第13羽



※ 残酷な表現があります。閲覧には注意してください。













 朝、一番に目が覚めたのは夜斗だった。

 いつもは猿が一番に起き、その次が夜斗だ。

 狐は朝から悪戯をしに行くとき以外は基本的に夜斗に起こされる。

 猿曰く、夜斗に起こされるようになる前は、ちゃんとひとりで起きていたらしい。

 どうやら狐は、夜斗に起こされることが嬉しいようだ。


 眠い目をこすりながら猿の寝顔を眺める。

 普段は見ることのできない猿の寝顔に、夜斗は物珍しいものを見たような、新鮮な気持ちになった。

 そのまましばらくぼーっと眺めていると、やがて猿が起きた。

 お互い眠気眼で軽く挨拶をすると、まだ起きていない狐に目を付けた猿がにやりと笑った。

 何かするつもりらしい。

 猿は狐の枕元に立つと、その大きな耳に向ってないやらこしょこしょと小さな声で喋り始めた。

 夜斗には猿が何を言っているのか聞こえないが、段々と狐の顔が険しくなっていくのが見えた。

 どうやら何か、よからぬことを吹き込んでいるようだ。

 しばらく猿と狐の様子を眺めていると、狐が急にがばりと起き上がり冷や汗をかきながら周りを見渡し、そしてすぐに夜斗と目が合った。

 夜斗がきょとんと首を傾げると、狐は勢いよく後ろを振り返り、何食わぬ顔をして挨拶をした猿を殴った。

 少し痛そうな音がして、夜斗は思わず首を竦めた。

 それから夜斗が狐に何を聞かされたのかと何度問うても、決して教えてもらえなかった。


 猿と狐の一悶着がようやく落ち着きを見せた頃、さっそく山を下りようと家を出た。

 夜斗は猿と狐の先を歩き、ちょこちょこと進んでは後ろで言い合いを続けているふたりを待つ。

 それを繰り返しながらようやく山道に辿り着き、夜斗が先に茂みから出た。

 夜斗は、誰か人が通らないかときょろきょろと辺りを見回してみる。

 すると、道に倒れている人間を見つけた。



「お猿さん、お狐さん。早く早く。人間が倒れてるよ」



 猿と狐は夜斗の声に言い合いを止め、がさがさと枝を掻き分けて道に出た。

 そこには確かに人間が倒れていた。

 旅の装いをした老齢の人間が、まだ誰も通らない山道で行き倒れていた。

 これは絶好の機会だと、猿がさっそく旅装束の老人に駆け寄る。

 続いて狐と夜斗が駆け寄ると、小さく呻き声が聞こえた。

 どうやら生きているらしい。



「ちょうどいいな。こいつにするか」


「うん」



 狐と夜斗が頷くと、猿は旅装束の老人をゆすった。



「おじいさん、こんなところで何してるの? 大丈夫?」


「おい、爺さん。起きろ」



 猿と狐に声を掛けられ、旅装束の老人はようやく目を開けた。

 焦点が合っていないのか、何度か瞬きをして視線を彷徨わせると、猿と目が合ったのかすれた声で呟いた。


 

「儂は腹がすいて動けないんじゃ。何か食べ物を恵んでくれないか」



 どうやら食糧が底をついて、腹を空かせているらしい。

 これで人の役に立つことができると喜んだ猿たちは、旅装束の老人のために食べ物を集めに行くことにした。

 皆思い思いの方法で食べ物を集める。

 猿は元来た獣道を戻って得意の木登りで木の実を集め、狐は少し先の川から太くて活きのいい魚を捕り、そのそれぞれを持って旅装束の老人の元に戻った。

 しかし夜斗だけは、猿と同じように山へ入っても、狐と同じように川へ入っても。

 どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。


 猿と狐は、夜斗が戻ってくるのを待った。

 しばらくすると、夜斗は何も持たずに戻ってきた。

 戻ってきた夜斗は、俯いたまま何も言わなかった。

 そんな夜斗の様子に、猿と狐は思い思いに励ました。

 しかし夜斗の気は晴れなかった。



 どうしてだろう、前は自分でできたのに。

 どうしてできなくなったんだろう。



 何も得ることができなかった自分の非力さを嘆いた夜斗は、何とかして旅装束の老人を助けたいと考え、猿と狐に頼んで火を焚いてもらうことにした。



「もう一度探してくるから、先にお猿さんとお狐さんのを食べて待っててね」



 そう言ってまた山へと引き返していった夜斗を、猿と狐は見送ることしかできず、薪を集めて火を焚くことにした。

 旅装束の老人は、魚が焼ける匂いに目を覚まし、狐がついでに汲んできた川の水を差し出すと、すごい勢いで飲み干した。



「……僕らが悪いんだと思う」



 旅装束の老人が、魚や木の実を食べるのを見ながら、猿が突然呟いた。

 いつもあっけらかんとしていて明るい猿が、寂しそうに呟いた。



「怪我をしていた夜斗くんに、最初は必要だったんだ。でも、怪我が治ってからもずっと僕らは夜斗くんに食べ物を用意してきた。だから夜斗くんは、自分でできなくなっちゃったんだよ」


「……」


「僕ら、夜斗くんにひどいことしたね……」



 猿の言葉に狐は何も言い返さず、夜斗が駆けて行った方向を黙ってみているだけだった。



 夜斗は必死に山を駆け回ると、手頃そうな木を見つけた。

 枝先には木の実も成っていて、この木なら登れそうだ。

 夜斗は、猿が木に登る様子を思い出して、大きく頷くと早速幹に足を掛けた。


 すり傷だらけになった身体で、夜斗は川に入る。

 川の水が傷口にしみたが、気にすることなくざぶざぶと川の真ん中あたりまで足を進めた。

 夜斗は、狐が漁をする姿を思い出しながら魚を待った。

 暖かくなってきたとはいえ、まだ水に浸かっているのは辛い季節だが、そんな贅沢は言っていられない。

 しばらくじっとしていたところに、大きな魚が悠々と泳いでくる。

 夜斗は勢いよく魚にとびかかった。


 ずぶ濡れになり、凍える身体を無意識に抱きしめながら、夜斗は山菜を探していた。

 しかし山菜を見つけようにも辺りはすっかり日が落ち暗くなっていて、なかなか見つけることができなかった。

 それでもどこかにあるはずだと俯きながら歩いていると、暖かい光が見えた。

 夜斗は夢中でその光に向って足を進めた。

 がさがさと木々を掻き分けて顔を出すと、猿と狐が心配そうにこちらを見ていた。


 結局、夜斗は何も持ち帰ることはできず、猿や狐に何を言われてもずっと俯いているままだった。

 猿が、取ってきた木の実を夜斗にも差し出すが、首を振って受け取らなかった。

 狐が、焼いた魚を手に持たせても、夜斗はそれを押し返すことしかしなかった。

 しばらくの間、何も言わず何も食べず、夜斗はじっと焚火を見つめていた。


 夜斗は、ふと顔を上げて旅装束の老人に目を向けると、数歩前へ出た。



「おじいさん。僕は見ての通り、お猿さんやお狐さんに甘えていたために、何も取ってくることが出来ませんでした。そこでおじいさんにお願いがあります」


「夜斗くん? 何を考えているの?」


「どうか、僕を食べて元気になってください」


「おい、夜斗――」



 夜斗は、にこりと笑って見せると、自らの身を食料として捧げるべく猿や狐が止めるのも聞かずに、火の中へ飛び込んだ。

 咄嗟のことに、猿も狐もただただ見ているしかなかった。

 ぱちぱちと木が跳ねる音、香ばしい肉の匂い、勢いを増す炎。

 それらを、ただただ見ていることしかできなかった。


 急に狐が振り向いた。

 狐はその場にしゃがみ込むと、激しくえずき始めた。

 猿が狐の背中を優しくさする。

 やがて猿の背中も震え始め、ついにはふたりで泣き出した。

 その場に美味しそうな肉の匂いと、ふたりの泣き声が響く。

 その姿を見た旅装束の老人は、すっくと立ち上がり猿と狐を見下ろした。

 そしておもむろに装束を脱ぎ始めた。



「お前達の気持ちは、よく解った。君たちが今度生まれ変わる時には、きっと人間にしよう」



 老人の言葉に違和感を覚えた猿は、目をぐしぐしと擦りながら見上げる。

 老人は、帝釈天としての正体を現し、猿と狐の頭を撫でる。

 呆気に取られている猿と狐に優しく微笑みながら、帝釈天は焚火に目をやる。



「それにしても、うさぎには可愛そうなことをしたな」

 


 そう呟く間にも、夜斗は焼けていく。

 段々とその身体は焦げていき、香ばしい匂いから焼け焦げた匂いへと変わる。

 やがて夜斗の姿は形を成すことを止め、薪と一緒に真っ白な灰へと姿を変えた。

 もう、どれが夜斗だったのか、判りはしない。



「自らの命をもってして、私を助けようとするとは……。月の中にこの子の姿を永遠に残してやろう」



 帝釈天は灰を一救い拾い上げると、目の高さにまで掲げる。

 それからそっと息を吹くと、その灰は焚火後から上る煙と一緒に、天に向かって細く長く伸びていった。

 猿と狐は、夜空に大きく輝く満月を見上げる。

 猿はふと焚火後を見下ろし、一掴灰を取り帝釈天に願い出た。

 これをずっと持っていたい、どうしたらいいか。

 すると帝釈天は、灰を蓮茎に変えると猿に自分について来るように言った。

 猿は素直に頷くと、狐の方を見た。

 狐は未だに月を仰いでいたが、くるりと帝釈天を振り返り、こう言った。



「俺は人間になんてならなくていい。俺はこの先ずっと獣のままで、兎を食って生きていく」



 帝釈天は頷くと、猿を連れて去っていった。





 月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。






・・・・

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