第8羽



 ふと、身体中の痛みで目が覚めた夜斗。

 動く限りに首を動かして周りの様子を見る。

 そこは巣穴のようで、しっかりとした壁が見えた。

 夜斗はご丁寧にふかふかの藁の上に寝かされており、兎が一匹、あれやこれやと忙しなく動き回っているのが見えた。

 夜斗が目が覚めたことに気が付いたのか、その兎が嬉しそうに声を掛ける。



「目が覚めましたか? ずいぶん長い間眠っておられましたね。頭はとうに起きてますよ」



 そんなに眠っていたのか、と他人事のように感じながら身体を起こそうとした夜斗は、まるで固い岩に全身を打つ付けたかのような激痛に思わずうめいた。

 声を掛けてきた兎が慌てて夜斗に駆け寄り支えることで、何とか身体を起こすことが出来た。


 この兎の話によると、夜斗はあの頭に立ち向かい、尚且つ手傷を負わせられた唯一のものとして仲間に引き入れられた挙句、ここいら一帯にいる兎の二番手にまで登り詰めたらしい。

 たったあれだけの出来事で。

 それだけこの山の兎たちにとって、あの頭の存在が大きいのだと知った。



「だからどうしたというんだろう……」



 興奮気味に今までのことを聞かせていたあの兎は、今は夜斗の目が覚めたことをみんなに知らせに行っている。

 夜斗からすれば、何をそんなに興奮することがあるのだろうかと疑問に思うが、あの兎は気が弱いらしく、頭の存在に怯えて暮らしていた。

 そこへ夜斗が現れてあの頭に手傷を負われたのだから、あの兎にとって夜斗は英雄のように映ったようだ。



「どうでもいいかな……」



 だからといって付き纏われてもどうしようもない。

 

 そう結論付けて夜斗は再び寝転がった。



 うさぎ うさぎ

 なに見て跳ねる

 十五夜お月様 見て跳ねる



 夜斗はここ最近、何も考えたくない時、考えることが面倒だと感じる時にはこの歌を歌う。

 もうからかってくれる相手もいないが、どうしてもこの歌だけは歌わないではいられない。

 そっと目を閉じて、歌うことだけに意識を集中させていると、穴の入口が騒がしくなった。

 夜斗が煩わしそうに視線の向けると、さっきの兎が他の兎を押し退けながら前へ出る。



「今しがた目を覚まされたばかりなんです。皆さんお静かに」



 しかし他の兎はそんな言葉は気にも留めず、どかどかと穴に入ってくる。とある兎がこれまた興奮気味に夜斗に話しかけた。



「お前、俺のこと覚えてるか? お前が一番に殴ったんだ」



 よく見れば確かに、頬のあたりが青紫色に腫れている。

 だからと言って夜斗は全く覚えていないし、覚えていたとしてもだから何だと言ってやりたかった。

 そんな夜斗の考えが顔に出ていたのか、顔の腫れた兎は言葉を続けた。



「いやいや。謝れって言ってんじゃねえんだ。そんなことはどうでもいい。それよりもあの頭に怪我させるたあ、大したもんだと思って一言言いたかっただけだ。俺はお前を見直したよ」



 その兎を皮切りに、次々と夜斗を賛辞する言葉が続いたが、いかんせん皆が勝手それぞれに口にするので、結局どれも聞き取れなかった。

 そろそろ身体に障るからと、看病を申し出た兎によってその場は何とか収まったが、今回のことで、夜斗は一目置かれたようで、夜斗が療養していると日を開けず誰かしらが声を掛けに来る。

 しまいには頭まで顔を見に来る始末で、夜斗はもうすっかりこの山の一員となっていた。


 夜斗の傷が徐々に癒えてきた頃。頭が夜斗のところへやって来て、見舞いに来ていた兎や、今までずっと看病していた兎も一緒に穴から追い出した。

 頭は、共に連れていた兎たちに誰も入れるなと命じると、夜斗に向かい合った。

 夜斗もただならぬ雰囲気を感じて起き上がると、頭が話し始めるのを待った。



「何だよ。用がないなら寝るけど」


「……おい、坊主。お前、そろそろ怪我ぁもういいだろう。これからは俺の右目になれ」



 何を言っているんだ、こいつは。

 夜斗は率直にそう思ったが、反論する前に頭は腰を上げる。



「おい、待て。僕は春にはここを――」


「構いやしねえ。とにかく、明日は起きて来いよ」



 それだけ言い残すと頭は穴を出て行き、少しして看病に戻ってきた兎は不思議そうに夜斗に尋ねた。

 夜斗は明日から頭の右目になるように言われたことを告げると、ふてくされたように寝転がってそれから動こうとしなかった。


 次の日の朝、夜斗は仕方なく穴を出て頭の下へ向かった。

 そこには既に多くの兎が集まり、夜斗を見るなり歓声が上がった。

 頭は夜斗を自分の隣に呼び寄せると、皆に向ってこう告げた。



「こいつは今日から俺の右目だ。もう解ってるだろうが、こいつにゃ並大抵の奴じゃ勝てやしねえ。間違っても手ぇ出すんじゃねぇぞ!」



 頭の言葉に、兎たちは思い思いに声を上げると、夜斗に羨望の眼差しを向ける。

 夜斗は迷惑そうに顔をしかめ、周りを見回した。

 すると、あのいつも纏わり付いて看病していた兎が夜斗をじっと見つめ、目が合うとめいいぱいに顔を輝かせながら手を振った。

 そんな幼い仕草に思わず笑みをこぼすのを、頭は見ていた。




 それからしばらくの間、夜斗は頭の右目となり右腕となり、いろいろと扱き上げ、いやいや教わりながら過ごしていた。

 しかし突然、状況が変わった。


 頭が居なくなったのだ。


 当然のように兎たちは次から次へと夜斗の元を訪れ問いただす。

 しかし夜斗は何も聞いていない。

 昨晩のうちに群れを出たのか、今朝出て行ったのかも判らない。

 確実に分かることと言えば、このところ頭はやたらと夜斗に目をかけていた。

 仲間内でもめ事が起きれば必ず夜斗を連れて行き、解決する様を見せ、時には夜斗に任せきりにしていたし、狐などが縄張りに踏み込んだとの知らせを受ければ夜斗に追い出してくるよう言いつけた。

 今思えば、頭という役割を夜斗に継がせるためだったのだろう。

 それが解ったところで夜斗には迷惑でしかなかったし、これから先この群れをまとめていくつもりもさらさらない。

 しかし、夜斗にそんなつもりはなくても誰かがこの群れをまとめていかねばならない。急遽兎たちが集まり、次の頭は誰かという題目の元、会議が開かれた。

 結果は分かりきっていた。

 居なくなった頭が夜斗を贔屓にしていたこと。

 この群れに引き入れられる切っ掛けとなった出来事のこと。

 何よりも、夜斗が持ち込まれる問題をそつなく熟してきたことが決定打となった。

 余計なことをするんじゃなかったと、今更後悔しても、もう遅い。

 辞退を申し出る雰囲気では決してなく、もう新しい頭の座に治まることしか、夜斗には残されていなかった。



「なんなんだ、全く……」



 そうひとりごちて頭を抱える。そんな夜斗の隣に、看病を買ってでていた兎が遠慮がちに座り、夜斗の様子を窺う。

 夜斗が煩わしそうに視線を送ると、その兎はあわあわと手をばたつかせる。

 お前もなんなんだと、何も言わず眺めていると、その兎はおずおずと口を開いたた。



「た、大変なことになりましたね……。でも! 夜斗さんが新しい頭になってくれて、僕は安心しています。前の頭は怖かった……」


「……僕は春にはここを出て行くんだ。頭なんてやってられない」


「え、でも……」


「あーあ。このまま平和に春を迎えられたらいいのに。今ここで問題が起こったら解決するまで抜けられないじゃないか」


「問題……」


「お前、くれぐれも何かしでかすんじゃないよ」


「は、はい……」



 そのまま気弱な兎を放って横になり、考えるのをやめた。



 うさぎ うさぎ

 なに見て跳ねる

 十五夜お月様 見て跳ねる



 それからさして日を開けず、問題は起きた。

 食糧が足りなくなったのだ。

 この年の秋は冷える日が多く、食糧があまり育たなかったのだ。

 夜斗からしてみれば、ここは豊富な方だと思っていたのだが、いかんせんこの群れの兎は数が多い。

 底をつくのも時間の問題だったのだろう、気が付かなかった。

 頭も言ってくれればいいのにと、胸の内で悪態をつきながら頭を抱える。

 何故かそばに控えている気弱な兎は、ちらちらと夜斗を盗み見ているし、他の兎も何とかしろと無責任な事を言ってくる。

 だから嫌だと言ったんだ。

 どうしたものかと頭を悩ませる夜斗に、一つの考えが浮かんだ。



「里へ下りよう」



 夜斗の言葉にその場に居た全員が目を丸くする。

 当然だ。

 前の頭からは何があっても決して山を下りてはならず、食糧は自分たちで必要な分だけ調達するようにときつく言われていたのだ。

 抵抗を見せる兎たちに、夜斗は苛立ちながら言う。



「死ぬよりはいいだろう、仕方ない」



 その言葉に、兎たちは納得したように頷き次々に里へ向かっていった。

 その場には気弱な兎と夜斗だけが残された。

 気弱な兎は何か言いたそうだったが、夜斗が睨みつけるとびくりと肩を震わせてすぐに他の兎たちと共に里へ向かった。

 夜斗は大きなため息をつくと灰色の空を仰いだ。

 今にも雪が降りそうな程冷えた、とある昼下がりのことだった。


 それから兎たちは度々里へ下りて田畑を荒らすようになった。

 兎は本より警戒心が強くすばしっこい生き物なので、里の人たちが捕まえようと試みてもことごとく失敗に終わった。


 食糧の問題は解決したように思われたが、夜斗のやり方をよく思わないものが現れ始めた。

 気が弱いもの、前の頭の言いつけを守るもの。

 彼らは里へは下りず、残り少ない食糧を最低限に食べて過ごしていた。

 夜斗に直接何か言うわけではないが、身を潜めるようにして静かに数を増やしていった。

 そんな暮らしがしばらく続いた頃、更に大きな問題が起きた。

 

 弥彦山に座する、彌彦の大神が夜斗に会いたいと申し出てきたのだ。




・・・・

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