第16羽
青年が、夜斗が居なくなって雨に濡れながら項垂れている頃。
夜斗は山から村の様子を見下ろしていた。
村は暗く重いように見えた。
それはきっと雨が降っているからだけではない。
田植えの時期が近付いているというのに一向に顔を見せない太陽に、村全体が諦めたような雰囲気に包まれていた。
夜斗は、青年の困ったように笑う顔を思い出してむっと眉間にしわを寄せた。
その苛立ちから逃れるように山を下りた夜斗は、振り返らなかった。
もう、この村に戻ってくることはないだろう。
そう思いながら、今まで世話をしてくれた青年を想う。
困った顔をする青年を、もう見なくて済む。
諦めたようにぼやく青年を、もう見なくて済む。
夜斗は、更に西へと歩を進めた。
それから幾月か過ぎて、秋になった。
村は相も変わらず、雨に降り続けられていた。
当然稲は育つはずもなく、一応刈りはしたものの、村人の生活の足しになるには明らかに少なかった。
村人も肩を落として恨めし気に空を見上げた。
そんなことをしても雲が晴れる訳ではないのだが、他にどうすることも出来ず村人は空を見上げた。
暗い雲が、しとしとと雨を落としていた。
その頃夜斗は、山から村を見下ろしていた。
本来ならば稲を刈った後とはいえ、田んぼは黄色く染まっているはずなのだが、どこも黒くくすんでしおれていた。
夜斗は青年の家のある方を見つめながら、言い訳のように呟いた。
「……怪我のお礼はしなきゃ駄目でしょ」
ふいと村から顔を背けると、夜斗は山の奥へと消えて行った。
夜斗が駆けだして居なくなってから、青年は毎日のように夜斗の姿を家の中に探した。
もしかしたら今日は帰ってきているのではないか、人参をねだりに来ているのではないか、手拭い越しに撫で回してくれとせがみに来ているのではないか。
そんな淡い期待を抱きながら、ついて来ているはずのない足元を見ては、ため息をついて過ごしていた。
勤め先から戻った今も、解っているのに止められない期待をしながら、家の中を一通り見て回る。
やはり見当たらなかった夜斗の姿に、がくりと肩を落としてその場に座り込んだ。
あれから、今度は愛想をつかされないようにしようと色々と考えては、夜斗の姿がないことに打ちひしがれ、山で兎を見かける度に夜斗ではないかと駆け寄ってみては脱兎の如く逃げられることに打ちひしがれ、あの座布団に顔をうずめる度に微かに残った夜斗の匂いを見つけ、その匂いの元がどこにも居ないことに打ちひしがれた。
いい加減その行動にも、受け入れられない自分にも嫌気がさした青年は、ごろんと寝転がり、暗く曇り雨粒を落とす空を見上げた。
どうしてこの土地はこうも雨ばかり降るのか。
青年は、この土地の出ではない。
青年は役人という職業柄、地方より派遣されてこの村に住んでいて、普段は村人のために働いている。
村人の申し出を受けて、貴重な作物に害をなす獣を追い払ったり、田畑の手伝いをしたり。
勿論、役人としての仕事も熟しているが、ふとした時に青年が空を見上げる時は大抵雨か曇りだった。
日の光を見たことがない訳ではないが、あまり記憶にないところを考えると、やはりこの土地では太陽は雲の陰に隠れているのが常なのだろう。
しかし、今まで村人から零れてくる話を聞いている限りでは、この村は昔はちゃんと日が照っていたようだ。
青年は、いつ頃からこうなったのか何度か尋ねたことがあるのだが、その度に要領を得ない答えが返ってくる。
何かきっかけになるような出来事があった訳ではない、とのことだ。
しかしこうも雨が続いて、毎年このように米が穫れないということが続いては、生きてはいけない。
何とかしなくては、と頭を抱える青年だが、何も思い浮かばなかった。
しばらくの間、青年は頭を抱えたまま雨の音を聞いていた。
そうしているうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。
誰にも知られないうちに、日が落ちていたようだ。
しかし青年は明かりを付ける気力もなく、そのまま寝ころんでいた。
何をするでも、何を考えるでもなくぼーっと外を眺めていた青年は、やがて眠気に襲われてうとうととし始めた。
このまま一眠りしてしまおうと目を閉じかけた青年の視界に、何やら白いものが見えた気がした。
青年は不思議に思ってよく見ようと首を動かしたが、どうにも眠気に勝てずわずかに目を開けていることが精いっぱいだった。
青年が眠気と格闘しながら庭先に目を向けると、そこには白い塊があった。
その塊は、こちらに背を向けひょいひょいと動き回り、適当な場所に落ち着いた。
青年が回らない頭でよくよく見てみると、その白い塊は、兎だった。
兎――夜斗かもしれない、と青年は何の根拠もなくそう思った。
しかし、確かめようにも異常なまでの眠気に太刀打ちできず、眠ってしまわないようにじっと見つめていることしかできなかった。
兎――夜斗は、きょろきょろと周りを見渡し邪魔になるものがないことを確かめると、後ろ足で立った。
ひくひくと鼻を動かして雨の匂いを嗅ぐと、ぴょんと一度その場で飛び跳ねた。
それから夜斗は、飛び跳ねたり移動したり、前転したり遠くへ飛んだりと動き回った。
傍から見れば、ただ暴れまわっているようにしか見えないそれは、青年を悩ませるのに十分だった。
青年は、夜斗が何をしているのか理解できないまま眠い目をこすって見つめていた。
夜斗は、一度動き回るのを止めて天を仰いだ。
しとしとと雨が降っていて、夜斗の身体を濡らす。
ちらりと後ろを振り返ると、青年が夜斗を見ているのが分かった。
夜斗はすぐに前を向くと、ひとつ、柏手を打って歌い始めた。
うさぎ うさぎ
なに見て跳ねる
十五夜お月様 見て跳ねる
歌いながら踊り、時折天を仰ぎながらまた歌い、踊り。
それを何度も繰り返した。
青年には、夜斗が雨鎮めをしているように思えた。
まさかとは思ったが、もう自分が夢の中に居るのか、現に居るのかの区別がつかなくなっていた。
更には歌が聞こえてくるのだから、もう何が何だかわからない。
青年は、夜斗が歌を歌い、踊りながら雨鎮めをしているのだと思うことにした。
夜斗の踊りは適当だった。
米の収穫に頭を悩ませていた村人を見てから山の奥へ進み、そこに座していた神様に雨鎮めの方法を教えてもらった。
しかし、その神様も存外適当で、雨よ止めと祈りながら歌って舞えばいいとしか教えてもらえず、どのような歌なのか、どのような舞なのか、いくら聞いても何でもいいとしか答えは返ってこなかった。
なんて適当な神様だと憤慨しながら山を下りると、夜斗は青年の家に向かった。
特に何を言われた訳ではないが、何となく、誰にも見つかってはいけないような気がして、夜斗は隠れるようにしながら青年の家の庭先に忍び込んだ。
晴れるまで歌い踊り続ければいいとだけしか教わらなかった夜斗は仕方なく、今までずっと歌ってきた歌を歌いながら適当に跳ね回ることにした。
当然舞いとは呼べない程の物だったが、この雨がもう続かないようにと、次からの田植えはちゃんと行えるようにと、青年への感謝を込めて一生懸命に歌い踊った。
時折、本当にこれでいいのかと疑問に思ったが、気にしては駄目だとただ歌い踊ることに徹した。
途中踊りにかこつけて、青年がどうしているかと振り返ってみたが、眠気に耐えられなかったのか、がくりと首を落として眠っていた。
それならそれで都合がいいと、夜斗はいつの間にか雨足が弱くなった雨に嬉しくなりながら、踊り続けた。
うさぎ うさぎ
なに見て跳ねる
十五夜お月様 見て跳ねる
・・・・
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