第12羽



 それからというもの。

 毎日、猿が治療したおかげで夜斗は痛みもなく歩けるようになった。

 まだ多少、痛む時もあったが気になる程ではない。

 動き回れるようになった今でも、夜斗は猿と狐の元から離れようとは思わなかった。


 里に下りて食べ物を貰う方法も教えてもらった。

 ちょくちょうく顔を出して、可愛がってもらえる人のところへ行けば

大概は何かしら貰える。

 欲しいものがあればそれに興味を示せばいいらしい。

 夜斗は毎日のように猿と狐について回り、真っ暗になるまで遊びまわった。

 そうしているのが良かったのか、怪我はもちろんしもやけもすっかり治った。

 夜斗は何か猿にお礼をしようとひとりで里に下り、いつも可愛がってくれる人のところへ行き、芋を貰った。

 夜斗が居なくなったと大騒ぎしていた猿と狐の元に戻ると、心配させるなと狐に怒られた。

 猿に芋を差し出すと、猿は大げさなまでに驚いて喜び、狐はつまらなそうに口を尖らせた。


 ある日、猿と夜斗だけが山をあてもなく散歩していた。

 狐は猿と夜斗が起きた時にはもう居なかった。

 よくあることだ。

 狐は化けることが出来るので、魚に化けて川を泳いでいたり、倒木に化けて昼寝をしていたり。

 おかげでただでさえ広いこの山の中でかくれんぼをすると、狐は絶対に見つからない。

 ただし猿は狐の見つけ方を知っているようで、夜斗が一度探したところから狐を見つけたりする。

 どうやらめぼしい対象を片っ端からくすぐり歩いているらしい。

 その法則に則って、取りあえず家の中の物を全てくすぐってみたが、狐は見付からなかった。

 どうやら朝早くからひとりでどこかに出掛けたらしい。

 猿と夜斗ふたりだけでも楽しく遊んでやると、勢い勇んで出てきたが、楽しかったのは最初のうちだけだった。

 やはり、猿と狐、それから夜斗のさんにんでなければ楽しくはなかった。

 それは猿も同じだったようで、最初は一所懸命に盛り上げようとしていたが、飽きたのかどうにもならないと判断したのか、今は適当に拾った棒切れを振り回しながら夜斗の前を歩いている。


 夜斗はつまらなくて、小石を一つ蹴とばした。

 小石は、いつの間にかこちらを向いていた猿の足元まで転がった。



「夜斗くん。つまんないから帰ろうか」



 困ったように笑いながら、猿は小石を拾い上げ、思いっきり遠くへ投げた。


 猿と夜斗は家に戻ると同時にころんと寝転がった。



「狐くん、どこに行ったんだろうね」


「うん……」


「僕たち、置いてかれたのかな」


「……」


「薄情だね、狐くんって」


「はくじょう……?」


「意地悪ってこと」


「誰が意地悪だ」


「あ、お狐さん」


「おかえり、性悪狐さん」



 狐の不機嫌な声が聞こえて、夜斗はむくりと身体を起こして嬉しそうに笑うが、猿は寝ころんだまま首だけを動かして面倒くさそうに返事をする。

 狐は、猿の態度に文句を言いながら夜斗の隣にどかりと座る。

 その最中に夜斗の頭を一撫で。

 猿と狐は明らかに夜斗より年上で、猿は夜斗を器用に甘やかし、狐はぶっきらぼうに甘やかす。

 狐は優しい言葉はあまり言わないものの、先のようによく夜斗の頭を撫でる。


 死んだ兄のように。


 夜斗は、どうしてあんな怪我をしたのか、何をしていたのかをふたりに語っていない。

 しかし、猿も狐も特に聞くことはせず、普通に接していた。

 夜斗は少し申し訳ないと思いながらも、話す決心はつかないでいた。



「で? 僕はともかくとして、可愛い夜斗くんを置いてどこに行っていたの?」



 猿の言い方に、狐はちらりと夜斗を見て若干申し訳なさそうな顔をすると、渋々と言った様子で答えた。



「置いて行って悪かったけどよ、お前ら化けられねえじゃねーか」


「あー、やっぱり化けていたずらしに行ってたんだね」


「今日は何したの?」


「お、夜斗。聞きたいか?」


「うん!」



 はいはい、といった様子で相手にもしない猿に対して、興味津々な夜斗の反応に気を良くした狐は、夜斗は素直で可愛いなー、などとわざとらしく猿の方を向いて言う。

 そんな狐の言葉に、猿はすまし顔でさらりと返す。



「夜斗くんの可愛さを僕が引き立ててることに、そろそろ気付こうか」


「何をいけしゃあしゃあと」



 大いに呆れたというようにため息をつくと、狐は夜斗に向って自慢げに話し始める。



「今日はな、人間に化けて遊んできた」


「お狐さんは人間にも化けれるの?」


「おう、そうだぜ。すげえだろ」


「うん、すごい!」


「何年かかったの?」


「黙ってろ!」



 いちいち話の腰を折る猿に、噛み付くようにしかりつける狐。

 その勢いに肩を竦めながら猿は寝返りを打つ。



「案外気付かれないもんだぜ? また遊ぼうねー、だってよ」


「僕も分かんないかな」


「おう、多分な」



 それから狐は、何をして遊んだとか、二足歩行は疲れるとか、人間の食べ物は美味いとか。

 夜斗が目を輝かせながらずっと聞いているものだから、狐も気分よく話して聞かせた。



「でな。握り飯ってもんを貰ったんだが、危うく手を使わないままかぶりつくとこだった。なんたって人間は手に持って食べるんだからな」


「そう言えばさ」


「なんだよ」



 今まで黙って狐の話を聞いていた猿が口を挟む。

 狐はまたか、という顔をして猿に向き直る。



「どうして僕らは獣なんだろうね」



 猿の言葉に、夜斗と狐は顔を見合わせて首を傾げる。



「さあ。前世で何かとんでもねえことしでかしたんじゃねえか?」


「ぜんせって何?」


「今生まれてくる前のことだよ」



 狐の適当な答えに、きょとんと首を傾げる。

 猿が補足すると、夜斗は思いつめたように俯く。

 そんな夜斗の様子に気付いた猿は心配そうに夜斗の顔を覗き込む。



「どうしたの、夜斗くん。狐くんのせい?」


「おいこら」



 その場を和ませようと冗談を言う猿に、夜斗は首を振る。



「きっと、生まれてくる前にも何かしたんだ……」



 消えそうな程小さな声で聞こえた言葉に、猿と狐は首を傾げた。



「夜斗君。何があったか話してもらえるかな?」


「まあ、無理に聞きゃしねえけどよ。話して楽になることもあるもんだぜ」



 夜斗は顔を上げると、猿と狐を交互に見た。

 猿はにこにこと笑っていて、狐も笑いこそしないものの、じっと夜斗を見ていた。


 それから夜斗は、今までにあったことを全て話した。

 どうして話す気になったのか、夜斗には分からない。

 話していいような気がした。

 また、あの兎みたいに利用されるかもしれないと、最初のうちは猿と狐を警戒していたのだが、しばらく一緒に過ごすうちに気が付いた。

 あの兎とは違う。

 そう感じた。

 だから夜斗は、親兄弟が皆死んでしまったこと、それも人間に食べられたこと、とある兎の群れに引き入れられたこと、今だから解ることだが夜斗自身が誰も信じていなかったが故に利用されたこと、神様に助けられたこと。



「へえ。あの彌彦の大神にねえ」


「お狐さん、知ってるの? 彌彦の大神のこと」


「そりゃそうだ。なんてったって雷さんに文句言ったんだぜ? 誰でも知ってらあ。なあ」


「そうだね。有名な話だ」


「そうなんだ……」



 そんな神様に不遜な態度をとったのか、とやっと事の重大さに気付いた夜斗だが、今更どうしようもないし、戻る気もない。



「夜斗くんは、それでもしかしたら生まれてくる前にもそういうことしちゃってるんじゃないかと思ってる訳だね? だから自分は獣なんだって」


「うん……」


「まあ、僕たちも思い当たる節がない訳じゃないからね」


「僕たちって……。一緒にすんなよ」


「狐くんは悪戯ばかりしてたからだね、絶対」



 絶対、を強調して言う猿に、狐は反論できない。

 猿にだって狐にだって、思い当たる節はたくさんある。



「話してくれてありがとうね、夜斗くん」



 猿はよしよしと、あやすように夜斗の頭を撫でる。

 夜斗は気持ちよさそうに目を細めながらされるがままに身をゆだねた。



「じゃあさ、僕らいいことしたら人間になれるのかな」


「俺は今すぐにでもなれるけどな」


「はいはい」



 軽く流された狐は夜斗のふわふわな毛を撫でながらいじける。



「いいことしようよ。それで僕らの今まではちゃらだ」


「いいことって、どんな事?」


「そうだなあ……」


「俺に優しくする!」


「うん、する!」


「夜斗はもう十分優しいぞー」


「ほんと?」


「じゃあ僕は獣のままでいいや」


「何でだよ!」


「冗談はさておくとして。どうしようか」



 猿は、また夜斗の毛を撫でながらいじけている狐に、面倒くさそうに視線を投げながら話を戻す。

 夜斗は目をぎゅっと閉じていろいろと考えを巡らせるが、何も思い浮かばない。



「よし。明日の朝に山を下りて、一番に見かけた人間を助けるっていうのはどう?」


「しょうがねえなあ。じゃあそれで」


「うん、頑張る!」


「はい、決定」



 そういうことになって、明日に備えて今日はもう寝ようということになった。






 山裾の道を、ふらふらになりながら影が通る。

 杖代わりにしていた太い枝が、体重を支えきれずにぽっきりと折れる。

 影はそのままばったりと倒れてそして、動かなくなった。






・・・・

 

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