第18話

「父さん!」

「颯斗…」

議場を出ると、廊下の壁にもたれていた颯斗が弥琴の姿を見つけ駆け寄ってきた。手には、斎を気遣って持ってきたのだろうタオルケットとスリッパ。どうやら裸足でここへ来た斎を心配して追いかけていたようだ。眠ってしまった斎の姿におろおろする息子の頭を撫でると、持っていたタオルケットを受け取り、斎に被せる。

「そうか。ちゃんと斎に付いていてくれたんだね」

「父さん、お姉ちゃんは?起きたと思ったら急に泣き出して、そしたら急に部屋飛び出しちゃって…」

「大丈夫。安心して眠っているだけだよ。それより、どうやってここに?」

颯斗には、老師の元に行くとしか言っていない。元より報告だけで終わると思っていたため、弥琴もそれなりにラフな格好でここへ来る羽目になったのだが。それでも、もし颯斗が教えたのなら、ここではなく老師の部屋へ行くはずだ。しかし颯斗は、教えていないと言う。

「分かんない…でもお姉ちゃん、父さんがここに居るのを知っているみたいに歩いてた」

止まる事なく、ふらつきながらも、ただ真っ直ぐに。その間、颯斗が何度声を掛けても返事をしなかったと言う。颯斗の言う様子からして、夢遊病のような状態にあったと推測出来たが、迷う事無くここに来ることが出来た言う点については謎だ。どうやって来たのか聞こうにも、当の本人は現在進行形でぐっすりと眠っている。その疲労の原因が、一部とは言え自分にあるため起こすのも忍びない。話を聞くのは、起きてからでも構わないはずだ。

「それより父さん。さっき、お姉ちゃんの事婚約者って……」

「なんだ、聞こえてたのか」

世界樹を出た頃、恐る恐る問う颯斗にあっけらかんとした様子で返事をする。その様子からするに、出まかせや虚言、という訳ではないようだ。

「あれは以降彼らのような愚行を起こす愚か者を排除するための牽制だ。ああでも言わないと、また誰かが勘違いをして斎を襲いかねない。あの場で正式に僕の口から言えば、噂よりも事実の方が勝る」

「じゃあ…嘘って事?」

「まさか。いずれ正式に、ね」

そう言って笑うその顔は悪戯を仕掛けた子供のようで。その意図に気づいた颯斗は、静かに呆れ交じりの溜め息を吐いた。仮にも、血の繋がった二人きりの家族。まだ幼いとは言え父親の言わんとしている事は手に取るように分かる。いつもなら叔父である巫弦城にこっそりリークするところだが、今回ばかりは弥琴の考えに賛成だった。

「父さん」

「うん?」

「僕妹がいい。きっとお姉ちゃん似にて可愛いと思うよ?」

鳩が豆鉄砲を食らうとは、まさにこの事かもしれない。先ほどの弥琴とそっくりな悪戯っ子の笑みを見せて告げた颯斗の言葉に、一瞬反応が遅れる。しかしすぐに柔らかな笑みを浮かべ、再び颯斗の頭を撫でた。

「弟じゃなくていいのかい?」

「だってお姉ちゃんとお父さんの子でしょ?そしたら、すっごい元気な子になっちゃうと思うんだよね。そうなったら、僕一緒に遊べなくなっちゃう」

病気がちだったこともあってか、あまり外で遊ぶ事のなかった颯斗は、体力に自信がない。もっとも、颯斗の遊び相手と言えば弥琴や金山など、現役でGARDISに所属している人物やその面々だった事もあり、何気に体力は人並み以上の可能性もあるのだが、何分比較基準が彼らしかいなかった颯斗にとって、自分は体力がない部類に入ってしまっているらしい。それはそれで、また子供らしい誤解だ。

「大丈夫だよ。弟でも妹でも、颯斗は良いお兄ちゃんになれるぞ」

「ホント?」

「ああ。父さんが保証してやる」

他愛もない親子の会話をしながら歩く、昼下がり。部屋に着くと、今だ眠ったままの斎をベッドへ寝かせ、汚れた足を綺麗に拭って行く。

「ああ、やっぱり傷になってる…颯斗、医務棟に行って傷薬を貰ってきてくれないか?」

「うん。分かった」

おつかいを頼めば、素直に頷いてパタパタと駆けて行く颯斗の背を見送り、クスリと笑う。しかしその笑みはすぐに消え、弥琴はキャビネットへ置きっぱなしになっていた端末に手を伸ばした。数ある電話帳の欄をしばらく眺めた後、一件の番号を選択し通話ボタンを押す。数回のコールの後、知った声が向こう側から聞こえる。

『はい、プレルーノ』

「弥刑か?僕だ。月宮だ」

『ああ、弥琴か。珍しいな、店の番号に掛けてくるなんて』

「携帯でもいいと思ったが、今の時間ならまだ店かと思ってな。…今大丈夫か?」

「ちょっと待ってくれ」

掛けた先は、斎の家であり義父である司の店、プレルーノ。どうやら彼の携帯に掛けるかで迷っていたようだ。司は店に出る際、携帯を持つ事がない。とは言え話す内容があまり人に聞かれていいものではないため、携帯に掛けるべきかと逡巡したのだ。

程なくして、店を閉めて来たのだろう司が、再び応対の声を掛ける。

『お待たせ。んで?話って?』

「なに、君のお嬢さんについて、中間報告でも…と思ってね」

「………何かあったのか?」

それまでのらりくらりとしていた声に、鋭さが帯びる。彼の勘の良さは、GARDIS時代からの折り紙付きだ。変わらぬ面もあるのだと一人苦笑すれば、弥琴は一呼吸置いて口を開いた。

「察しが良くて助かるよ。…三日前、クリーゾの憑依により暴走した」

『なっ!?いっちゃんは!?無事なのか!?』

彼らしくない狼狽した声で問う司を窘め、彼女が無事であること、後遺症と思われる症状がない事当を伝える。向こうから、全身の力が抜けきらんばかりの安堵の溜め息が聞こえてくる。安易に連絡を取れる相手でなかった事もあり、相当に心配していたようだ。

『よかった……それで、今は?』

「その事で…お前に謝っておきたいと思ってな。今日連絡した本題はそれだ」

『…どういう事だ?』

静かに問われ、視線を伏せる。たっぷり数秒の間を置いて、ようやく弥琴は口を開いた。

「すまない。暴走の反動を抑えるために、彼女を抱いた」

『………』

「今回の事は、暴走で理性を失った斎が僕を求め、僕の判断でそれに応えたに過ぎない。元より、斎がそれを覚えているかも怪しい。義理とは言え君は彼女の父親だ。話しておくべきかと思って、連絡した」

するつもりのなかった言い訳がましい弁解が、ぼろぼろと口から零れていく。ようやくそれに気づきはっと我に返った時、言葉はすっかり放たれた後だった。ゆっくりと流れる沈黙。時折通話口の向こうから、店の前を走り抜ける車のエンジン音が聞こえる。

『…確認したい事、あるんだけど』

「うん?」

『いっちゃんを抱いたのは、弥琴だけ?』

「…僕だけだ。斎を襲ったのは僕の見ていた候補生だったが、その危険を察知したクリーゾが憑依し、暴走したのが事の発端だ。…彼らに関しては僕の監督不行き届きだ。申し訳ないと思ってる」

淡々と、投げかけられる質問に答える。思考は酷くクリアで、驚くほど速やかに欲しい言葉を探し当てていた。寝返りを打った事で投げ出された手が指先に当たる。それを視界の端で見つければ、その手をそっと包み込むように握り締める。それに応えるように、白い指先がその手を握り返して来た。

『じゃあ次。弥琴は、いっちゃんの事、どう思ってる?』

新たに投げかけられた質問に、弥琴はピクリと眉を撥ね上げた。一気に、思考の回転速度が降下していく気がした。

「それは…」

『そのままの意味さ。僕としては、君が昔のように求められたからって程度で抱いたとは思えなくてね』

その言葉に、溜め息を吐く。司もまた、巫弦城と同様に過去の自分を知っている。親友とは言えずとも、本音で語り合える数少ない腐れ縁の友人だ。嘘や隠し事が通じる相手ではない。

「…心の底から、欲しいと思っている。自覚したのはついさっきだが、おそらく…最初に会った時から、無意識に欲したのかもしれない。彼女には、他の子にはない“何か”を感じる…」

それが何なのかは、あまりにも漠然としていて分からない。

『僕はね、弥琴。君にならいっちゃんを託しても構わないと思ってる。分かっていると思うけど、いっちゃんは人に甘える方法を忘れている。僕が分かる限り、ご両親が亡くなってからずっとだ。だから正直、弥琴がいっちゃんの監視に就くって聞いた時は安心したよ。君は人との距離の取り方をよく知っている。何より、あの子と同じ痛みを知っている』

「…愛する者を、失う痛み…か?」

沈黙が、言葉よりも雄弁に肯定を伝える。司の言い分が理解出来ない訳ではない。だが同じように家族と死別した者など探そうと思えばいくらでもいるはずだし、距離の取り方を知っている者だっているはずだ。もしもそこに違いがあるとすれば、それは…

「随分と、高く評価されたものだ。どこぞの馬の骨に渡したくはないのは分かるが同年の、しかも子持ちの男やもめに大事な娘を差し出すのはどうかと思うぞ。少しぐらい迷え」

『やだなあ。迷うも何も、僕はいっちゃんが幸せならそれでいいんだ。多分その望みは弥琴じゃなければ叶わない。こう言っちゃなんだけど、もし和哉君に同じことを言われても、僕は頷けないと思う。彼は、いっちゃんの触れられたくない領域に踏み入ってない』

「その根拠は?」

すかさずそう返せば、何を今さらと言わんばかりに盛大な溜め息が返って来る。その反応の意味がいまいち理解出来ずに首を傾げていると、司は改まったように咳払いをして話始めた。

『あのねぇ弥琴、ああ見えていっちゃんは割と人見知りなんだ。自分から積極的に前に出る事はないし、精神的に弱ってるからってそう簡単に自分のパーソナルスペースへ他人を入れるような子じゃないんだよ。ファンの子達だって、それを知った上で接しているし、暗黙の了解だ。そのいっちゃんが、君に触れられる事だけは許している。抱かれる事を望んだ。それがすべての答えさ』

その言葉に、目を見開く。チラリと隣を見れば、重ねた手は相変わらず握り締められている。その瞬間、弥琴の脳裏をいくつもの光景がフラッシュバックした。裕に迫られた時、一之瀬や巫弦城に出会った時、片倉達と初対面したときもそうだ。決して自ら前に出る事はなく、むしろ警戒の色が見え隠れしていた。片倉の部下である大隅真由奈に誘われ女子会のようなものに行くこともあるらしいが…

「…そう言う、事か…ありがとう、弥刑。お前に連絡してよかった」

『お互いさま。みんないっちゃんの事を心配してたから、安心したよ。…斎の事、頼むよ』

「肝に銘じておく」

通信を切り、端末を再びキャビネットへと戻す。ゆっくりと気持ちを落ち着けた頃、ドアの向こうで何やら物音が聞こえて来た。握り締めていた手をそっと離してドアを開ければ、颯斗がキョトンとした顔でカウンターキッチンからこちらを見ている。

「颯斗…戻ってたのか」

「話し終わった?なんだか、入っちゃいけないような気がして…あ、貰ってきたもの、テーブルの上にあるよ。コーヒー飲む?」

インスタントのそれを掲げながらへらりと笑う息子に、思わず感嘆のため息が出る。我ながら出来た息子だとひっそり称賛をかねて頭を撫でれば、颯斗は照れくさそうに年相応に笑顔を浮かべた。

「お姉ちゃん、まだ起きない?」

「ぐっすり寝てるよ。一度は体を奪われたようなもんもだからね。休める時に休ませておいた方がいい」

――斎が本格的に目を覚ましたのは、それから一時間ほど後の事。

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