第4羽



 時折ぽろぽろとコケモモをこぼしながら、いつもの木の根元に辿り着いた夜斗は、先に運んだ栗と一緒に母に持たせてもらった弁当が少し濡れているのを見つけた。

 少し慌てながら弁当を開くと、濡れていたのは風呂敷だけでその中は無事だったことに安堵した。

 コケモモを栗と一緒に転がすと、夜斗は弁当を頬張る。

 通り雨が降ったことにより、きらきらと輝く落ち葉や木の枝を眺めながらもぐもぐと口を動かし、ぼーっと虹を見る。

 すっかり薄くなって今にも見えなくなってしまいそうな虹を何だか寂しいな、と想いを巡らせながら最後の一口を頬張ると、立ち上がる。

 少し探しただけでこれだけの食糧を見つけたのだ。

 もっと探せばどこかにあるだろう。兄よりも多く取って帰ろう。

 夜斗は小さくうなずくと、先に集めた栗とコケモモに風呂敷を被せて新たに食糧を探しに再び森へ入った。





 あれからどのくらい探し回っただろうか。

 思ったよりも食糧は見付からず、気が付けばもう日が落ちて暗くなろうとしていた。

 母が心配しているだろう、早く帰らなければと風呂敷に栗とコケモモを包み込み、家路を急ぐ。

 そろそろ家が見えてこようというところで、夜斗は不意に足を止めた。

 臭いがしたのだ。嫌な臭いが。

 香を焚きしめたような煙と、人の臭いが。

 ぞわりと背筋が栗立ち、走り出す。

 背負った荷物も煩わしく感じて途中に放り出す。

 今日もまた、兄は食糧調達に出掛けているはずで、そろそろ帰って来る頃だろう、兄ではない。

 ならば、家に居るのはもう母しかいない、はずだった。




何故だろう。家が荒らされている。

見付かっていない自信はあったのに、何故。




 転がり込むように家に入った。入口は掘り返したように大きく広がり、中は引っ掻き回したように崩れている。

 誰もいない。

 母がいない。兄も帰ってきた形跡がない。

 居ない、居ない、居ない、居ない居ないいないいない……!!


 夜斗は足を取られるのも気にせず外へ駆けだした。

 いつも母がご近所さんと井戸端会議をしている辺りまで辿り着くと、影が見えた。母かと思い声をかけると、ご近所さんだった。

 母はいないのかと夜斗が尋ねると、あまりの勢いに目を丸くしながらも昼前には別れたと答えてくれた。

 夜斗はできる限り笑みを繕うと、家へと駆けだした。

 昼前には別れた、ということは。それから時間が経っている。


 母はどこへ行ったのだろう。


 母はあまり家から出ない。

 父が死んでからあまり外に出たがらなくなった。

 だから、だからこそあの場所に連れていきたかった。


 すっかり暗くなった空に途方に暮れながらうろうろと家の前を往復する。

 

 どうしたらいいのか分からない。兄はどこにいるのだろうか。



「……夜斗?」


「……兄ちゃん」


「お前、いつ――」


「母さんが居ないんだ」


「……」


「母さんが、居ないんだ」



 兄に声をかけられても顔を上げることなく小さく呟いた。

 兄が何か聞きた気だったが遮った。

 慌てる様子のない兄に苛立ちを覚えながら、夜斗はもう一度はっきりと言う。

 兄からの返事はない。

 しばらくの間どちらも喋らなかった。

 夜斗は顔を上げないし、兄は夜斗を見ていた。

 何も言わない兄に堪えきれなくなった怒りを当てつけるように口を開こうとした夜斗より先に、兄が静かに言った。



「今日はもう遅い。明日、探しに行こう」





 崩れた家に入った兄は途端に険しい顔になった。

 先程までは何の感情もないように無表情だったが、現状を見て何か思うところがあるのだろうか。

 夜斗が兄の顔を見上げると、兄は夜斗をじっと見つめていた。



「兄ちゃん……」



 夜斗が兄の手を取ろうと腕を動かすと、兄は夜斗の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。これは兄がいつも夜斗を安心させる時にやる癖のようなものだった。

 何に安堵すればいいのか、恐らく兄自身にも解らないのだろう。多分、兄も落ち着きたくて夜斗を撫でたのだろうから。

 夜斗は兄の手をぎゅっと握ると小さく頷いた。





 

 それからお互い食事も取らずに部屋に入り、朝を待った。

 案の定母は、戻らなかった。




 朝になり、夜斗は外へと飛び出した。

 いつもの朝だった。少し湿った、冷たい朝の空気にぶるりと身体を震わせ、もやがかかった視界の中に母を探す。

 目を凝らして母の姿を探すが、分からなかった。

 それでもどうしても諦められなくて、夜斗はしばらくもやの中で母の姿を探していた。身体もすっかり冷えて震えだした頃、兄が家から出てきた。

 兄は夜斗の姿を見ると小さく笑ってくしゃくしゃと頭を撫でた。



「夜斗。母さんを探してくるよ。だからお前は――」


「僕も行く」


「……母さんが帰ってきた時に、家に誰もいなかったらびっくりするだろう? 家もこんな有様だし、お前は片付けでもしながら待っててくれ」


「……うん」



 きゅっと唇を引き結び、俯くようにしながら夜斗は渋々頷いた。

 頼んだぞ、と言い残して行こうとする兄の手をとっさに掴み、夜斗は歯を食いしばる。

 行ってほしくはない。

 兄もまた、帰って来ないかもしれない。

 そう思うと、夜斗は手を放すことが出来なかった。

 そんな夜斗の様子に、兄は困ったように笑いながら夜斗と目を合わせてしゃがむ。


 こういうことをされるのは何年ぶりだろう。


 夜斗は自分がとても幼くなったような気がした。



「昼に一度帰って来るから、それまでここを綺麗にしておいてくれ。お前が昨日取って帰ったコケモモが食べたいな」


「……ん」



 こくんと首を縦に振った夜斗に、満足そうに笑みを返した兄は、そのまま振り返らずに行ってしまった。





 そしてそのまま、昼を過ぎても、夕方になっても兄は帰って来なかった。







・・・・

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