第20羽



 涼しい木陰で目を覚ました夜斗は、大きく欠伸をしながら伸びをした。

 せっかくなので本殿まで行くことにした夜斗は、勢いよく残りを進んだ。

 ようやく本殿まで辿り着いた夜斗は、その場に立ち尽くした。

 今までの道のりが狭かったために、本殿に辿り着いた途端に開けた景色に息をのんだ。

 ここに来るまでに、もう嫌と言う程沢山の鳥居を見てきたのに、本殿の前にそびえる一際大きな鳥居に、思わず口が開きっぱなしになった。

 それ程大きくて立派だったのだ。

 その奥にある朱塗りの本殿に足を向け、また見上げる。

 ずっと見ていられる程綺麗だ。

 またもぽかんと口を開けていた夜斗は、声を掛けられてはっと我に返った。

 声のした方を見ると、両脇に狐が堂々と座っていて、じろりと夜斗を見ていた。

 自分の知っている狐とは違って怖そうだと、知らず知らずのうちに後ずさっていた夜斗に、玉を咥えた狐が声を掛ける。



「そこの兎。ここまで来たのだ、すぐに帰らずとも宇迦之御魂大神方に挨拶いたせ」



 狐にそう言われてこくこくと何度も頷きながらも、夜斗は狐の口元から目を離せないでいた。


 何か咥えてるのに、喋れるんだ……。



「君、何か失礼なことを考えているね?」



 突然後ろからも声を掛けられ、夜斗は驚いて振り返った。

 こっちは何か棒のようなものを咥えたまま喋っている。

 きりっとした二匹の狐に見つめられては、夜斗はしり込みするしかなかった。

 玉を咥えた狐にせかされて、夜斗は本殿に参拝する。

 すると中央の扉が開き、女の神様が現れた。

 どうやら宇迦之御魂大神のようだ。



「こんにちは」



 宇迦之御魂大神は優しい笑顔で夜斗を迎える。



「こ、こんにちは……」



 夜斗もおずおずと挨拶をすると小さく頭を下げる。

 宇迦之御魂大神に見つめられて、夜斗は思わず目を逸らした。

 そんな様子を見てにこりと笑った宇迦之御魂大神は、夜斗の目の前まで下りてくると優しく頭を撫でる。



「いい子。いい子よ」



 宇迦之御魂大神はそれだけ言うと、すっと消えていなくなった。

 一瞬鼻の奥が痛くなったような気がしたが、夜斗は気のせいだと自分に言い聞かせて山を下りることにした。

 帰る夜斗の背中に、棒のようなものを咥えた狐が声を掛ける。



「心残りがあるなら、行動しなさい」



 夜斗は本殿を振り返ると、躊躇いがちに小さく頷いて山を後にした。





 山を下りた夜斗は、とぼとぼと足取り重く街を歩いていた。 

 宇迦之御魂大神に言われたことも、背中越しに言われた狐の言葉も夜斗の頭の中でぐるぐると回っていた。

 いい子だと言われた。

 心残りには行動しろと言われた。

 しかし夜斗には踏ん切りがつかない。

 自分は青年に何ができるのか、自分はどうしたらいいのか、夜斗には解らなかった。

 人の賑わう声がして、夜斗はようやく顔を上げた。

 行先など考えずに歩いていたので、ここがどこだか解らない。

 建物の陰に隠れて人の様子を窺うと、皆口々に清水さん清水さん、と言って坂道を登っていく。

 夜斗は、物陰に隠れながら人から離れるようにして歩いた。

 人の気配が少ない方へと好んで歩いていると、小高い丘に辿り着いた。

 夜斗はそこで街を見渡しそうと考えて登っていく。

 辺りは暗くなり始めていた。


 丘の上から街を見下ろすと、家々に明かりが点り始めていた。

 まるで蛍が待っているような光景に、夜斗はあれこれ考えていることが解けて消えていくような感覚になった。

 何も考えず景色を眺めていると、どこからか鐘の音が聞こえてきた。

 何だろうと思って音がする方を探していると、何か温かいものが近くに降りてきたように感じた。

 夜斗はその正体をつきとめようと目を凝らし、じっと聞き耳を立てた。

 すると聞こえてきた声に、夜斗は思わず自分の耳を疑った。



「夜斗。お前、大きくなったか?」


「あらあら夜斗ちゃん。逞しくなって……」


「……に、兄ちゃ? かあさ……?」



 段々と声がはっきりしてくるとともに姿を現したのは、死んだはずの兄と母だった。



「前はこんなに小さかったのにな」


「あらぁそれは小さすぎよ」


「こんなもんだったろ、な?」



 くすくすと笑う母に、悪戯っぽく笑ってぽんぽんと頭を撫でてくる兄。

 あの頃と何も変わっていなかった。

 夜斗の大好きな兄と母の姿がそこにあった。

 夜斗の頭に伝わる優しい体温は、ふたりの存在が夢ではないと物語っていた。

 夜斗はくしゃりと顔を歪ませて兄の手をつかんだ。

 夢ではないことを、幻などではないことを確かめるように、しっかりと兄と母の手を取る。

 母が労わるように夜斗の頬を撫でる。

 それがいけなかった。

 ついに夜斗は堪えきれず、兄と母に抱き着いて大きな声を上げて泣き出した。

 これまで我慢してきた分、泣きたくても心がついていかずに泣けなかった分が、堰を切ったようにあふれ出した。

 兄と母はしっかりと夜斗を抱きしめて泣き止むまでずっと背中を擦ってくれていた。


 しばらくしてようやく泣き止んだ夜斗は、ふたりに詰め寄った。

 どうしてここに居るのか、夢ではないのか、これからずっと一緒に居られるのか。

 矢継ぎ早な夜斗の問いに二人は苦笑しながら首を振った。



「夜斗、よく聞くんだ。まず、これからずっと一緒には居られない」


「え……」


「それから、どうして俺たちがここに居るのかだが、それは今がお盆だからだ」


「おぼん……?」



 話に全くついていこれていない夜斗に母が優しく言い聞かせた。



「お盆にはね、死んだ者の魂を迎えて供養するの。だから私たちはここに居るのよ」


「死んでるのに、会えるの?」


「それはこの土地だからだ」



 ますます意味が解らないと言いたげに眉を寄せる夜斗に、兄はやれやれと肩を竦めた。



「この土地は特別なんだよ。だからお前にも見えるし触れるんだ」


「今日はもう日が暮れてしまうけれど、明日から三日間は一緒に居られるのよ」


「ほんとに……?」


「本当に」



 兄が頷いたのを見て、母にもそうなのかと目を向ける。

 母がにっこりと笑って頷くと、夜斗はまたふたりに抱き着いた。

 そんなさんにんの様子を、少し丸くなった月が照らしていた。







 夜斗たちは、その日はそのまま丘で夜を明かすことにした。

 手頃な茂みを見つけてさんにんで潜り込むと、夜斗は今まであったことを話した。

 兄も母もうんうん、と頷きながら聞き入り、夜斗は嬉しくなって次々に話して聞かせた。

 明日、日が昇ったらどこへいこう、あそこへ行こうと楽しそうに話す夜斗を、母は優しく見守っていた。

 やがて話し疲れたのか夜斗は兄の膝を枕に寝息を立て始め、ふたりはくすくすと笑ってその日は寝ることにした。





 それから三日間はふたりは夜斗に連れ回され、日が暮れてはどこかの茂みに潜り込んで夜を明かした。

 夜斗は今まで悩んでいたこともすっかり忘れて毎日を楽しんでいた。

 これ程までに毎日が楽しいと思ったのはいつ以来だろうか。

 そんなことを考える暇さえない程、夜斗はめいいっぱいはしゃいだ。

 そして、さんにんが一緒に居られる最後の日。

 夜斗たちはさんにんが再会した丘の上で景色を見ていた。

 あの時と変わらない、蛍が待っているような景色をさんにんで眺めながら、夜斗は兄と母の手をしっかりと握っていた。



「夜斗、手が痛いぞ」


「相変わらず甘えん坊さんね」



 くすくすと笑うふたりに対して、夜斗はにこりともできなかった。


 またふたりは居なくなってしまう。


 寂しいだなんて言えなくて、夜斗は口を真一文字に結んだ。

 辺りが真っ暗になった頃、とある山に火が走った。

 夜斗はそれを見て身体を強張らせたが、兄たちは嬉しそうに顔を綻ばせた。



「兄ちゃん、母さん。どうして喜んでるの? 火事だよ?」


「馬鹿だな、お前は知らないのか? 五山の送り火を」


「ござ……?」


「五山の送り火。もうそろそろ私たちは帰る時間なの」


「もう、帰るの……?」



 母の言葉に握る手に自然と力が入る。

 兄はそんな夜斗の頭をぐりぐりと撫でると、目を合わせた。



「夜斗。姿が見えないからって、一緒に居ない訳じゃないぞ? 俺たちはずっと夜斗の傍に居る」


「ほんと?」



 いつの間にかぽろぽろと泣き出した夜斗を、母はそっと抱きしめる。

 


「見てるわよ。夜斗ちゃんがちょっと悪い子なのも、私知ってるわ」


「悪い子?」



 ぐしぐしと目を擦りながら母を見つめる夜斗に、母は頷いて見せた。



「お母さん、雨が気になるの」


「あめ……」


「夜斗も解ってるだろ?」



 兄の言葉に俯いてしまった夜斗を、母が励ますように背中を擦る。



「夜斗。助けてもらったら、何て言うんだ?」


「で、も……ぼくっ……」


「月の子なら何でもできるわ」



 優しい母の声に、夜斗はぱっと顔を上げる。



「どうしたらいいの? 母さん、教えて」


「その土地の神様に聞いてごらんなさい。きっと教えてくれるわ」



 にこりと笑った母の身体が、段々と薄くなる。



「待って、母さん! いかないで!」


「夜斗ちゃん、頑張りなさい」


「母さん!」


「夜斗。楽しいことしてるお前が、俺は好きだよ」


「兄ちゃん!」


「「元気で」」


「やだ! やだ! いかないでよ、兄ちゃん! 母さん!!」



 ふっと、風が吹いた。

 瞬きする間もなかったのに、その風に乗って消えるように、母と兄の身体は消えていった。

 夜斗は呆然として立っていたが、やがてその場に座り込み顔を覆った。



「だって、だって。変な顔するんだもん。雨、止まないんだもん!!」



 誰に言うでもなく、夜斗は声を上げた。

 もう、返事は返ってこなかった。


 ふと、夜斗の頭に方向音痴の人の顔が浮かんだ。

 嬉しそうに礼を述べてくる顔が、何だか懐かしく思えた。

 


「……」



 次に浮かんだのは、青年の優しい笑顔。

 しかしその笑顔も、すぐに困ったような笑顔に変わる。

 夜斗がぎゅっと目を閉じると、兄の声がした。

 はっとして振り返るが、どこを探しても兄は居なかった。

 それから母の声が聞こえた。

 夜斗はもう、声の元を探したりしなかった。


 夜斗はすっと立ち上がると、大きく足を踏み鳴らして顔を上げた。



「……しょうがないなあ!!」



 そう吠えるように言うと、夜斗は丘を駆け降りて力いっぱい地面を踏みしめながら雨の村へと駆けて行った。








・・・・。

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