第12話
「きっかけは、随分と単純なものさ。当時はGARDISも、一介のバイトでしかなかった。ViReXが扱えれば誰でもやる事が出来た。僕も、そんな中の一人さ。お金に不自由していた訳ではないけど、友人に誘われてね。ほんの、退屈な日常から抜け出せればと思って始めたんだ。弥刑とは、それで知り合ったんだ」
いつしかそれが楽しくなり始め、学業の合間にGARDISのアルバイトをしていた。元より成績に問題はなかったため、誰も無理強いをしてまで止めようとはしなかった。唯一、幼馴染である亡くなった妻だけは、怪我をしないかと心配していたという。
「両親が僕を気に留める事はそうなかったし、僕が逸脱しない限り口出しする事もなかった。学業も、成績さえ落とさなければ何も言わない。元より、僕よりも仕事を優先させていたくらいだ。おかげで、昔から幼馴染だった妻の家に預けられる事が多かったんだ。…と、話が反れたね。僕がその異変に気付いたのは、二十歳の頃の事だ」
それは、突然弥琴の前に“現れた”。街で見かけた事のあるハスキーやレトリバーよりも一回り近く大きいな体をした“それ”は、突如弥琴の前に現れじっとこちらを見ていた。それが狼なのだと分かったのは、当時弥琴がバイトで多様していたモデルが狼だったからなのかもしれない。違和感に気づいたのは、友人に声を掛けられてからの事。
だれもその狼に気づいていないのだ。
犬だと思い込むにしては、あまりにも大きい。例え狼でないにしても、そもそも大学のキャンパス内にこんな大きな犬が居る時点でおかしい。なのにその犬(?)の存在に気づいているのは、弥琴だけのようで。声を掛けた友人に問うため一瞬目を離した隙に、その姿は忽然と消えていた。しかも友人は、何も見なかったと言う。あれだけの大きさだ。犬であれ狼であれ、騒ぎになっても可笑しくないはずなのに。学校内ではそんな様子すらなかったのだ。
「それからだよ。その姿…ローアが見え始めたのは。大学のキャンパス内、街の中…彼は場所を問わず僕の前に現れた。それから、ひと月足らずだったかな。夢にまで出て来るようになったんだ。最初は気にも留めなかったけど、流石に気味が悪くなって不眠になり始めた。そうするうち、次第に記憶が欠如するようになり始めた」
最初こそ不眠からくるううたた寝かと思い込んでいた。それが完全なる勘違いである事に気づいたのは、一人のオーヴォとしてバトルに出た時の事。
突然、何かに引っ張られるようにして視界が暗転した。そこから先の記憶はなく、次に気が付いた時には病院のベッドの中だったと言う。
「自分でも、何が起きたのか分からない。けど、フィールドのカメラに写って居たのは明らかに僕だったんだ」
温厚だと言われる自分からは想像もつかない程恐ろしく嬉々とした表情で、敵味方どころか障害物すらもなぎ倒す姿を見せられた時、思わず目を背けたくなった。弥琴に“破壊者”の号が着いたのは、それからすぐの事。流石に当時GARDISの管理を纏めていた霧島も、付き合いの長かった弥琴のそれを愚行ではなく異変と受け止めた。しかしいくら検査をしても弥琴の身体に異変はなかった。あるのは、破壊による傷と不眠の傾向。原因が分からないのでは治しようがないと、医者にも匙を投げられた。
「そうこうしている内に、症状はどんどん進行して、僕は精神を病んだ。だからと言って、症状が治まる事はなかった。調べられる事は全て調べた。医者も匙を投げた僕を、老師は見捨てずにいてくれてね。そうして最終的に行きついたのが、当時ガニーソ社のカウンセラーとして勤務していた片桐医師だった」
様々な問診の結果、原因がViReXのモデルにあるのではという結論に至った。そして調べた結果、モデルの一つがウィルスに感染している事が発覚。すぐにワクチンプログラムによって修復されたが、どういう訳か症状は治る様子がなく、モデルも完全には修復されなかった。
「ウィルスが、除去しきれてなかったって事か?」
「少し違う。確かにワクチンを使用した事でウィルスは消えた。その代り、感染したモデルのデータの一部がAIのシステムプログラムに書き換わっていたんだ。それによりモデル…ローアは学習し自我を持ち、僕に危害を加えた。それが分かった時、既に彼は僕の精神にまで入り込んでいたから、手の打ちようがない。残った選択肢は、僕が彼に抗う事」
――“この弥琴は、我を克服するまで、少なくとも一年半は耐え続けた。それこそ、心が壊れる直前までな”
「……ぁ…」
脳裏の過ったローアの言葉に、斎は思わず声を漏らす。思うところに気づいたのだろう、弥琴はフッと自嘲気味な笑みを見せた。
「後は、さっき君に話した通りさ。感染して一年半、負けてなるものかと耐え続けた。けどある日、気づいた。そうまでして生きて、僕に何があるのかってね。両親には既に見放された。僕を心配する老師や片桐医師にも仕事がある。見舞客は幼馴染の妻以外居ない。ならばいっそ、この命を絶ってしまおうかってね。そうすれば、ローアの依代を無くし本来あるべき場所へ戻るしかない。彼の本体であるモデル自体は既に隔離されていたから、他へ感染する事はない。大元であるデータは残るのだから、老師や片桐医師にも余計な心配を掛ける事はないってね」
冷静に考えても、何を酔狂なという言葉しか出ない。しかし、それほどまでに当時の弥琴は精神的に参っていたのだ。ならばどうして、生き延びる事が出来たのか。その答えは、あっさりと弥琴の口から語られた。
「そしたらね、怒られたんだよ。ローアに。思えば、それが初めてのコンタクトだったんだけど、僕からすればそれどころじゃなかった。散々人を苦しめといて今更死ぬなとか、理不尽にも程がある。参っていた事もあって、つい感情的になってね。妻や老師たちの驚いた顔を見るまで、ひとりで喚いている事に気づかなかったんだ。それからしばらくして僕らは和解し、やがてローアを元にした幻獣種が産まれたって訳。おかげで僕は大学生活の二年間を闘病ですごす羽目になったけど、その辺の面倒は老師が気にかけてくれてね。卒業と同時に、僕を自分の部下にと引き抜いてくれたんだ」
GARDISが一組織としてガニーソ社から分離し、“箱庭”を形成したのは、それから間もなくの事。その頃からViReXは爆発的に人気が出始めた為、親会社であるガニーソ社が専用の部署を確立したことがそもそもの発端だ。その責任者として、霧島に白羽の矢が立ったのだと弥琴は言った。
「最初は人もそう多くはなく、会社の一フロアから始まったけど、必要な部署や課を増設している内に、規模はどんどん大きくなった。やがてそれは社外へと広がり、今やこの広大な箱庭となって運営されているんだから、不思議なものだよ」
空になったカップへと紅茶を注ぎ、懐かしそうに笑う。時間が経ったためか少し冷めたそれは、少し濃くなった赤となって注ぎ口から零れ落ちた。
ぼんやりとそれを見ていた斎は、静かに深呼吸をして温くなった紅茶を飲み干した。どうやら弥琴は、斎が思う以上に波乱万丈な運命を歩んで来たようだ。人間、生きていれば色々あると言うが、流石にありすぎと言うものではないだろうか。
「…まったく、感染者にはあまり深入りしないつもりで居たのに…こんなことを話したのは、君が初めてだよ」
「は?俺以外の感染者にも話してるんじゃないのか?」
「まさか。自分の過去を誰構わず話す程、バカじゃないよ。言っただろう?GARDISは個人を特定されないために守秘義務があるって。そもそも僕がGARDISだと教えたのは、感染者では君が初めてだ」
あっけらかんと話す弥琴の言葉に、斎は我知らずの内に耳が熱くなるのが分かった。気のせいだ、と頭の中で強く思うも、思考はあらぬ方向へと転がっていく。勘違いだ、自惚れだと思考を落ち着けようとするも、意識してしまったが最後、嫌でもそちらに向いてしまう。・
「弥琴、は…なんで、俺に……」
「さぁ、どうしてだろうね。君になら、話してもいいと思ったんだ」
片言交じりに問えば、頬杖を突いた弥琴が穏やかに笑いながらそう答えた。心臓が、これまでにない程バクバクと早鐘を打つ。今にもバクハツしてしまいそうだ。耐えかねた斎はガタリと椅子を鳴らして立ち上がると、足早に寝室へと向かった。
「斎?」
「っ~!寝る!」
バタンっと荒い音を立てて閉まったドアを眺め、弥琴は一人フッと笑みを零す。口にした紅茶は、先程よりも苦味を伴って弥琴の口の中に流れ込む。不意に、窓が締め切られているはずの室内の空気が揺れた。
『遊びにしては、度が過ぎているのではないか?』
「遊び…ねぇ…」
『…フン…貴様が彩奈以外に執着を見せる日が来るとはな……』
「失礼な。僕は最期まで彩奈を愛していたさ。それは、嘘偽りのない事実だ」
そう返事をすれば、羽毛が頬を撫でるように掠めていく感触。それに目を細めれば、次の瞬間には感じていた気配が消えていく。ローアがどういった意図をもって弥琴に干渉するのか、弥琴は知らない。知ろうとも思わない。いくら宿主と同居人だとしても、個は個。必要以上に干渉する必要はない、というのが弥琴の考えだ。だからこそ、安定化から数年経った今でも共存を可能にしているのだと考えている。
しばらく浅い思慮に浸った弥琴は組んでいた足を組み替え、再び紅茶を口にした。やはり風味より苦味が勝った。
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