第5羽



※ 残酷な表現があります。閲覧には注意してください。














 兄に言われた通りに片付けをする気力もなく、夜斗はただ日が傾いていくのをぼんやりと眺めていた。

 辺りが暗くなっていることに気が付いたのは、カラスがなく声が聞こえたからだ。

 はっとして顔を上げると、燃え上がるような夕日の光が夜斗の顔を照らした。

 兄は一度も戻ってきていない。


 夜斗は駆けだした。近頃走ってばかりな気がした。

 どこへ向かえばいいのか分かってはいなかったが、動かずにはいられなかった。

 夜斗は走った。

 思いつく限りの場所を巡った。

 それでも見当たらない。

 兄の匂いすらしない。

 兄がよく行っていた餌場に行ってみた。居ない。

 兄とよく遊んだ川に行ってみた。居ない。

 兄のお気に入りの場所に行ってみた。居ない。

 居なかった。

 どこを探しても、兄は見付からなかった。 

 不思議と、あちこち回ったのに誰にも会わなかった。

 お散歩好きのご近所さんにも。


 途方に暮れながらとぼとぼとあてもなく歩いていると、がさがさと木の葉が揺れる音がした。

 背筋が一気に凍る。


 僧侶だった。


 気付かなかった。

 僧侶は二人だった。

 何やら話しながらがさがさと茂みを漁っている。

 夜斗は慌てて木の陰に隠れると、僧侶がいなくなるまでやり過ごそうと様子をうかがう。

 僧侶はかなりがさつなようで、何を探しているのか知らないが、探す気があるのかないのか茂みを揺らすだけで話に夢中になっている。



「最近めっきり寒くなったというのに、こんな時間から食糧調達とは大僧正も酷な事を言う」


「仕方がないだろう。昨日食ったうさぎ汁が思いの外旨かったんだ、この寒さならもう一度食べたいさ」


「久しぶりの肉だしな」


「おい、めったな事を言うな」


「あぁ、そうだった」


「それにしても運がいい。前から目を付けていた巣穴は空かと思っていたが、昨日は出入りしていたのをはっきり見たしな」


「そうそう。おまけに昼前にもう一度見に行けば、丸々とした雌が日を浴びていた。これはもう仏様が食えと言っているようにしか見えなかった」


「それに今日も昼に見回った者が雄を見つけて来たぞ。これは寒さに備えよと仰っているのだ、仏様は」


「もう一匹恵んでいただけないものか」


「おいおい、うさぎが二匹で鵜・鷺。獣ではなくて鳥だぞ、間違えるな」


「おお、そうだった、そうだった」



 げらげらと下品な笑いを残して森の奥へと歩いていく僧侶たちが何を言っているのか解らなかった。

 解らなかったが、自分が向かうべきところはどこなのかはよく理解した。

 寺だ。寺へ行こう。


 夜斗は脇目も振らずに駆けだした。

 後ろで声がした。

 恐らく僧侶に見つかったのだろうが、そんなことはどうでもよかった。

 もしかしたら、もしかしたら兄はまだ生きているかもしれない。

 


 本当は分かっていた。

 家の中で母の匂いがしなかったことも。

 家の外に母の匂いが残っていたことも。

 捕まえに来たであろう僧侶たちの臭いが薄れていたことも。

 その中に血の匂いが混ざっていたことも。

 その匂いが母のもであることも。

 本当は、本当は解っていた。

 そして、兄も解っていたのだろう。

 だから、だから兄は……



 寺についた。

 人気はないが、いつ出てくるかわからない。

 夜斗はきょろきょろと周りを見回しながら一番人気がない建物に忍び込んだ。

 辺りはすっかり暗くなり、よく見えない。


 ふと、優しい母の匂いがした。


 よかった、母はまだここに居るのか。


 安心して気が付かなかった。

 何故上から母の匂いがするのか。

 何故自分を見ても声をかけてくれないのか。

 何故血の匂いが微かにするのか。


 見上げた先にいた母は、


 毛皮の姿をしていた。




 母さんだ。

 いや、どうして母さんだと言い切れる?

 母さんを見間違う訳ないじゃないか。

 嘘だ、あんな……

 あんなとこに居る訳がない。

 母さんは、かあさんは……



 僧侶に食われたんだ




 夜斗は悲鳴を上げそうになった口を、慌てて自らの手でふさぎ、かたかたと小刻みに震えだした自分の身体をどうすることも出来ず、ただ吊るされた毛皮から目を逸らして俯くことしかできなかった。

 周りの音も一切聞こえなくなり、口をふさいでいるからか、母のなれの果てを見たからなのかは判らないが、息が乱れていく。

 思考も乱れていく。




 僕は、ぼくはどうすればいい




 錯乱している夜斗の耳に声が届いた。

 聞き慣れた、母のものではない声。

 兄だ。



「兄ちゃん……!」



 夜斗は唯一の希望にすがって声がした方に駆けだした。

 途端、がしゃんという音と共に、夜斗の身体は冷たい竹の棒にぶち当たった。


 兄は、籠の中に入っていた。



 「兄ちゃん……? どうしたの? どうしてそんなところに入っているの?」



 何が何だか理解ができない夜斗の声に、兄が苦々しそうに呟く。



「捕まったんだ」



 一瞬の沈黙。

 あの足の速い兄が人間如きに、寺に籠って経しか唱えていない僧侶如きに捕まるはずがない。

 嘘だ。嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ……嘘だ!!



「……嘘だ!! 兄ちゃんが捕まるはずない! 試してるんでしょ? 僕が弱虫なんじゃないかって試してるんでしょ?!」


「夜斗……」


「やだなぁ、兄ちゃん。僕は弱虫なんかじゃないよ? 僕は兄ちゃんより強いんだから」


「夜斗」


「あれ? これどうやって開けるの? もう、兄ちゃん。自分で出てきてよ、これ開けられない」


「……」


「えー、これも試してるうちに入るの? もう、しょうがないなぁ。じゃあ頑張って開けるね」


「夜斗!!」



 もう自分が何を言っているのかよく解らないまま次々とまくし立てる夜斗に、ついに声を荒げた兄は、有無を言わさなかった。

 これが冗談ではないことくらい、夜斗は解っている。



「逃げろ。今すぐにここから遠く離れた所へ行け」



 暗く沈んだ兄の声に、夜斗は目の前が真っ暗になった。







・・・・

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