Mind

第19話

「…腰痛い、喉いたい、足じんじんする」

「はいはい。ほら、白湯持ってきたから、そろそろ顔を出してくれないかい?」

掠れ君な声を発するベッドの膨らみを撫で、優しく説得する。少し間を置いて、布団の山から斎が顔を上半分だけ出した。弥琴が手を伸ばすと、僅かにピクリと跳ねたものの、拒絶される事はなかった。あれから目を覚ました斎が弥琴の顔を見るなり真っ赤に赤面し、布団の中に籠ってしまったのは数時間前。理性を失っていたとは言え流石に記憶があったらしく、今の今まで話す事は出来ても目を合わせるどころか顔さえ見せてくれなかったのだが。

「起きられるかい?」

「………」

沈黙。数秒見つめた後、緋色の瞳はふよふよと挙動不審なくらい彷徨い始める。弥琴はやれやれと溜め息を吐くと、布団の中へと手を入れてゆっくりと斎を抱き起しベッドの淵へ座らせた。白湯の入ったマグカップを斎に渡し、足元へと跪いて白い足をそっと手に取る。裸足で出歩いてしまったがために、僅かとはいえ出来てしまった傷。弥琴は傷の状態を確認しながら、緩んでしまった包帯を巻き直していく。

「本当に…今日の事は何も覚えてないのかい?」

「覚えてない。なんでこんなに痛いのか、こっちが聞きたいくらいだよ」

両手でマグカップを持ちながら、不貞腐れ気味に斎が返事をする。再び目を覚ました斎は、自らの足で議会場まで来た事を一切覚えていなかった。そのため何故足が痛むのか、何故傷だらけなのか、どういう事だと言わんばかりに驚いていた。唯一記憶があるのは、一度目を覚ましてから颯斗の言う部屋を飛び出す直前まで。だがそれも、至極曖昧だ。

「何度思い出しても、そこだけ記憶がはっきりしないんだ…颯斗は居たのに弥琴が近くに居なくって、すごい不安になって…でも、いつもの発作とちがって、苦しいとか、そういう感覚じゃなかったのは覚えてる」

「ふむ…感情同期…かな?」

「感情同期?」

包帯を巻き終わった弥琴が、ポツリと呟く。その言葉を尋ねるように反芻すれば、弥琴がゆっくりと説明をしてくれた。

感情同期とは、読んで字のごとく互いの感情が同期する事。幼い子供や感受性の高い人間に対して稀に起こる現象らしい。一方の感情がもう一方に何らかの形で伝わり、感情が発露する、というのが一般的な症例だ。斎の場合、同期した相手はクリーゾである可能性が高い。現に弥琴も、クリーゾ暴走の際にローアの怒りに共鳴し、ローアもまた弥琴の怒りに同期している。

「今回の騒動で、クリーゾは一時的とは言え君の身体に憑依した。おそらくその際に、感覚の一部がリンクしたんだと思う。と言っても、どの程度のものなのかは、調べてみないと分からないけど」

「なら、あの時感じたのはクリーゾの感情って事か?」

「まあ…そういう事になるね」

それでも何かが引っかかるのか、床に座り込んだまま思慮に浸ってしまった弥琴の視界を、つい今しがた手当をした斎の足がぴょこぴょこと揺れ自己主張をし始めた。それに気づき顔を上げれば、斎が自身の隣スペースをばしばしと手で叩き、無言で訴える。どうやら、隣に来いと言いたいらしい。素直にそれを口にしない斎に苦笑すれば、弥琴はそれに従って隣に腰を降ろし差し出されたマグカップを受け取った。途端に斎の身体がゆっくりと傾き、弥琴の膝へとしな垂れかかる。足に頬を摺り寄せる斎をそっと撫でれば、撫でる手を握り締められた。緩く暖かな静寂が、静かに二人を包み込む。

「……なあ弥琴…アイツ、どうしてる?」

「アイツ…?クリーゾの事かい?」

静かに、頷く。どうやら感情が同期した事で少なからずクリーゾの感情が伝わって来るらしいのだが、それが悲しみや寂しさと言った哀愁の念であるため、気になっているのだと言う。

「それにさ、夢…見たんだよ。ちいさい子供が、めそめそ泣いてるの。声掛ける前に目が覚めたけど、俺には無関係に思えなくって…出来れば、様子見に行きたいんだけど…」

そう言いうものの、言葉は尻すぼみしていくばかり。あんな騒動があった手前、どうやら遠慮が先行してしまっているようだ。斎を襲った候補生はGARDISに不適切だとして追放処分となった事は霧島から直接の連絡で知っているし、今回の事で斎に責任はない事も理解している。それでも箱庭に迷惑を掛けた手前、自分から行動する事に躊躇いが生まれているのだ。

そんな斎の心情を察してか、弥琴は苦笑交じりに溜め息を吐いた。髪に絡めた指先が、ゆっくりと白い髪を梳いていく。

「君が気に病む事はない。むしろあれは、僕の読みの甘さが引き起こした事だ。ああなる危険があったのに、君を一人にした。おまけに彼らは僕が見ていたチームの候補生…だから、君が負い目を感じる事はないんだよ」

一定のリズムで、弥琴の手が斎を撫でる。その手は大きく温かく、優しく斎を落ち着かせた。それが心地よくて、弥琴の膝に頬を摺り寄せ甘えた仕草を見せ始める。それでも不安げにスラックスを握り締める手に触れれば、斎の方から指を絡め握り締めて来た。その手をゆっくりと持ち上げ、白い手の甲へキスをする。

「今回の事について、既に先手は打ってある。だから、君はもう気にする必要はない」

「…分かった」

僅かな逡巡の後、決心したように体を起こす。隣に腰掛け伸びをする斎の表情は、幾分か和らいでいる。

「弥琴が言うなら、大丈夫なんだよな。だったら、遠慮せずにイッ!?」

「おっと」

床に足を降ろし立ち上がろうとした瞬間、斎は表情を歪め倒れ込む。反射的に手を出した弥琴と一緒に、ベッドへと共倒れになった。抱えられるように倒れた斎が、涙の滲んだ目で見上げてきた。

「弥琴ぉ…」

「ん…どこが痛むんだい?」

「ぅ…足と、腰……」

「はぁ…しばらく一人で出歩くのは無理みたいだね……」


◆◇◆◇◆◇◆◇


「……で、何故そうなるんですか?」

「仕方ないだろ。対処したとは言え、しばらくは一人で出歩くのはまずい」

「だからって!貴方が抱えて来る必要はないでしょ!車椅子くらいあるでしょうが!」

――クレアド棟内・巫弦城の研究室。部屋の主である巫弦城は、あからさまに深い溜め息を吐いていた。そんな彼をよそに、来客用のソファに腰掛ける弥琴。その膝には、ブランケットを肩に羽織った斎が申し訳なさそうに座っていた。あれから体の痛みに悶えここへ来ることを断念しかけた斎を、弥琴が否応なしに抱え上げてここへ連れて来たのはついさっきの事。俗に言うお姫様抱っこなる状態で連れて来られた斎は、これ以上ない程に耳の先まで赤くしながら、弥琴の胸元に顔を埋めてしまっていた。冷えはよくないと渡されたブランケットで頭まで被ってはいたものの、おそらく職員には誰なのか等に特定出来ているはずだ。巫弦城の言うように医療棟に行けば車椅子くらいは借り受ける事が出来た訳だが、“あの宣言”をした事もあり改めての牽制を兼ねているのだろうことは、付き合いの長い彼が気づかないはずもなく。呆れ交じりの溜め息を吐くと、傍らに控えていた自身の秘書に車椅子の調達を頼み、肩越しに二人へ視線を向けた。

「こちらへ。現在件のクリーゾは、AR室でスタンドアロン収容しています」

秘書が出て行ったのとは別の扉に手を掛け、そう告げる。その聴き慣れない言葉に、斎は首を傾げて弥琴を見上げた。その視線に気づいた弥琴が、再び斎を抱え上げながら説明を始めた。

「AR…正しくはAugmented拡張 Reality現実という、ViReXの大元となったシステムだ。ViReXと違って、ARの方は肉眼で見る事が出来な。透過型のディスプレイや、それらを認識するカメラ、触覚に働きかけるデータグローブと言った大掛かりな装置が必要になる。今じゃ小型の仮想ディスプレイが普及しているけど、一世紀前…首都直下型地震の前には医療技術や体感型のゲームとしてとして取り入れられ始めていたシステムなんだ」

「へぇ……ん?でも、それじゃあ俺が行っても見れないんじゃ…」

「その心配は、ありません。ウチもそんな精密機器を大量に置いて管理していられる余裕なんてないですからね。対象となるモデルやクリーゾは、特殊なフィルムによって作られた球体ディスプレイ内に投影されます。ViReX同様に立体映像として見る事が出来るので、そう言った機器は必要ありません」

「じゃあ…その後のスタ…なんちゃらってのは?」

「スタンドアロン収容です。スタンドアロンとは、通信ネットワークに接続していない、孤立状態で使用するシステムなどを指します。先ほど言った球体ディスプレイは、外部への情報漏洩を防止するためにあえて箱庭内外のネットワークから遮断しています」

新たに尋ねた質問を巫弦城が答えていれば、程なくして認証システムの付いた金属性の扉の前へと来た。不思議だったのは、ここに来るまでに誰ともすれ違わなかった事。斎を気遣ってなのか偶然だったのかは分からないが、そうこうしている内に扉が重い音を立てて左右にスライドした。途端に、今まで通って来た通路とは全く違う空気が斎の肌を撫でる。扉を潜った先に広がる空間に、思わず口を開けた。この建物4階分はあるだろう吹き抜けの室内。その中央に鎮座する、数本の骨組みによって形作られた巨大な球体。その表面には、先程巫弦城が話していた特殊フィルムと思われる薄い被膜のようなものが張り巡らされている。その中で、胎児のように蹲る白く歪な姿をしたなにか。その姿はぼんやりとしていたが、それがクリーゾである事は弥琴に説明されずとも分かった。

「あの筐体自体、既にスタンドアロンの状態にありますので、通信ネットワークを利用しての脱出はまず無理です。先日は、ここからオフライン収容への移行中に…」

そう話す巫弦城の声など耳に入っていないかのように、無意識に身を乗り出す。それに気づいた弥琴がそっと降ろせば、斎は足や腰の痛みを忘れたかのようにゆっくりと球体に近づく。残り数Mに迫った頃、ようやくその存在に気づいたかのようにクリーゾがのろのろと首を擡げ、斎の方へと首を運んだ。どうやら、あちら側からも斎達の姿が認識できるようで。躊躇いがちに触れたフィルムは、意外にもガラスのように固い。クリーゾはそれを真似るように、頭とおぼしき角の生えた部分を摺り寄せる。被膜越しに触れた刹那、斎は大きく目を見開いてその場に座り込んだ。驚いた弥琴が慌てて駆け寄り肩を抱き寄せると、斎は茫然としたままぼろぼろと大粒の涙を流していた。そんな斎の異変に気づいたのだろう、途端にクリーゾがおろおろしたように暴れはじめる。が、斎にそれ以上の反応はない。

「斎…?」

「ッ…ぁ……そっか…お前…」

支える弥琴の腕を握り締め、それを手繰るように肩を掴み、よろよろと立ち上がる。弥琴に支えられようやく立ち上がると、不安そうにこちらを伺うクリーゾを見上げ、再び被膜に触れた。

「弥琴…あの夢の子供……この子だ…」

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