第16話
箱庭中に、サイレンが響き渡る。その中を、弥琴はモデルを駆使してクレアドへと駆け抜けていた。
轟音の直前、弥琴の元に緊急の連絡が入った。発信元は、クレアドの巫弦城。
「…なんだ」
『大変です!すぐに来てください!モデルが…!クリーゾが!』
いつになく切羽詰まった声で要件を告げてくる。その内容に眉を潜めた瞬間、轟音が響き渡った。即座に箱庭のセキリュティが作動し、緊急ディスプレイが表示される。画面が示す場所に、弥琴はざっと血の気が引いた。
「一之瀬すまないが現場を見て来てくれ。斎が近くに居るかもしれない」
「ッ!はい!」
そうして弥琴は外へと飛び出しヴィーヴォで改めて通信を繋げたのだが。その内容は弥琴すら思いもよらぬものだった。
「クリーゾが逃げただと!?そんな事があるのか!?」
『しかし現にシステムを掻い潜り消失しました!痕跡はあるので、おそらく近くn』
「!?もしもし!?巫弦城!?」
突然入り込んだノイズに足を止める。故障かと首を傾げた瞬間、巨大な白いなにかが怠慢な動きで眼前を横切った。その後から、オッドアイのチーターが弥琴の前に降り立った。チーターはすぐに姿を変え、正体を現す。
「弥琴様!ご無事ですか!?」
「っ!一之瀬、今のは…」
「斎様です!原因は定かではありませんが、訓練用ヴィーヴォを奪い突然…!」
相当焦っていたのだろう、息を切らしながら一之瀬が告げる。その言葉に再びその“なにか”の進んだ先を見る。手とも足ともつかぬそれを振り回しながら、周囲にある建物に叩き付けている。目をこらしてよく見ると、“なにか”の中にうっすらと人影。それは瞬間的に薄くなったそれの隙間から、確認出来た。
「斎…!!」
『弥琴!あの子娘、憑依されておるぞ!』
「っ!分かってる!!行くぞ!!」
ローアもこうなるとは予測してなかったのだろう。頭の中に焦燥を帯びた声が響く。弥琴は即座にヴィーヴォを起動させ、呼び止める一之瀬を無視して後を追った。近づくごとに強くなっていく風が、頬を撫でる。よく見れば、表面を所々Mistが渦巻いているのが目視で確認できた。どうやらこの風はその渦巻くMistが生み出しているようだ。それは内部でも同じらしく、斎の髪が方々に舞い広がっている。近づくごとに風は強くなり、木々をなぎ倒さんばかりの突風へと変わっていく。まるで、来るものすべてを拒絶するかのように、折れた枝や飛ばされてきたらしいゴミ箱が飛ばされていく。
本来なら、周囲の被害状況を確認し、職員や候補生の安全を確認するべきなのかもしてない。しかし今の弥琴に、周囲の目を気にしている余裕などなかった。一番近い建物の壁を駆け上がり、屋上へ。
「斎!目を覚ませ!!」
『無理だ!この風では聞こえまい!!』
形振り構わず、あらんかぎりの声で叫ぶ。しかしローアの言う通り強風の影響もあってか、その声が届いている様子はなく、斎に反応はない。それどころか、一層風が強まったようにも見える。建物へと叩き付けられる手足とも触手とも言い難いそれを掻い潜り、距離を詰める。顕現したモデルが壁になっているとは言え、風の影響を受けないだけではない。おそらく一瞬でも気を抜けば、簡単に飛ばされてしまうはずだ。二度目があるとは思えない機会を伺い、飛ばされる障害物を避けながら並走する。そうしてどれくらい時間が経っただろうか。その瞬間は訪れた。
「っ!!ここだ!」
それは、気流と気流の隙間に出来た僅かな隙間。その瞬間を、弥琴は待っていたのだ。飛び交う障害物を足場にし、その隙間へと体を滑り込ませる。完全に入り込んだ刹那、その隙間は轟音の中に掻き消えた。轟々と吹き荒れる突風の中で斎の姿を探す。ようやく見つけたその姿に目を見開いた刹那、弥琴は向かってきた突風によって再び外へとはじき出された。
地面へ叩き付けられるかと思われたその時、弥琴の身体を誰かが空へと引き上げる。驚いて上を見れば、大きなミミズクが弥琴を掴んでいた。耳の先が焦げ茶色をしたそのミミズクを、弥琴は知っている。
「まったく…何をやっているんですか、貴方らしくもない」
「巫弦城……」
「父さん!!」
「いけません!颯斗様!危険です!」
そのまま地面へと降ろされモデルが解除されると、白衣姿のままの巫弦城が立っていた。どうやら白衣を脱ぐ間もなく弥琴を追ってきたようだ。その向こうから、颯斗と一之瀬が掛けて来る。巫弦城は座り込んだままの弥琴の前に立つと、懐から掌に収まる長方形の筐体を差し出した。
「拡張デバイスをお持ちしました。ですが、まだメンテナンスが完全には終わっていません。出来て、50と言ったところです」
「……構わない。すぐに、終わらせる」
長い付き合いだ。それ以上の言葉など不要も同然で。弥琴はそれを受け取るとすぐに立ちあがり、デバイスを起動させる。
「っ…父さん……」
「…一之瀬、颯斗を頼む」
不安げに声を掛ける颯斗の声に返事をする事無く、一之瀬に指示を出す。今の弥琴に、いつもの優しい父親で居られる余裕はない。ただ、斎を一人にしてしまった自分が許せなかった。一瞬だけ垣間見た斎は瞳に理性などなく、服は無残に裂かれ白い肌が覗いていた。デバイスをヴィーヴォと接続すると、周囲のMistが収束して渦巻き、再びローアを顕現させる。尚も呼び止めようとする颯斗の声を振り切り、力強く跳躍した。その姿が夜闇に消えかけた次の瞬間、響き渡るような遠吠えと共に巨大なオオカミが姿を現した。暴れ回る白い“なにか”とは反対に、こちらは夜闇に溶け込みそうな夜色をしている。
「…いくぞ、ローア。まずはあれを建物から引き離す!」
『承知した』
地を揺るがすような唸り声をあげ、飛び掛かる。“なにか”の腕とも首ともつかぬ箇所に牙を突き立て、その場から引き離す。障害物の少ない草原フィールドまで引き摺ってくると、咥えていたそれを離す。放り出されたそれは勢いを殺す事が出来ぬまま、フィールドへと投げ出され転がった。不安定に体を波打たたせていたそれが、まるでアメーバのようにうねりながら形を変えていく。元々数値が不安定だったからだろうか。しかし次第にその姿は特定の形を作り始めた。触手のように伸び出していた箇所が、ワニの頭部らしき形を作り出す。別の触手二本が、蝙蝠の羽根らしき形へと変わっていく。それを一言でいうのならば、四肢と翼を携えた西洋竜。しかし伝承に語られる恐ろしく勇ましい畏怖の姿はなく、既存データを組み合わせただけのつぎはぎのようなとても歪な姿をしてた。それが、多くのモデルの片鱗が検出された原因なのだろう。パーツによっては無理矢理その部分を引き伸ばしたと思われる箇所もあり、それが不安定な姿に歪さを助長していた。
不意に、視界の端で何かが動いた。チラリと視線だけをそちらに向けると、あの壊れた用具庫の陰から転がるように逃げていく候補生が数人。何故こんなところにと内心で舌打ちをすると同時に、それまで弥琴に向いていたクリーゾの意識が彼らに向いた。次の瞬間、クリーゾは嘶きとも咆哮ともつかぬ声で啼き喚き、大口を開けて彼らへと向かって行った。特定の姿がない故か首は瞬く間に伸びていき、のたうつ蛇のように撓る。今までの鈍重な動きとは一変したその俊敏性にひるんでしまい、行動が瞬間的に遅れた。しかし弥琴はすぐにその伸びる首へと噛みつき、候補生の寸前に迫っていた頭を押さえつけた。ダメージがあったらしく踏みつけた頭ではなく斎が声を上げた。
本来、ViReXはオーヴォ本人へのダメージは無効化されるものであり、直接攻撃はご法度だ。しかし、元がモデルであるクリーゾに支配されているからだろう。弥琴の攻撃によるダメージが依代となっている斎に伝わってしまったらしい。これでは、下手に攻撃することはできない。ダメージが伝わっているという事は、それだけ深く浸食されているという事。おそらく、今の斎に意識はない。それが浸食を深めている要員となっているのは、明確だ。今下手に攻撃を加えれば、体が先に壊れかねない。弥琴は素早く頭を踏みつけていた足を除け、勢いよく噛みついていた首を引き戻す。
「貴様、自分が何をしているのか分かっているのか!」
衝撃波にも似た弥琴の声が、施設中の窓ガラスをビリビリと強く震わせる。クレアドの屋上から巫弦城達とともに見守っていた颯斗も、思わずビクンと体を跳ねさせた。離れているはずなのに、父の畏怖が颯斗にまで突き刺さる。
「…颯斗様…やはり中に…」
「っ…大丈夫…だから……」
心配する一之瀬の声に、震える体を叱責するようにぐっと拳を作りそう返す。その様子に、一之瀬は複雑そうな表情で颯斗を見つめた。弥琴は、自身が空位とされる破壊者である事を颯斗に教えてはいないし、おそらく実際に弥琴がモデルを使用する姿を見るのは初めてのはずだ。それをこんな形で見せる事になるなど、一之瀬も…おそらく弥琴も予測はしてなどいなかった。一之瀬は一人視線を伏せると、再びクリーゾと対峙する弥琴の方へと視線を戻した。
クリーゾは逃げてしまった候補生達を諦めきれないのだろ。長い首をのたうち回らせ、唸る。
「奴等…主…泣セタ……我…主…護ル……主、泣ク…我、嫌……」
機械音声のような感情のない声が、斎を通して片言に応える。その返答に眉を眇めた弥琴がジロリと肩越しに先程の候補生達を見た。その鋭い眼光に恐怖を覚えたのだろう。一瞬だけ安堵の表情を見せていた彼らは、何も聞いていないにも関わらず悪事がばれた子悪党のように転がり逃げていく。先ほど垣間見た斎の姿…壊れた用具庫から逃げ出す彼ら…クリーゾの彼らに対する攻撃性…その答えに辿り着くのに、そう時間は掛からなかった。
「……なるほど。やはり斎に何かあったのは間違いないようだな…だが、それで貴様が暴れていいと言う道理はないぞ!」
「我…主…欲イ……我、全部、壊ス…主…泣ク、止メル…主…我…認メル……」
「『痴れ者が!!』」
低く、それでいて劈くような怒号が響く。その声は確かに弥琴から発されたものだったが、普段の穏やかな彼を知るものからすれば到底彼の声であるとは思えない程のもので。
そのあまりの声量に、斎を支配していたクリーゾがその不定形な体をビクリと竦ませた。しかし激雷の怒号は収まる様子などない。そこにあるのは、ローアの、そして弥琴の明け透けなまでの怒りの圧。その矛先となったクリーゾは、誰が見ても分かる程に斎を通して狼狽しているのが見て取れた。
「『貴様のような世間知らずが主を得るなど笑止千万!愚鈍にもほどがある!今貴様がしている事は、その娘に対する冒涜そのものだぞ!』」
「オ前二…ナニガ、分カル…!!」
それは、感情の発露なのかもしれない。それまで無機質だった機械音に、怒りにもにた声色が混じり、波が生じ始めた。不安定に揺れていた頭部が、鎌首を大きく擡げ口を開く。
「我、消エル、嫌!我、主、イナイ!主、欲シイ!!」
それはさながら、親を求める幼子のような慟哭。親に振り向いてもらおうと必死になる子供の姿が、弥琴の脳裏にちらつく。その気持ちが、分からない訳ではない。弥琴自身、過去に同じような経験をしていからだ。だが。
「『フン…主を持たぬ小童が泣いて暴れたところで何も変わらぬ。いや、なおの事状況は悪くなるだけ。そのような事をしても、その娘は貴様を認めはせん!』俺も存外に短気でね。貴様を止める手立てなど、いくらでもある。尚の事、今ここで消し去っても構わないぞ!」
「否!我、消エル!不可!!主、護ル!!」
――バチン―――
「ッ……ぁ…?」
二人が再びぶつかり合うと思われた刹那、クリーゾが媒介としていたヴィーヴォが音を立ててショートした。それにより姿を形作る手立てを失い、歪な体が消失し始める。それにより足場が失われたために傾き始めた斎の身体を、すかさず弥琴が受け止めた。ボロボロと涙を流す紅い瞳が、弥琴に訴える。
「否……我…消…嫌……」
「『消えはせん…だが、次はないと思え……』」
弥琴を通してローアがそう告げれば、ヴィーヴォが完全に停止したためクリーゾが肉体の主導権を失い、斎の身体からふつりと力が抜ける。弥琴が指先で頬を撫でると、ゆっくりと瞼が持ち上がった。しかしその瞳に理性が見えず、弥琴は忌々し気に舌打ちをして地上へと降りた。繋いでいたデバイスを切れば、ローアを形作っていたMistが掻き消える。
「ローア、奴の捕縛を。こっちは、問題ない」
『相分かった。捕まえ次第違、ミミズクの小僧のところへ連れて行く』
タン…と踵を返し、ローアの気配が離れていくのを確認する。デジタル世界での行動は、元がデータであるローアの方が有利だ。不意に、腕の中の斎が譫言のように弥琴の名を呼び出す。存在を教えるように抱きしめれば、頼りない腕で抱き着く。
「大丈夫…大丈夫だ……」
なにかに耐えるかのように肩口へ噛みつく斎を優しく宥めながら立ち上がれば、危険はないと判断したのだろう。巫弦城達クレアドの職員達に交じり颯斗と一之瀬がこちらへ掛けて来た。しかし弥琴は颯斗に視線を向ける事なく、巫弦城に視線を向けた。
「クリーゾはローアが追っているからそのうち捕まるはずだ。巫弦城、しばらく颯斗を頼む」
「……貴方は、どうされるんですか?」
「俺はしばらく斎に付き合う。…落ち着いたら、連絡する」
多くは語らず、ただ簡潔にそう答える。腕の中で苦し気に喘ぐ斎を抱え直すと、弥琴はローアがいなくなり抜け殻となった狼のモデルを利用してその場から姿を消した。無意識に姿を探し追いかけようとした颯斗の肩を、巫弦城の手が叩く。
「ダメですよ、颯斗クン。彼が自身を“俺”と言ったという事は、怒りでいつ理性の箍が外れても可笑しくないんです。そうなったら最後、さっきのお嬢さんよりも厄介な事になりかねません。僕は、そんな彼から君を護れる自信はありませんよ?」
柔らかに、それでいて重く圧し掛かる巫弦城の制止に、颯斗は唇を噛みしめて小さな手を握り締めることしか出来なかった。そんな颯斗の姿に目を細めた巫弦城が、その体をひょいと持ち上げた。
「丁度いい機会です。君のお父さんについて、お話を聞かせてあげましょう」
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