第14羽



 夜斗が月に昇って少し経った。

 月に来てすぐの頃は、何がどうなっているのか状況が呑み込めず、おろおろとして過ごすばかりだった夜斗は、今ではそれなりに月での生活に慣れたようだ。

 しかし、ふとした時に地上を見下ろす習慣は、止めることができなかった。


 今頃猿は何をしているのだろうか、狐は何をしているのだろうか。

 彌彦の大神はまた怒ってなどいないか、あの旅装束の老人は元気になったのだろうか。


 見下ろしたところで誰の様子が分かる訳ではないが、夜斗はどうしても気になった。

 そうして覗き見ては、何も見えないことにがっくりと肩を落とす。

 夜で暗いから見えないのだろうかと考えた夜斗は、朝を待ってみたがやはり見えなかった。

 初めの頃は、毎日のように地上を見下ろしてみたが、今では日を空けるようになった。

 特にこれといった理由はないが、夜斗は一人ぼっちの寂しさをまざまざと見せつけられたようで、少し寂しかったのかもしれない。

 やがて夜斗は、地上を見下ろす度にひとり涙を流し、しゅんとすることが多くなった。

 その様子を哀れに思われたのか、ある日夜斗は地上に降りることを許された。

 それから地上に降りる日まで、夜斗は毎日どこへ行こうかと考えて過ごすようになった。

 それまであまり浮かべていなかった笑みが、また夜斗の顔を彩るようになった。

 しかし、いざ許可が下りると、夜斗はどこへ行っていいか分からなくなった。

 今までの出会いを再び訪れようかとも思ったが、何分顔向けできるような別れ方をしていない夜斗は、すぐには会いに行くことはせず、新たな出会いを求めて新天地を選ぶことにした。

 こうして月の上から見てみると、夜斗が長い旅をした気になっていた道のりは、案外短かったことを知る。

 それならば、元居たところよりももっと遠くへ行こうと考えた夜斗は、賑やかそうなところはないかと探した。


 夜斗は、何やら人間が集まっているのを目にすると、興味深そうにじっと見入った。

 そこには、人間が川縁に集まり、川では船が行きかい松明を焚いて人間が鳥を操っている。

 面白そうだと行先の一つに定めた夜斗は、ふといつも真っ暗な地域を見つけた。

 そこはいつも雲に覆われたようなもやがかかっていて、何やら湿気た匂いがしていた。

 夜斗は、いつも雲で覆われたそこに、いったい何があるのか確かめたいと思い、一番最初に訪れようと決め、その日はもう眠ることにした。

 地上に降りられる日を指折り数えながら、白けてきた空に小さくおやすみ、と呟くと、夜斗は足取り軽く寝床へ戻った。



 うさぎ うさぎ

 なに見て跳ねる

 十五夜お月様 見て跳ねる






 夜斗が地上に降りる日、目的地は相も変わらず湿気た匂いがしていた。

 月が出ている間に地上に降りた夜斗は、霧のような雨の中でひょいひょいと足を進める。

 しかし生憎ながら今は夜で、夜目の利かない夜斗には初めて降り立つ土地に疎かった。

 仕方がないので今夜は散策することを諦め、眠ることにした。

 さて、寝床はどこにしようかと山を散策していると、手頃そうな木のうろを見つけると、雨宿りもかねてそこで休むことにした。

 どうしていつも曇っているのだろうか、もしかしたらこの山にも神様がいるのかもしれないから日が昇ったら散策へ行こうと考え、夜斗はうろの中で日が昇るのを待った。



 うさぎ うさぎ

 なに見て跳ねる

 十五夜お月様 見て跳ねる



 どうやら夜斗は、機嫌がいいようだ。






 いつの間にかうたた寝をしていたようで、夜斗は入り込んでくる薄日を浴びて目を覚ました。

 雨は止んだようなのだが、うろから一歩踏み出すとしっかり水気を吸った苔が夜斗の足を濡らした。

 清々しいとは言えないが、朝は朝だと伸びをしながら散策に行くことにした。

 山は、季節的にはとても食べ物が豊富な時期のようで、いろんな木の実や花や草が転がっている。

 夜斗はそれらをつまんでもぐもぐと口を動かしながら山の頂上へ向かった。

 麓の様子はどうなっているのか、神様は居るのかなど確かめたいことがあったからだ。

 どうやらこの山はあまり人が入らないようで、苔むした倒木や岩、夜斗が見たことがない植物がたくさん生えている。

 その一つ一つを見つける度に、夜斗は興味深そうに近寄り観察した。

 倒木の下を潜り抜け、何やら見慣れないものがあることに気付いた夜斗は、興味津々にそこへ向かう。

 もう少しで正体が分かりそうなところで、片方の足に激痛が走った。

 振り向くと、夜斗の足に罠が噛み付いていた。

 痛みと不快感にめいいっぱいに顔をしかめながら、夜斗はため息をついた。

 こうやって痛い思いをするのは何度目だろうか。

 そんなことに考えを巡らせていると、雨が降ってきた。

 これじゃあ、泣きっ面に蜂じゃないかと、本当に泣きそうになりながら夜斗は天を仰いだ。

 散策を始めてから然程時間は経っていないと思うのだが、辺りは夕暮れ間近のように薄暗かった。

 夜斗は、自力で罠を外そうかと考えたが、どう見ても足掻いたところで傷口が深くなり、ひいては片足を失いかねないので諦めることにした。

 かといって、誰かが助けてくれる当てもないので、夜になるのを待って月に訴えてみようかと、他人事のように考えていた。


 少しして。

 夜斗の毛並みがすっかり雨に濡れてぺたんとしてしまった頃。

 足音がした。

 人間の足音だ。

 夜斗は、また食われるのかと投げやりにその場に身体を横たえると、足音の主が現れるのを待った。

 そして足音の主の姿が露わになる。

 夜斗が目を上げたそこに居たのは、罠にかかった夜斗を見て驚いている青年だった。



「どうした、罠にかかったのか? 今外してやるからちょっと待ってろ」

 


 そう言って近づいてくる青年に、夜斗は嫌な気はしなかった。

 人間に対してこんな風に思うのは、猿や狐と一緒に居た頃以来だなと他人事のように考えている間に、罠の冷たい感触が夜斗の足から離れた。

 青年は夜斗の傷口を見ると困ったように眉を下げ、自らの懐や手荷物を探った。

 さすがの夜斗も、青年の怪しい行動に眉根を寄せて見ていたが、手荷物から小型の鉈が取り出されたのを見て一目散に駆けだした。


 食われる。

 こいつは絶対僕を食う気だ!!


 しかし、怪我をした足では上手く走れず、すぐに青年に捕まってしまった。

 夜斗は出来得る限り暴れたが、簡単に抑え込まれて青年の懐に抱え込まれてしまった。



「おいおい。蓬を取って止血してやるから、ちょっと大人しくしててくれ」



 嘘だ、信じない!

 おまえなんて信じない!!



 青年が優しく諭すように夜斗に言い聞かせるが、夜斗は言うことを聞かずに暴れ続ける。

 青年は困ったようにため息をつきながら鉈を少し遠くへ投げた。

 それからその場にしゃがむと、夜斗が落ち着くまでずっと背を撫でてやった。

 青年の行動を見て、夜斗は今までの人間とこいつは違うようだと、少しずつ落ち着きを取り戻し、じっと青年を見る。

 青年は落ち着いた夜斗に安心したように胸を撫で下ろすと柔らかい草の上に夜斗を下ろした。



「いいか、蓬を叩いて湿布を作るから、それまでどこにも行かないでくれよ?」



 小さな子供に言い聞かせるように夜斗の頭を撫でながら、青年は少し先に放った鉈を取りに行き、時折夜斗がどこかに生きはしないかと心配そうに振り返りながら蓬の湿布を作る。

 夜斗はその様子を黙って見つめながら首をひねっていた。


 食べない人間もいるんだな……。




 うさぎ うさぎ

 なに見て跳ねる

 十五夜お月様 見て跳ねる



 夜斗は無意識に鼻歌を歌いながら、青年が湿布を作る様子を見ていた。





・・・・

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