第7羽





※ 残酷な表現があります。閲覧には注意してください。











 うさぎ うさぎ

 なに見て跳ねる

 十五夜お月様 見て跳ねる







 母さんも、兄ちゃんもいなくなった。

 兄ちゃんを置いて僕は逃げた。

 僕は、ぼくは、ボクハ――









 あれから何日も何日も経って、夜斗は雪の深いところに辿り着いた。

 その地域には、夜斗以外にも沢山の兎たちが居て、弥彦山という所に住んでいた。

 夜斗が弥彦山に入ると、生き物の気配がしなかった。それはそうだ。

 兎は冬眠こそしないものの、警戒心は一際強いのだ。

 おいそれと顔を出す訳がない。


 夜斗はこのところ、特に何も考えず気の向くまま、足の向くままに歩いてきた。そろそろ移動するのも疲れたのでここいら辺りで春がくるまで落ち着こうとしているのだ。

 雪は深いがここに住む者は多いようだ。

 ならばまず食糧をと簡単に探してみたが、意外にも食糧はそこそこ見つかった。

 これなら春までの間、少しずつ食べていけば無くなることはないだろうと安心して、早速今日の分を調達した。


 もう夜斗には、今自分の食べている物が何なのかさえ、考えることをやめてしまっていた。

 何も考えず、何にも興味を示さず、何を聞いても何を見ても何をしても、夜斗の心は動かなかった。

 夜斗はふと、気配に気がついた。

 暗くうつむきながらもそもそと食べ物を食んでいた夜斗は顔を上げ、耳をぴんと立たせた。

 白い雪が辺り一面に広がっているその中に、一匹の兎が居た。

 こちらを見ている。

 その兎はじっとこっちを見たまま動かない。

 夜斗もじっと動かないまま相手の出方を窺った。

 よくよく考えてみれば、いくら大きな山といえども一匹一匹の縄張りは知れているだろう。

 どうやら夜斗は、あの兎の縄張りに踏み入ってしまっていたらしい。


 ふと夜斗が考えることに意識を向けた隙に、あの兎に距離を詰められていた。

 気付いた時にはもう遅く、逃げようと駆けだした途端に噛み付かれた。

 痛み故の一瞬の躊躇いを見逃さなかった兎は、たたみかける様に夜斗を何度も蹴り上げる。

 近頃、ろくに食事もせず歩き通しだった夜斗は痛みと疲れで反撃ができない。

 一方的に攻撃されるだけだった。

 兎は気が済んだのか、ふんと荒い鼻息を一つ残して去っていった。

 夜斗はしばらくそこから動けないまま灰色の空を眺めていた。

 縄張り争いに負けたことに対して、悔しいだとか不甲斐ないだとか、そういう感情は今の夜斗には無かったが、なぜだかどうして。

 夜斗から零れ落ちる温かい雨は、周りの雪をわずかに溶かすだけだった。

 夜斗がようやく動けるようになったのは、日も暮れ果てた頃だった。




 それからというもの、夜斗は他の兎とは行動が被らないように、見付からないように、鉢合わせしないように。

 こそこそと、隠れるようにして過ごした。

 ある時は他の兎が食事を終えたあと、残飯を漁るかの如く食べこぼしを集めて食べた。

 ある時には食糧を集められるだけ集め、身を潜めながら他の兎の行動に用心深く目を走らせながら急いで食べた。

 ある時には他の兎の気配がすると、持てるだけの食糧を持ってその場を離れ、場所を変えながら食べた。

 もちろん食べかすなんて残さない。

 少しでも痕跡を残せば、また縄張り争いをけしかけられる。

 溜まったものではない。

 夜斗はここに長居する気はさらさらないのだ。

 行く当てがあるわけではないが、とにかく遠くに行くつもりだった。

 兄がそう言ったから。


 しかし、そんな夜斗の行動も意味をなさなかった。

 それもそうだろう。

 この山に来て夜斗が最初に縄張りに踏み込んだ兎は、当然他の兎に夜斗の存在を報告していた。

 しかし、あれからとんと見かけない代わりに食事場所が食べかすもなくきれいさっぱり片付いていたり、あるはずだった食糧が無くなっていたり、殺気にも似た気配が漂っていたりするのだから、他の兎たちの間で噂は広がる。


 よそ者は出て行った訳ではないようだ。

 我らの食糧を食い荒らしている。

 しかし、掃除もしている。

 何とも奇妙だ。

 奇天烈だ。


 こんな噂ばかりが広がるものだから、この山でここいら一帯の兎をまとめている頭は仕方なく重い腰を上げた。

 追い出すにせよ、追い出さないにせよ。

 まずはこの噂の原因をこの目で見ないことにはと、主に食事場所の巡回をすることにした。

 それから何度目かの巡回の途中、とある食事場所に殺気にも似た気配が漂っていた。

 頭は警戒しながら見回すふりをし、夜斗が隠れている場所を見つけた。

 しかしすぐに攻撃することはせず、一旦他の兎が集まっている場所へと引き返した。

 夜斗は頭が居なくなると安心して若干警戒を緩めて食事を再開した。


 そろそろ腹が満たされるかというところで、背後に気配を感じた。

 慌てて振り返ると、頭が夜斗を見下ろしていた。

 夜斗の背中に冷たいものが伝うのを感じた瞬間に、蹴り上げられた。

 夜斗の身体が宙に舞い、一度解けた後に冷え固まった雪の上に叩きつけられる。

 くらりと揺れる頭を軽く振りながら、夜斗は何が起きのか理解しようと周りを見る。

 いつの間にか他の兎に囲まれていた。

 目の前には頭の姿。

 逃げ場はどこにも無い。

 頭は躊躇うことなく夜斗に近づいてくる。

 夜斗は脱兎の如く輪の外へ向かって走り出したが、頭の方が速かった。

 瞬く間に追いつかれ、噛み付かれる。

 その痛みたるや、初めて縄張り争いをした時の比ではない。

 夜斗の毛はむしり取られ、ふわふわと雪の上にばらまかれる。

 夜斗は尚も別の場所から輪の外へ逃げようと走り出す。

 しかし、その輪が途切れることはない。

 それどころか、輪に近づこうものなら蹴り飛ばされ、輪の中心に戻される。

 そんなことを繰り返していては、夜斗がどうなるかなど、火を見るより明らかだ。

 案の定、走り続け蹴とばされ続け追いかけ回された夜斗は、へとへとになってその場に倒れた。

 荒い息をしている夜斗の様子に、もういいだろうと兎たちが去る様子はない。

 むしろ頭は、早く立てと言わんばかりに夜斗を見ている。

 

 それからどのくらいの時間だ経ったのだろう。

 夜斗の毛はところどころ血が滲み、周りの雪も赤く染めていた。

 周りの兎はやんや、やんやとはやし立て、頭は許す素振りを毛ほども見せない。



「おい、立て。俺たちの餌場を荒らしておいて、生きていられると思うなよ。お前は見たところ、家族と幸せに暮らしてきたのだろうが、何故こんなところに居る? 甘えん坊は母ちゃんの乳でも吸っていろ」



 頭の、夜斗の一切を馬鹿にした言葉に、夜斗は何を思ったのか、ふらりと立ち上がると真正面から頭と対峙した。



「お、頭相手にやる気か?」


「まさか。あいつも力の差はよく解っているだろう。土下座するのさ」


「ああ、そうか。そうすりゃ許してやりますよね、頭」


「ただしこの山から出て行けよな。お前みたいな卑怯者に食わせてやる食糧なんて、ここにはないんだからな」


「……ひ、きょう、もの?」


「ああ、そうさ。お前のことだよ!」


「……卑怯者」



 周りの兎の野次に、夜斗は俯いてぶつぶつと何か呟き始めた。

 そんな様子を見た兎たちは気味悪がって、一層の野次を飛ばす。



「おい、どうしたあいつ。頭でもおかしくなったか?」


「おい、卑怯者! いいからさっさと頭に謝ってここから出て行けよ」


「そうだ、そうだ! 出て行け!!」


「おい、お前ら……」



 頭が止めるのも聞かず、兎たちは口々に野次を飛ばし、更には雪まで投げつける。

 夜斗は投げつけられた雪が顔に当たろうが、傷に当たろうが気にすることなくぶつぶつと呟いている。



「おら、そこから動くのも出来ないってのか、この臆病者!!」


「ほら出てけ、臆病者!」


「そうだ、そうだ! 臆病者の卑怯者!!」






「……っさいよ」


「あ? 何だって? 聞こえねえよ!」



 まるで蚊の鳴くような小さな夜斗の声に、苛立った一匹の兎が夜斗の顔を目掛けて雪を投げつける。

 それが直撃し、夜斗は膝をついた。

 それを見た他の兎たちが更にたたみかけようとしたところに、頭の制止が入った。

 頭の言いつけならばと誰もが手を止め、頭と夜斗をじっと見つめる。



「おい、ここまで言われて悔しくないのか、お前は」



 頭の問いかけに、夜斗はゆっくりと立ち上がり、次の瞬間。



「お前らに何が解るってんだっ……!!」



 どこにそんな力を隠していたのかと思うほど高く飛び上がり、頭に掴みかかった。

 頭はすぐに夜斗の拘束から逃れて兎たちの方へ放り投げる。

 すると夜斗は目の前に見えた兎を一殴りしてからまた頭に掴みかかる。

 殴られた兎は思わずその場に倒れこみ、きょとんとしながら夜斗を見つめる。

 そして頭が夜斗を投げ飛ばすと、夜斗はまた目の前の兎を一殴りしてから頭へ向かう。

 ようやく何が起こったか理解した兎たちは、今までよりもより一層はやし立てながら夜斗の反撃を見ていた。

 そうしているうちに頭の体力も徐々に削られ、お互い荒い息をしながら向かい合う。

 もう夜斗の身体は血だらけで、頭に至っては夜斗が放った拳を右目にもろに受け、もう見えていない。

 夜斗の体力はとうに限界を超え、その場に倒れこんだ。

 そのまま動かない夜斗に、頭は安堵したように息をつくと、同じように倒れこんだ。

 途端に周りの兎からは歓声が上がり、皆それぞれに頭や夜斗を取り囲み、双方を称えた。

 夜斗は薄れていく意識の中、今にも雪が降りだしそうな濃い灰色の空を眺めていた。






・・・・


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