Ordinary
第13話
山地特有の少し冷えた風を感じながら、ぐるりと周囲を見渡す。グラウンドでは、選抜されたらしい候補生が訓練を受けている。そんな中、斎はバインダーを抱えぼんやりと候補生に指導する弥琴の姿を眺めていた。
ここへ来ておよそ一週間。検査結果は思いの外あっさりと翌日斎に開示された。斎の感染したクリーゾは今のところ精神面だけに作用しており、アレルギー症状や自傷行為と言った外的なものとなって発露していない事もあり、経過を見る事という事が改めて議会で可決した。
それと同時に、斎を蝕むクリーゾの正体も見え始めていた。
「…は?ドラゴン?」
「ええ。まだ断定はできませんが、貴方の感染したモデルは過去に制作されたドラゴン系統のデータと非常に酷似しています」
クレアドで侠耶から告げられた言葉を理解するのに、たっぷり数十秒は掛かった。それでも理解出来なくて、隣に居た弥琴を見上げれば、至極渋い顔をしていたのを今も覚えている。
一口に幻獣種と言っても、実際におとぎ話や伝承で語られているように、火を吐く、人を石に変える、といった突飛な能力は持ち合わせていない。主な特徴としては、巨大だが俊敏だとか、小柄なのに攻撃力が高いなど、ステータスに関係する内容がほとんどで、姿も動物などを足し合わせた俗に言う合成獣であることが圧倒的に多い。そんな中で、唯一存在しない幻獣がいる。それが“ドラゴン”だ。
「過去に何度か試験的に制作された事はあった。だがどう調整しても制御が難しく出力調整もピンキリ。高確率で暴走の危険性があったがために今では使用・作成が禁止されている」
「そんなものが…なんで俺のとこに…」
「可能性としては、過去に作成・廃棄されたモデルが完全に削除されず、何らかの形で斎さんの元へ辿り着いたという可能性ですが…それでは検出された他のモデル片などの説明が付きません。それに、この常に変動する数値についても…」
そう言われ侠耶の見ていた画面に視線を向ける。問題のクリーゾのものと思われるそれは、やはり絶えず変動していた。
侠耶は安全を考慮し、データの隔離・凍結を経ての解体という最も安全とされる方法を開示した。しかし既に斎は安定化するという覚悟を決めていたため、これを否定。侠耶が説得させようと視線で弥琴に訴えたが、既にその覚悟の旨を聞いていた弥琴にそれを止めるだけの手段はなく。しかしさすがにただそれを承諾するという訳ではなく条件付きとなったが。霧島にもその条件を開示したところ、渋々ながらに許可を出した。
第一に、メディカルチェックの結果を考慮しながらの体力づくり。第二に、もしも弥琴がこれ以上は危険だと判断した場合は即座にモデルを凍結・解体するというもの。そして三つめは……
「あのさぁ…なにもここまで一緒にいる必要はないだろ」
「あるよ。監視役として、君に悪い虫が付いては困る」
バインダーとストップウォッチを持って弥琴の隣で座り込んでぼやけば、さも当然と言いたにそう返って来る。既にこのやり取りは幾度か繰り返されているため、それ以上の追及はしない。
三つめの条件…それは、名目上弥琴の助手として仕事を手伝うという事。とは言え、主な内容は部署での書類整理であったり、今のように候補生達の記録記入だったり。ちなみに助手の仕事が終わると弥琴によるマンツーマンのトレーニングが待っている。
一見監視という名目を使っていいようにされている気がしない訳でもないが、考え方によっては斎にも利はある。ここはGARDISの総本山。行われる訓練はその活動を想定しての訓練。月宮邸で見ていた訓練とまた違った内容のそれが、目の前で見られるのだ。
「そこ!周囲を良く把握しなさい!仲間の進行を妨げるな!」
「っ!はい!!」
模擬戦をしていた候補生の欠点を指摘し、意識させる。その指示は実に的確で、時に斎すら気づかないような部分を指摘することも多々。ViReXをやっている手前洞察力が低いとは言い難いが、それでも弥琴の方が格段に上なのだと何度も思い知らされる。他にも幾度か候補生との総当たりを見たこともあるが、決して少ないとは言い難い人数を相手にしているというのに息を乱した事など見たことがない。
「…体力オバケ」
「なにを言い出すのかと思えば、随分と今更な事を言うね」
日課となったランニングを終え、斎はタオルに顔を埋めながら荒くなった呼吸を落ち着かせていた。隣では、同じく一緒にランニングをしたはずの弥琴がバインダーにタイムを記録している。呼吸ひとつ乱さずに、だ。思わず口を付いて出た悪態とも取れるそれに、弥琴は慣れているのか特に気にする様子もなく返事を返した。
GARDISとして今も前線に出ているのだから、当然と言えば当然だろう。だが斎が見る限り、デスクワークもこなしている弥琴に自主トレをしていると思える時間が見当たらない。それが、ここ最近斎の抱いている疑問だ。本人に聞いても秘密だと言われる始末。秘書である一之瀬も何か知っていそうだが、教えてくれる気配はない。斎はどうにもそれが気に食わなかった。
「勘違いしないでくれよ。僕も人間だ。努力もなにもなしに強くなってる訳じゃない」
「強いもなにも、俺は弥琴がバトルしてるとこ見た事ねぇよ」
斎はGARDISとしての弥琴の姿は既に何度も見ている。しかしオーヴォとしての実力を見たことがない。そうだったかと首を傾げる弥琴に返事をすれば、しばらく考えた後に傍らにあった箱からヴィーヴォを取り出した。表面に番号が振られたそれは、訓練生の為に予備として用意されていたものだ。そのうちの一つと仮想ディスプレイを差し出され、斎は訳も分からぬまま受け取った。
「訓練用に使っている、既製品のヴィーヴォだ。それに好きなモデルを三体入れるといい。それを使って、僕を追うんだ」
「…鬼ごっこでもするってのか?」
「そんなとこかな。ただし、僕が使うのは未強化の狼一体だけ。もちろん、ローアも使わない」
そう言ってヴィーヴォを起動すれば、集束したMistが弥琴を包み込み、一匹の狼を作り上げた。確かにそれはローアではなく、自我も何も持たぬタイリクオオカミの姿をしたモデル。開示されたステータスも、確かに強化される前の初期値を示している。幾度か見せてもらった事のあるローアのステータスとは雲泥の差だ。とは言え。
「そこは、モデルも縛るべきじゃねーの?」
「そうしてもいいけど、どうせ見るなら全力に近い方がいいだろう?」
「………」
なんだか上手く言いくるめられた気がしないでもないが、それは至極正論だった。訓練でモデルを使用しているのを見た事はあるが、所詮は訓練。全力とは言い難い。弥琴の全力を、見たい。おそらくそれは、斎のオーヴォとしての、相手を知りたいという探求心とも言えのかもしれない。そうしてしばらく逡巡をしたのち、斎は仮想ディスプレイを開いてモデルを三体選出した。機動力を考慮してのサーバル、空中戦を考慮してのイヌワシ、そして……
「…うん、やっぱり君の代名詞なだけある。君らしい選択だよ」
鼻先で頬を撫でながら、ゆらりと尾を揺らす。自身のモデルである狼よりも僅かに長い毛並が、ヴィーヴォを介して感触を伝えた。目の前に佇むのは、一匹の虎。それも白い毛並と青い双眸を持ち合わせた、ホワイトタイガーだ。しかし斎は自身の姿を見回し、首を傾げる。
「……普通のアムールを選んだはずだけど…」
「ふむ…君に影響を受けたのかな?いずれにしろ、興味深い事だ」
興味深そうな笑みを浮かべ、地面を蹴る。途端にその身体は高く宙を舞い、美しく弧を描いて眼前に広がる廃墟フィールドへと消えて行った。よりリアルに、それでいて違いを顕著に。それが仮想現実体験…ViReX最大の魅力。それを改めて実感すると、斎も弥琴を追うように地を蹴った。ヴィーヴォにより推進力が付与され、体が宙を舞う。高地だからなのか、頬を撫でる空気はどこか冷たい。
「…第二形態…」
身体が重力を感じると同時に、二枠目に入れたイヌワシへと切り替える。特異能力となる視力強化を利用してフィールドの上を飛べば、弥琴の姿はすぐに見つかった。いや、見つかったとは言い難い。何故なら弥琴は隠れる事もせず、ただ堂々とフィールドに並ぶ廃墟の屋上の一つに腰を据えていたからだ。正々堂々とやり合おうという事か、あるいは何か策があるのか。しかし斎には、そんな事はどうでも良かった。久しくモデルはおろかViReXに触れていなかった事もあってか、高揚感が湧き上がる。
「フッ……いいじゃん、受けて立つぜ…!!」
ニヤリと好戦的な笑みを浮かべると同時に、翼を窄め急降下する。その勢いの中姿を虎へと戻せば、その巨体の重量に加速を加え、弥琴に襲い掛かった。地響きにも似た音を立て、着地点となった屋上に土煙が立ち込める。
「…やれやれ…とんだお転婆だな。あまり壊さないでくれよ。廃墟とは言え、訓練用のフィールドなんだから」
スタン、と軽い音を立て、一つ隣の建物へと弥琴が降り立つ。再び腰を据え後ろ足で頭を掻いている所からして、先程の空襲まがいの攻撃に驚いたりした様子はない。しかしピクリとその尖った耳が震えた瞬間、土煙の中からサーバルが飛び出して同じビルへと着地した。やはり、白い。体勢を低くし隙を伺う姿は、完全に狩りをする獣の姿だ。そんな斎の姿に、弥琴は静かに目を細める。
「おいで。僕を捕まえてごらん」
ゆらゆらと尾を揺らし、嫋やかに斎を誘う。二人の間に流れる数秒の静寂。先に動いたのは、やはり斎。サーバルの武器であるジャンプで奇襲を掛け、距離を詰める。しかし紙一重というところで弥琴はひらひらとその攻撃を躱していく。そうして行く内に建物の端へと追い詰められるも慌てた様子はなく。隣へ移ろうと飛び退いた瞬間、視界に影が差した。反射的に見れば、眼前に迫る虎。ギラリと尖鋭な輝きを放つ碧眼に、弥琴は反射的に足元にあった建物の壁を蹴り距離を取っていた。しかし斎は素早くサーバルへと姿を変え、着地と同時に地面を蹴り、追撃を繰りだした。
「出力調整、50!」
反射的に叫んだ弥琴の声を感知し、ヴィーヴォが反応する。距離を取るために飛び退いた弥琴の姿は、瞬き一つ分を有して人に近いそれへと変化した。俗に言う、獣人と呼ばれる姿だ。そのままさらに数度のバク転を繰り返し、弥琴は斎との距離を大きく開けた。
「ちょっ!ずりぃぞ弥琴!」
「参ったな。使うつもりはなかったんだ。ただ、君の気迫に、思わず…ね」
吠えるように斎から指摘をされ、苦笑いをする。そんな弥琴の様子を怪訝そうに伺うも、その真意が分かる訳でもなく。元よりモデル一体以外に縛りの指定をしていない事を思い出せば、これ以上責める必要などないと結論付ける。何より、本気でやるつもりのなかった弥琴の油断を突けたということでもあるのだから。
あまり深く考えず、再び弥琴へと襲い掛かる。しかしその爪が弥琴を捕らえるよりも先に、その姿は視界から消えた。驚いて周囲を探すと、弥琴はいつの間にか先程まで斎が立っていた場所に居るではないか。斎は瞠目した。何があったのかは理解できる。ただ、“見えなかった”。斎には、弥琴が移動する瞬間が見えなかった。動体視力には自信がある斎だが、それでも直前の動作すら捉える事が出来なかったのだ。いくらViReXによって筋力強化がされているとは言え、あまりにも早すぎる。
「どうしたんだい?僕はこっちだよ」
「っ…ふはっ…ははは…」
不思議なくらい自然と、笑いがこみあげて来る。それは恐怖だとか畏怖だとかそう言うものではなく、どちらかと言えば歓喜に近いもの。どうしてそう感じたのかなど、斎にも分からない。強いていうのであれば、直感、本能…どれもしっくりこない。
「ああ…ダメだ……言葉が思いつかないよ、弥琴……」
「…なんの、言葉だい?」
「楽しいんだ…今、この瞬間が…!」
弥琴がうっそりと目を細め問えば、ひとしきり笑った斎はゆらゆらと長く細い尻尾を揺らした。唸るようになる喉が、上機嫌の証なのだと雄弁に主張する。三度飛び掛かって来た斎の攻撃を躱しながら、吊られるように弥琴も笑みを浮かべた。上機嫌に、それでいて好戦的に笑う彼女は、弥琴が保護して初めての事かもしれない。だが、斎の言わんとしている事は、弥琴にも理解出来た。
「僕も楽しいよ、斎。ViReXで僕をこんな気分にさせたのは、君が初めてだ!」
まるでじゃれ合うように、追い追われを繰り返す二人。次第に行動範囲は広がり、隣接するフィールドにまで及び、とうとうフィールドを飛び出し箱庭全体にまで広がって行った。それを誰も止めようとしなかったのは、二人の速さについて行くことが出来なかったのか、あるいは別の何かか。
時間も人目も気にする事を忘れた頃、それは唐突に終わりを迎えた。
「っ……あ?」
「斎!」
ぐらりと、視界が揺らぐ。その拍子に飛び越えようとしていたビルの淵に足先を引っかけてしまい、身体が傾くのが分かった。対処しなくてはと思考は動くのに、肝心の筋肉が命令無視をするかの如く動かない。下へと働く重力を体感した次の瞬間、それは上へと押し上げられる力へと変わった。弥琴に名を呼ばれながら体を揺さぶられて数回。指先の感覚が戻ると同時に、斎は勢いよく抱き着いた。
「斎…よかった…」
「へへ…捕まえた……」
へらりと笑顔を浮かべ小さく零せば、弥琴は半ばあきれたように溜め息を吐いてゆっくりと抱き上げた。向かう先は、当然と言うべきか、医療棟にいる片桐の元。事情を話し診察を受ければ、精神的興奮に体がついて行けなかったのではという事。つまり…
「はしゃぎ過ぎが原因かと。らしくもないですね、月宮統轄官?」
「以後、留意します」
柔らかに窘められ、苦笑交じりに反省の意を伝える。その後大きな症状も他に見当たらなかったため、それ以上の診察はなかった。とは言え、あまり無理をするなと言及されたのだが。診察室を出ると、颯斗がエントランスで二人を待っていた。どうやら世界樹の図書館へ行く途中でここへ向かう二人を見かけ、追ってきたとの事。せっかくだからと、そのまま三人で食堂へと食事へ向かった。
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