば、嫉妬もせずに努力で向上を目指すライアの姿勢は心から素晴らしいと思った。


「ライアは良い子だな」

「そう? あたしもフェリのこと好きよ」


 素直にフェリミアが称賛を口にすれば、ライアもまた偽りのない好意を込めて微笑む。

 同じ相手を慕っている者同士、ある意味ではライバルと呼べるかもしれない。

 ライアは幼いが、その心根は清く美しい。何よりも強く純粋なところを、フェリミアは尊敬すらしていた。

 フェリミアは自分の知らない事を多く知っていて、出来ない事が沢山出来る。

 頼めば言葉を尽くして教えてくれる彼女の事を、ライアはある意味アルディオスよりも信頼していた。

 お互いに張り合い、認め合う事のできる友人関係。

 そんな仲の良い女性二人が揃うと、男であるアルディオスは何かと蚊帳の外にされてしまうわけだが。


「………その、ライア」

「なーに?」

「…………」

「あ、アルディオス様? そこで挫けたらダメだと思いますよ?」


 まだ言葉に棘が残っていたためか、あっさり怯むアルディオスにフェリミアは苦笑した。

 そして咳払いを一つ。相変わらず隠れたままのライアに向けて口を開く。


「悪かった。もし習うのであれば、フェリミアの言う事はちゃんと聞くんだ」

「………良いの?」

「お前がやる気なら、だが」

「作ったら、ちゃんと食べてくれる?」

「あぁ、出された分は残さず食べる」

「ホントによ? 約束」

「あぁ、約束だ」

「なら良いの。アルのことも好き」


 短い言葉のやり取りで、ライアの不機嫌は遠くの山まで吹っ飛んでしまったようだ。

 フェリミアの背中から出てきて、その場でくるりと回ってみせる。

 機嫌が良い時に見せるライアの癖だ。以前は極光のヴェールがよく飛び出ていたが、今はしっかり抑えられている。


「すまないが、頼む」

「いえ、大丈夫です。ライアは覚えも良いですし、直ぐに私より上達しますよ」


 お世辞ではなく本心からフェリミアはそう答える。

 実際にライアは頭も良く、教えればどんな事でもするすると吸収してしまう。

 この数日の間にも、フェリミアは幾つか外の事を聞かれて、それらに関して自分の知り得る限りを教えた。

 幾つか難しい事もあったが、ライアはそれをあっさりと理解していた。

 もし料理について教えるのであれば、ここで作れるような簡単なレシピだけでは直ぐにネタ切れしてしまうだろう。

 ならばどうするべきか。考えてから、フェリミアは小さく自分の手を打ち合わせた。


「街へ出てみないか、ライア」


 これこそ名案であると、フェリミアは明るい声で言った。

 その発言に驚いたのは、ライアよりもむしろアルディオスの方だった。

 思わず取り落としそうになった皿をそっとテーブルの上に戻して、改めてフェリミアの方へ向き直る。


「………本気で言ってるのか?」

「当然です。何かおかしなことを言いましたか?」

「そういうわけでは、ないが………」


 まだ早い。いずれライアを外の世界へ連れ出す事はアルディオスも考えていたが、今はまだ早い。

 僅かな失敗でも取り返しがつかなくなる。それを避けるためにも、今はまだ時期ではない。

 そう考えてはいても、ライアの本当の事情を知らぬフェリミアにそれをそのまま伝えることは出来ない。

 フェリミアの方は、アルディオスが強い不安を抱いている事だけは理解していた。

 話が見えずにきょとんとしているライアを横目に見てから、フェリミアは言葉を返す。


「心配なのは分かります。外には危険も多く、この場所でなら貴方がずっと彼女を守っているだけで良い」

「…………」

「ですが、それでは何も変わりません。いつかはと、そう考えている内に機を逸してしまいます」

「………フェリミア」

「私は、ライアにはもっと多くの事を知って欲しい。彼女自身も、それを強く願っているのですから」


 拳を握り締めながら、フェリミアは自身の思いを熱く語る。

 アルディオスは、彼女がそれほどライアの事を考えてくれていたことに驚きながら、同時に強い感謝の念を抱いた。


「………すまない」

「あ――いえ、そんな。差し出がましいことを………申し訳ありません………」

「いや。お前の言う通りだ。俺は少々、過保護だったかもしれん」

 そう言ってから、アルディオスはフェリミアに対して深く頭を下げた。

「こちらからも、改めて頼みたい。ライアを街まで連れて行ってやってくれ」

「あ、アルディオス様っ。お顔を上げてくださいっ」


 尊敬する師であり、心から慕っている恩人相手に頭を下げられてしまい、フェリミアは大いに慌てた。


「俺は見ての通りの姿だ。いずれ似たような事を、お前に頼むつもりだった。その予定が少々早まったと考えれば、何のこともないな」

「アルディオス様………」


 確かな信頼を感じ取り、フェリミアは自分の胸の内が満たされるのを感じた。

 自ら言い出した事ではあるが、改めて責任の大きさを思う。

 信じ、頼ってくれたアルディオスの心に、必ず報いなければならない。

 そう決意をして、フェリミアが答えようと………。


「ダメ」


 ………したところで、今まで様子を見ていたライアの方が割り込んできた。

 驚き、思わず顔を見合わせる二人に、少女の姿をした破壊神はぺしりぺしりと自分の膝を強く叩いて。


「アルも行かなきゃ、ダメ」

「…………」


 抗議の内容は、さらにアルディオス達を驚かせるものだった。

 この《廃棄都市》の外へ行くことができる。それは嬉しい。だがそのためには、アルディオスがいなければ。

 ライアは表情を隠す牛の兜ではなく、フェリミアの方をじっと見つめる。


「ね、フェリ。あたし、フェリのことは好き。あたしに色んな事、いっぱい教えてくれるもの」

「………そう言って貰えると、私も嬉しいよ。ライア」

「だから、外へ行こうって言うフェリのことも、好き。けど、それじゃダメなの」

「…………」


 フェリミアの傍から、押し黙っているアルディオスの方へ。

 軽い足取りで近づいて、その大きな膝の上に改めて飛び乗った。

 それから、無言の兜に鼻先がくっついてしまうぐらいにぐっと顔を近づけて。


「あたしに、最初に教えてくれるって言ったのは、アルよ?」

「…………」

「知らないこと、教えてくれるって。壊しちゃいけないものが、いっぱいあるって」


 偶然落ちてきたこの場所で出会った二人。そこで交わした一つの約束。


「だから、アルがいなきゃダメ。アルがいてくれないなら、そんなの意味がないもの」

「………そうか」


 真摯に、どこまでも純粋に気持ちをぶつけられては、それに反論など出来ようはずもない。

 ライアの頭を大きな手のひらで撫でてから、アルディオスはフェリミアを見た。

 彼女も優しい笑みをライアに向けながら大きく頷く。


「私も同行します。そうすれば、問題なく街に入れますよ」

「………本当に大丈夫か?」

「貴方はこの国の英雄です。もう少し、胸を張っても誰も咎めたりはしません」

「………そうか」


 英雄という言葉に、思うところが無いでは無い。

 だがこの場では、それについて何か言うことはしなかった。

 怪物が人の輪に入ろうと思うのであれば、何かしらの枷が必要なのだと。

 そう考えて、アルディオスは自らの思いを喉の奥に呑み込んだ。

 フェリミアはそれを知らない。ライアも、彼が背負う十字架の意味を知らない。

 言葉少なに頷いた事を、単に肯定の意であると受け取った。


「アルディオス様も一緒に行ってくれるようだぞ。良かったな、ライア」

「うん、嬉しい! フェリも、ありがと!」


 無邪気に喜ぶライアと、そんな少女の頭を優しく撫でるフェリミア。

 アルディオスはそんな二人を黙って見ていた。

 このまま何もかも上手く行くのかもしれないと、淡い期待を胸に抱きながら。

 近づきつつある破滅の足音は、まだ男の耳には届いていない。

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