第14話

夕飯時を少し過ぎた時間ではあるが、食堂には賑やかな声が響いている。社員であったり、研究員であったり、候補生であったり。特に候補生は揃いの制服を着ていたため、すぐにわかった。中には社員と候補生が入り混じりながら談笑にいそしむテーブルもいくつかある。今まで弥琴のプライベートルームで食事をしていた事もあり気づかなかったが、ここでは役職や身分など分け隔てなく皆が生活しているようだ。

「いいな、こういう緩い空気。食堂なんて学生以来だし」

「僕は、食堂っていったらここくらいかなぁ…。学校もネットスクールだから、家に居れば問題ないし」

「この第一食堂は候補生の寄宿舎も近いからね。他にも、連絡を取り合って他の食堂でって人もいるそうだよ。特に…ほら、あそこのテーブル」

適当なカウンターテーブルに腰掛け、食事をする。ちらりと肩越しに視線を後ろへと向けて何かを確認して促す弥琴。その視線を追って弥琴から同じように後ろを見れば、見覚えのある随分と体格の良い人物が候補生の輪の中で楽しそうに話しをしている。

「あ…八雲さんだ」

「あの人…確か議会で…」

周防 八雲スオウ ヤクモ。人事教育部の統轄をしている、僕と同じ助言者だ。彼は、候補生とのコミュニケーションを大事にしているヤツでね。ここじゃ、彼らの頼れる兄のような存在だよ」

肩を竦めて笑う弥琴にそう聞かされ、再び見やる。確かに彼の周りに居る候補生達は皆緊張した様子などなく、とても教官と候補生だとは思えないくらいリラックスしている。耳をすませば、彼の愛称らしき名前が幾度も飛び交っている。数日前、議会の場で見かけた彼の統轄官らしからぬ緊張感のなさには驚いたが、それが彼のデフォルトだと聞かされた理由も何となく理解出来た。

もちろん、だからと言ってそれだけで助言者として名を連ねている訳ではないのは明白。

「元スポーツトレーナーなんだよ、彼は。ただ、あの性格だからなのか、あまり良い扱いはしてもらえなかったらしくてね。老師が目を付けて引き抜かなかったら、彼の才能はきっと埋もれたままだったとろうさ。ViReXはれっきとしたスポーツ。それも、とりわけハードな方のね。候補生の身体能力を見出すのは、おそらく僕よりも彼の方が上だ」

「珍しい。父さんも負けを認める事があるんだね」

「失礼な。称賛しているんだよ。言い方に気を付けなさい」

「いひゃいよ、ひょうはん」

遠まわしに負けを否定しながら、軽く颯斗の頬をつねりやんわりと諫める。颯斗の外出事件以来で弥琴が強く怒る姿は見ていないが、こういったじゃれ合いのようなやり取りは割と日常茶飯事だと気付いたのは、いつからだっただろうか。同じ仕草を見てやっぱり親子なんだなぁと思う反面、そこに見えない壁を感じてしまうようになったのは、箱庭へ来る前の事。いくら颯斗が懐いているとは言え、斎は部外者だ。形がどうであれクリーゾの問題が解決してしまえば、赤の他人同然。斎がViReXから離れれば、それはなおの事。そう思うと、このまま解決しないで欲しい、などと思ってしまう。

「…お姉ちゃん、どうかした?」

「っ!え?ああ…何でもない。大丈夫だ」

どうやら知らぬ間に眉間に皺が寄っていたらしい。弥琴越しに見えたらしい颯斗が小首をかしげながら声を掛けた事で、それまで颯斗に向けられていた弥琴の視線が斎へと移った。

緩やかに細められた瞳が、訝しむように斎を注視する。それを誤魔化すように笑うと、止まっていた箸を進めた。弥琴も深くは追及するつもりはないらしく、不思議そうに首を傾げて止まっていた食事を再開した。

その後はプライベートルームへ戻り、ここに着いてから別行動を取っていた颯斗に何をしていたかなど聞いたりしながら、ゆったりとした時間を過ごした。そうこうしている内に時刻は午後9時を回り、夢中で話していた颯斗の目もとろとろと眠気を訴え始めた。まだ話したいのだと珍しく我が儘を言う颯斗を言いくるめて寝室へと連れて行けば、存外すぐに眠ってしまった。テーブルには、いくつもの科学誌らしき本。どれも専門的な文が並んでおり、斎には理解出来ない。弥琴曰くネットスクールでも成績優秀との事。迂闊に子供だと侮らない方が吉、という事らしい。

「知りたがり屋なんだよ、颯斗は。あの子に知っていて当然という概念はない。分からなければ聞くし、納得行かなければ徹底的に調べる。それがたまたま、一番身近にあったViReXだったってだけのことさ。知識であの子に太刀打ちできるのは巫弦城が取り仕切るチームくらいだろうさ」

シャワーを終えた弥琴が斎から話を聞き、濡れた髪を拭きながら笑ってそう答える。颯斗の事だ。おそらく将来的には弥琴の下に就かずともViReX関係の仕事に就く可能性は大きいはずだ。

「斎、君も入って来るといい。今日は特に、疲れただろう?」

「そうする」

弥琴にシャワーを促され、着替えを片手にバスルームへ向かう。脱衣所で脱いだ服を洗濯機に放り込んでセットし、斎は中へ入った。

2LDKのこの部屋は存外に広く、あまり物がない事も合間ってどこか殺風景だ。弥琴を含めた助言者達には、こうした部屋が宛がわれているのだと言う。本来ならそれを自室として使うべきなのだが、弥琴は唯一箱庭の外に居を構えている。そのため、必要最低限のものだけが置かれたこの部屋が出来上がったとの事。その証拠に今でこそ申し訳程度に食料や必需品が入ってはいるが、ここへ来た最初の日は冷蔵庫も戸棚の中も、浴室の棚の中も空だった。とは言え、膨大な職員や候補生を抱えるだけあって物資の流通面がしっかりしているらしい。颯斗と散歩がてら敷地内を案内してもらったのだが、俗に言うコンビニのような場所はあるし、生鮮食品も食堂へ行けば大概手に入ってしまう。そういったところで手に入らなくとも、専用端末で頼めば早くて翌日には届いてしまうのだから驚きだ。一度弥琴に尋ねたことはあるが、企業秘密だと言われたため、結局今も謎のままだ。

「ホント、ここは分からない事だらけだよ」

「老師なりに、職員が一番業務に取り組みやすい環境を作ったまでさ。この箱庭は、その結果。閉鎖的ではあるけど、充実している施設が出来上がったって訳。研究に打ち込むならラボに食事を届けてもらう事も可能だし、籠る期間があまりに長いようなら医療部に連絡が行く。必要なものは端末で頼めば入手確定」

肩を竦めて笑う弥琴の手には、いつの間にか手に入れたらしいブランデーと本。ブランデーに至っては相応に値の張りそうな一品。その様子がまた妙に似合っているのだから呆れるしかない。

ブランデー特有の香りが、鼻孔を擽る。最も、あまりアルコールを飲まない斎には理解しがたいものではあるが。自分の為にインスタントのミルクティーを入れ、弥琴の隣のソファへ座り込み雑誌を広げた。そんな斎の様子をしばらく見ていた弥琴が、深く溜め息を吐く。

「…斎、髪くらいちゃんと乾かしたらどうだい?」

「ん~…」

既に雑誌に夢中になっているのか、生返事を返す。そんな斎に苦笑した弥琴はパタリと読んでいた本を閉じ、静かに斎の後ろへと回って首に掛かっていたタオルを抜き取る。まだじっとりと水気を含む髪を包み込めば、慣れた手つきで髪を拭き始めた。決して短いとは言い難い斎の髪の間を、ゆっくりと弥琴の指先が通り抜ける。

「…慣れてるな」

「妻や、颯斗によくやっていたからね。痛くはないかい?」

「ん、大丈夫」

ほんの少しこそばゆさを感じつつ、斎はどこか心地よい弥琴の指先にしばらくの間身を任せていた。

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