第9羽



 彌彦の大神が夜斗の前に鎮座してる。

 他の兎は彌彦の大神を恐れて寄り付きはしないものの、遠巻きに様子を見ている。

 あの気弱な兎も当然のように隣に居ない。


 夜斗は彌彦の大神がどれほど恐ろしいのか解らない。

 ただ、確かに神様というだけのことはあって、厳かな雰囲気は漂っている。

 何か夜斗に用があって来たようだが、先程から何も言わずずっと夜斗を見ている。

 さてどうしたものかと、無意識にため息をついた夜斗の見咎めたかのように彌彦の大神が口を開いた。



「頭が変わったのだね。きみは他所から来たのか」


「そうですよ。それが何か」



 不遜な態度の夜斗に、遠巻きに見ている兎たちはざわざわと声を立てる。

 煩わしそうに夜斗を視線を向けると、瞬く間に口はつぐまれた。



「ふむ、そうか。それはさておくとして。私がきみに会いに来たのは、里の者たちにある頼まれごとをしたからだ」


「はあ……」


「先程里の者がね、この山に居る兎たちが田畑を荒らして困っていると申し出てきた。何とかしてくれ、とね」


「まあ、そうですよね」



 悪びれもしない夜斗の態度に、彌彦の大神の眉間にしわが寄る。

 その様子を見た兎たちはざわりと声を上げ、更に遠巻きになった。



「きみたちはどうして里の者を困らせるのだね?」


「生きるためです」


「生きるためには何をしてもいいと?」


「では死ねとおっしゃるんですか?」


 やれやれ。口には出さないものの、彌彦の大神は肩を竦めながらゆっくりと息をついた。



「この山には、きみたちが食うに困る程食糧を残していなかったかね? 私はちゃんと一冬を越せる様にしていたはずだが」


「そうはおっしゃられても、現に食糧がありませんので」


「よく探しなさい」


「探しましたとも」


「……」


「……」



 今にも張り裂けそうな空気の中、彌彦の大神と夜斗は静かに互いを見ていた。

 

 弥彦の大神はこれ以上何を言っても無駄だと思ったようで、あからさまに首を振りながら立ち上がった。

 兎たちの間に緊張が走る。



「いいかね。もう二度と、里の者達が丹誠込めて作った田畑を荒らすことのないように」



 それだけ言い残すと彌彦の大神は兎たちの中を静かに進んでいく。

 すっかり怯え切った兎たちは即座に道を開けて平伏する。



「承知いたしました、彌彦の大神様」


「もう二度と田畑を荒らしに下りません」


「どうかお許しくださいませ」



 口々に哀願する兎たちに目もくれず、彌彦の大神は帰って行った。


 彌彦の大神の姿が見えなくなると、兎たちは夜斗の周りに集まってきた。

 気弱な兎はいつの間にかちゃっかりと、夜斗の隣に座っている。



「どうする。彌彦の大神様が出て来られたからにはもう里に下りられない」


「構わないじゃないか。こっちは食うに困っている。何を恐れることがあるというんだ」


「あの彌彦の大神様が直々に来られたんだぞ、そんな訳にはいくか」


「あのってどのだよ……」



 相変わらず不遜な態度の夜斗に、一匹の兎が話して聞かせる。



「あんたは他所から来たから解らんだろうが、彌彦の大神様は恐ろしい方なんだ。里の奴らが彌彦の大神様に教わってせっかく作った塩が夕立に流された時には、あの雷様をお叱りになった。そのおかげでここには夕立も振らなければ雷も鳴らない。そればかりか、彌彦の大神様はお妃さまを護るためとはいえ、遠ざけていたお妃さまが追って来ないように、彌彦の大神様の姿を見てしまい口止めをしたにも拘らず口を割ってしまったきこりを石にするようなお方だぞ。恐ろしくない訳があるか」


「だからそれがどうしたって言うんだ。現に食糧は無いんだぞ」


「彌彦の大神様も言っておられたじゃないか。食糧は一冬越せるだけちゃんと残してあるって」


「だから無いじゃないか!」



 埒が明かない言い合いに、夜斗は辟易していた。

 これ見よがしに大きくため息をつくと、がしがしと頭を掻いた。



「このままじゃ皆死ぬぞ」


「彌彦の大神様に逆らっても死ぬ」


「じゃあどうするってんだ」


「助けてもらおうではないか、他でもない彌彦の大神様に」


「勝手にしろ、僕は嫌だ」



 すっかり怯え切った兎たちに苛立ち、夜斗は吐き捨てるように言うとその場を後にした。

 気弱な兎が恐る恐るといったように後ろをついてきたが、今の夜斗にはどうしてやることも出来なかった。



「あ、あの……頭」


「何だ。お前もついてくる気か」


「……」



 他の兎がああなのだ。この気弱な兎が彌彦の大神とやらに逆らえるはずがない。

 それでもついて来ようとする気弱な兎に、夜斗は思わず笑ってしまった。

 きょとんとする気弱な兎は心配そうに夜斗を見つめ、困ったように眉を下げる。

 ひとしきり笑い終わった夜斗は気弱な兎に向き直った。



「お前はついて来るんじゃない。誰よりも気が弱いくせに、こんなくだらないことで意地を張るな」


「でも、それだと頭が――」


「いいから。他の誰がついて来ても自己責任だと一蹴してやれる。でもお前だけはついて来るんじゃない。な?」



 いつだったか、兄が自分にしてくれたように気弱な兎の頭を撫でる。

 自然とそんな仕草をしている自分に内心驚きを隠せない夜斗だったが、真ん丸な目を向けてくる気弱な兎に軽く笑って誤魔化すと、そのまま里へ下りて行く。

 もう気弱な兎がついて来ることはなかったが、夜斗はもう一度振り返ると気弱な兎に手を振った。


あいつの分も取って来てやろう。


そう考えながら、久しぶりに温かい気持ちになった夜斗は得意な鼻歌を歌いながら山を下りて行った。



 うさぎ うさぎ

 なに見て跳ねる

 十五夜お月様 見て跳ねる







 里の者が居ない時を見計らって畑へ行き、いくつか食べ物をぶっしょくする。

 この際、主食だ何だと言っていられない。食べられそうなものは何でも食べなければ。

 もうすぐ春が来るだろう。

 そうすれば、自分はここから出ていける。

 そう言い聞かせながら畑を転々とする。

 そろそろ両手がいっぱいになるかという頃、山の方から重たい空気が流れてきた。

 夜斗は思わず両手の物を取りこぼす。

 この気配は知っている。

 つい、今しがたこの気配の前に居た。

 いや、あの時のそれよりも、より重たく息が詰まりそうだ。

 

 夜斗はすぐ後ろに大きな気配を感じた。

 ゆっくりと振り向くとそこには、般若のように顔を歪めた彌彦の大神が、夜斗を見下ろしていた。

 一際強い風が吹く。

 今にも吹き飛ばされそうな程強い風が。

 そろそろ春が来るらしい。





・・・・

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