第2羽



 夜斗が兄を叩き起こし、身を切るような寒さに凍えながら昨日の場所へと足を運んでいると、兄が恨めし気に呟いた。


 「朝が早すぎる」


 久しぶりにもう少し寝ていたかったなどと、案の定ぶつくさと文句を言いながら夜斗に手を引かれている兄に、時折文句を返しながらも、夜斗の足取りは軽かった。


 文句ばかりの兄を引き連れてようやく森の開けたところに出ると、途端に兄の文句が止んだ。

 夜斗がちらりと隣を盗み見ると、兄がぽかんと口を開けたままじっと景色に見入っている姿が見えた。

 それが妙に面白く、夜斗は声を上げて笑った。

 すぐに顔を引き締めた兄に小言を言われたが、そんな些細なことは気にならず、更に兄の手を引いた。

 転びそうになりながらも付いてくる兄に、嬉しさを押さえきれなくなり、終いには駆け出しながら、昨日見つけた大きな木の根元に案内する。

 その木を見て、また兄がぽかんと口を開けているものだから、また笑う。それを兄が咎める。

 そのやり取りが何故だか面白くて、夜斗はずっと笑っていた。


 しばらくじゃれていた兄弟は、一時休戦とばかりに木の根元に寝転び大きく広がる空を眺めた。

 今日も今日とて森は静かで、風は土や冬の匂いを運び、鳥たちは楽しげにさえずり、白くてふわふわした雲は流れていた。

 夜斗はそこでふと目的を思い出し、兄に声をかける。



「兄ちゃん。ここ、どう思う?」


「ん? あぁ。近頃では珍しい、とても静かで良いところだな」


「また来たい?」


「おいおい、来たばかりなのにもう次の話か? まぁ、本当に珍しく誰も居ないし、今度来るなら母さんと一緒に来たいな」


「だよね、だよね! みんなでここでお昼食べたいよね!」



 思った通りの兄の言葉に、夜斗はがばりと起き上がり、目をきらきらと輝かせながら兄に向ける。

 兄は夜斗の年相応の反応を見て、くすりと笑う。


 夜斗は年の割には少し大人びているところがある、と兄は見ている。

 本当ならまだ母親に、兄である自分にべったりと付いて回っていても可笑しくはないのだが、何がそうさせているのか、夜斗は自分のことは自分でこなし、あまつさえ母を手伝いをしたりとしっかりしている。



「全く。しっかりし過ぎて逆に可愛いげの無い弟だ」


「何? 何か言った?」


「いいや、何にも」



 にやりと口の端を吊り上げながらはぐらかして見せる兄に、夜斗は眉間にしわを寄せながらも気には留めないことにした。


 それからしばらくの間、またじゃれ合ったり、空を眺めたり、話をしたり雲を眺めたりと穏やかに過ごし、やがて夜斗のお腹が盛大に鳴った。

 お腹を押さえて少し恥ずかしそうにする夜斗を可愛いなと思いながら、母に持たせてもらった弁当を開く。

 夜斗と自分それぞれに作られた弁当を頬張りながらまた、じゃれ合ったり、話をしたり、空を仰いだり雲を眺めたりしながら過ごしていると、辺りは段々と暗くなる。

 そろそろ帰ろうと腰を上げて帰路に着く。


 今日の夕食は何だろう。


 他愛もない話をしながら兄弟仲良く歩いていると、もうすぐ家に着くといったところで誰かがうろうろと歩き回っている。



僧侶だ。



 兄弟は咄嗟に木陰に身を隠し、彼らの動きをじっと見つめた。

 何かを探しているような怪しい動きに、夜斗は身震いがした。

 それを感じ取った兄は夜斗の肩を抱き寄せ、息を潜めてじっと彼らを見ていた。


 やがて彼らは諦めたのか、すごすごと寺の方へ帰っていった。

 しかし兄弟はしばらくそのままじっとしていた。

 また戻って来るかもしれないと考えていなかった訳ではないが、正直に言うとすぐに警戒心がとけなかったのだ。


 奴らは何をしに来たのだろう。


 夜斗の頭にはその考えがぐるぐると巡っていた。

 やがて兄が夜斗の肩から手を離し、安心しろと言いたげに手を差し伸べてくるので、夜斗は思わずその手に縋った。


 怖かった訳ではない、と思う。


 いつも以上に警戒しながら家に入ると、いつものふわんとした母のお帰りの言葉に、兄弟の警戒心は消えた。

 ちょうど夕食の支度が整ったと言うので、家族団らんの時間を楽しむことにした。





少しの間、雑談を楽しんだところで、兄が言いにくそうに切り出した。



「母さん、嫌な話をして悪いが、外出する時は十分に注意してほしい」



 夜斗も食べる手を止めて様子を探るように母を見る。

 珍しい兄弟の様子に心なしか厳しい顔になりながら、母が何があったのか尋ねる。



「別段、何かあった訳じゃない。けれども、さっき家の近くに僧侶がうろついているのを見た」



 先程の様子を思い返しながら兄はぽつりぽつりと話していく。



「何かを探しているようで、手には鉈を持っていたよ。これから外に出る時は、いつもより注意してほしい」



 僧侶が鉈を持っていたことは、夜斗も驚いた。

 薄暗かったからというのもあるだろうが、またいつものようにただうろついているからだと思っていたことが、見落とした原因だろう。

 家族団らんの場に緊張が走る。



「わかったわ。これからは十分注意するようにするわね。ご近所さんにも伝えておくから、あなたたちも気をつけなさい」


「うん」


「あぁ」



 母の言葉に兄弟は素直にうなずき、これからのことを考える。

 すっかり暗くなってしまった食事に母が明るく先を促す。



「それじゃあ、ごはんが冷めちゃう前に沢山食べちゃいましょう」



 母の声に、兄弟はしっかりとうねずき、また食事を再開する。

 母に、夜斗が新しく見つけた場所はどうだったのかと聞かれ、兄弟は思い思いに母に報告する。

 今度、家族で出掛けようと夜斗が言うと、母はきらきらと顔を輝かせながらお弁当作り頑張らなくちゃ、とはしゃいでいた。


 次の日から家族は、外出の際には僧侶に見つからないように十分に注意し、暗くなる前には家に帰る、という行動を取っていた。

 その甲斐あってか、あれから僧侶と鉢合わせすることはなく、平和な日々が過ぎていった。






・・・・

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