第1羽



 それは、草が枯れて冬への準備が始まる季節。

 一人の少年が森を散歩していた。

 ここ最近、段々と寒くなっていく毎日の中で、珍しく温かい日の光を浴びながら、その少年は気の向くままに足を運んでいた。

 足下に広がる赤や黄色に染まった絨毯は、足を下ろす度にさくさくと音を立てる。風は土や冬の匂いを運び、鳥たちは束の間に降り注ぐ日の光の中で楽しげにさえずっている。

 少年が木の葉を踏みしめる音を楽しみながら歩いていると、やがて少し開けたところに出た。


 急に明るくなった視界に心が弾むような気がした少年は、両手を広げて感嘆の声を零しながらくるりと周りを見渡し、一番大きな木を見つけるとその根元にごろんと寝転がった。

 大きく息を吸い、伸びをしながらゆっくりと吐き出すと、なんとも清々しい気分になり、広く青い空を眺めながら鳥たちを目で追う。



「ここは良いな。今度、兄ちゃんとまた来よう」



 そう呟くと、少年は目を閉じ周りに何も居ないかと聞き耳を立てる。

 風が葉を揺らす音や、鳥のさえずりだけが聞こえてくる静かな森で、少年が危惧するような音は聞こえなかった。

 少年は安心したように大きく息をつくと、鼻歌を歌い始めた。



 うさぎ うさぎ

 なに見て跳ねる

 十五夜お月様 見て跳ねる



 余程気に入っているのか、少年が機嫌が良いときには必ずこの歌を歌う。




 この少年の名前は、夜斗。

 母と兄と三人でこの森から少し離れた場所に住んでいる。


 母は天真爛漫な夜斗が毎日泥だらけになって帰ってくるのを、困ったように笑いながらも許してくれる、優しい母。

 そして兄は、そんな甘やかされている弟を眉をしかめながらも世話をやく、これまた優しい兄だ。

 夜斗と兄は少し歳が離れていて、そのせいか兄は夜斗を構いたがる。

 先程から歌っている歌だって、調子が外れているだの、そんなに元気に歌うものではないだのと言われることがある。

 しかし夜斗も言われっぱなしでは気に食わない。

 かと言って兄ほど口は立たないので生意気に舌を突き出すことしかできない。

 喧嘩という程でもないが、そのやり取りを見て母は少し心配そうにする。


 そんな家族に囲まれて毎日を過ごす夜斗には、この世で何よりも嫌いなものがある。


 僧侶だ。


 夜斗からすれば、彼らは暗く陰険で、寺にこもって経を唱えるだけの得体の知れないものだった。


 夜斗の住んでいる家の近くに、新しい寺ができたことにより、出会いたくもない僧侶に出会うことが増えた。

 だから夜斗は、僧侶が居ないときを見計らって外に出ていく。

 そのせいで兄には毎日渋い顔をされるが、たまにこうやってお気に入りの場所やら食べ物やらを教えれば、それもすぐに引っ込むことを夜斗は知っている。


 ぶつくさと文句を言いながら夜斗に手を引かれてこの場所に連れてくるまでの兄の顔が、この景色を見たらどう変わるのだろうか。


 夜斗は頬が緩むのを感じながら勢いよく起き上がり、家に向かって駆け出した。早く兄に見せてやりたい。

 兄にお墨付きをもらえれば、今度は母も連れてここで過ごすのも良い。

 家に着くまでの間、夜斗の頭にはその事ばかりが巡っていた。



 家に着くと、中には誰も居なかった。珍しいことだ。

 いつもなら、母が夕食の支度をしながら夜斗の帰りを、食料調達に出掛けている兄の帰りを待っているはずだ。


 今日はどうしたのだろう。


 うろうろと家の中を見て回りながら、夜斗の心には段々と暗雲が立ち込める。


 食事の支度をした様子がない。

 母はどこに行ったのだろう。兄は今日も今日とて食料調達に出掛けているはずだが……。



 玄関の方で物音がした。誰かが入ってくるような、そんな音が。

 兄だろうか。いや、早すぎる。

 いつもなら周りが見えなくなる頃にしぶしぶ帰ってくる。


 だとしたら、もしかして――。



「あら、夜斗ちゃん。帰ってたの?ごめんね。ご近所さんと話し込んでたらこんな時間になっちゃった」



 母だった。

 どうやら母はご近所さんとの井戸端会議に出席していたらしい。

 よくあることだ。

 いつだったか、あまりにも母の帰りが遅いので何かあったのだろうかと兄と一緒に探しに行ったことがある。

 その時も母はご近所さんとの井戸端会議に出席していて、呆れたことがある。


 今日は早く終わったようだ。



「もう、母さん。僕はお腹が空いたよ。手伝うから兄ちゃんが帰ってくる前に早く支度を済ませようよ」


「そうね、そうしましょう」



 じゃあ、そこのお鍋に水を張ってくれる?とにこやかに笑う母を見て、それ以上怒る気は無くなった。

 やれやれと肩を竦めながら言われた通りに鍋に水を張る。

 今日はどんな話をしてきたのかと夜斗が問えば、母は楽しそうに答える。


 どこの家に新しく赤ん坊が生まれた。

 どこの家の子がいたずらをした。

 どこの奥さんの手料理が美味しい。

 そんなたわいない話を聞きながら、その後も手伝いをしていると、ようやく兄が帰ってきた。



「あ、兄ちゃんお帰り! もうすぐ支度ができるから、座っててよ」


「お帰り。あら、またずいぶんと沢山あるのね」



 床にどさりと音を立てて置かれた沢山の食料に、母はにこにこと嬉しそうに言う。



「今日も見つからなかっただろうな、夜斗。ただいま、母さん。もうめっきり寒くなったから、あまり出なくて良いように今日は張り切ったんだ」


「あら、そうなの? 助かるわ」



 これまたにこにこと兄と楽しく会話している母に、夜斗は溜め息をつきながらできあがった料理を並べていく。

 その端から手を伸ばしていく兄の意地汚い手を時折叩きながらも、夕食の支度が整った。

 家族みんなで料理を囲み、いただきますと食べ始めると、夜斗は早速兄に話を振った。



「ねぇ、兄ちゃん。今日は沢山持って帰ってきたから、明日は行かなくて良いんでしょう?」


「あぁ、明日はゆっくりするつもりだけれど、何かあるのか?」


「そうそう、夜斗ちゃん。今日はご機嫌だったものね。何か良いことでもあったの?」



 母に尋ねられ、緩む頬を隠しきれないまま、夜斗は話し始める。

 家から少し離れた森に、良い場所を見つけたこと。

 明日、兄と一緒に見に行きたいと思っていること。

 この時夜斗は、母と兄とで出掛けようと考えていることは敢えて言わなかった。

 母を驚かせようと、明日あの場所で兄に相談しようと考えているのだ。

 兄は夜斗の話を、興味深そうに何度もうなずきながら聞いていた。

 夜斗が話し終わると、兄は目を輝かせながら明日が楽しみだと言った。


 それからもしばらく家族団らんの時間は続き、片付けも済ませると、そろそろ寝ようとそれぞれの部屋に別れた。





 次の日、夜斗は早々に起き出し、いそいそと身支度を整えた。

 その勢いで兄を叩き起こし、母が用意してくれたお弁当を持ってあの場所へ出掛けた。







・・・・

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