第二戦:霧の箱庭
Sages
第9話
GARDIS総本部――通称【箱庭】――
人里離れた山の中に突如出現したその場所は、周囲を山に囲まれた盆地のような地形をしていた。平地部分の大半を点在する広いグラウンドが締めており、その間や切り開かれた山の斜面にいくつかの建造物が立ち並んでいる。グラウンドには様々なフィールドを模しているのだろう廃ビルや廃工場を模した建物から、自然フィールドまでと様々。
斎達の乗ったヘリはそんな多種多様なグラウンドの上を通り、峰に立つ円筒型の建物の屋上へと降り立った。ここにある施設の屋上は、土地を広く使うため全てヘリポートとして使われている。とは言え、今の斎にそれを気にする余裕などなかった。
「んー!はぁ…なんかここに来ると体が軽くなった気がするけど…なんでだろ?」
「それだけ、空気が綺麗なんだよ。……斎、大丈夫かい?」
伸びをする颯斗の姿に苦笑しながら、抱きかかえた斎に声を掛ける。あれから到着するまでずっと眠っていたのだが、先程起こした際に眩暈を訴えた。一度は立ち上がろうとしたものの、とても歩ける様子ではなかったため、こうして弥琴が抱きかかえているのだ。
「一之瀬、片倉医師に連絡を。僕らはこのまま、クレアドに顔を出していく」
「分かりました。お荷物の方は、先にお部屋へと運ばせていただきます。片倉医師も、お部屋でお待ちいただいてよろしいでしょうか?」
「いや、斎の容態だけを知らせてくれ。おそらく、後で会うはずだ」
弥琴からの指示を受け、一之瀬は一礼をしてヘリへと戻った。その背を見届け建物へと入ると、斎はもそりと体を捩らせた。
「弥琴…おろして…」
「落ち着いたかい?」
「うん…ちょっと…酔っただけだ…」
どこかぼんやりした様子でそう答えれば、弥琴はゆっくりと斎を降ろしてくれた。羽織ったままだった上着を返そうとすると、そのままで構わないからと頭を撫でられた。
「ここは
斎の手をしっかいりと握りながら、早すぎず遅すぎずの速度で歩く弥琴。
入った建物内は壁でなく仮想壁で仕切られており、中では白衣を纏った研究者らしき人々が仮想壁を通り抜けながら忙しなく動き回ったり、ディスプレイとにらめっこをしたりしている。
時折職員とすれ違うと、弥琴ではなく職員の方が会釈をして道を開けた。どうやら弥琴は、ここでも随分と上の立場に居るようだ。
数度階段を降りてたどり着いたのは、【エミュレーション解析室】と書かれた部屋。そこは他の部屋とは違い、重厚感のある鋼の扉によって閉ざされていた。その扉を、弥琴はだれの許可を得るでもなく開け放つ。突然開け放たれた扉に驚いたのだろう。何人もの研究員達が弥琴へと視線を向けた。
「おやおや…お早い御着きですね、月宮統轄官」
「気色の悪い敬語を使うな。虫唾が走る」
「相変わらず歯に着せぬ物言いで。まったく、神山君が可哀想でならない」
「ならばお前の部下は相当哀れだな」
程なくして雄弁な態度で声を掛けて来た男に、弥琴は珍しく不機嫌を隠す事無く唸るようにそう吐き捨てる。既に弥琴からの扱いが酷い裕の姿を幾度か見たことはあるが、この男はそれ以上のようだ。だが周囲に居る研究員達は慌てる様子もなく冷静で。隣に居る颯斗にも、慌てる様子は見られない。そんな事を考えていると、気が付いたらしい男が斎に視線を向けた。初めて会ったはずなのに、初めてな気がしない。雰囲気が、誰かに似ている。
「おや、可愛らしいお客さんですね。そちらのお嬢さんが、今回の感染者で?」
「…そうだ。既に情緒不安定やパニック障害の症状が発露し始めている。ここへ到着する前にも発作を起こしている」
弥琴の言葉に、男の目の色が変わる。しばらくじっと見つめながら斎の前まで来ると、突然ニコリと笑って見せた。そのあまりの変貌ぶりに、斎は思わず身構えてしまう。
「そう怯えないでください。僕は
「えっと……朝日奈、斎です……」
差し出された手を握り、握手をする。が、侠耶が手を離すと弥琴の腕へとしがみ付いてしまった。そんな斎の行動に、侠耶は目を細めて苦笑する。弥琴が落ち着かせようと頬を撫でると、視線を伏せて役々顔を隠してしまった。
「おやおや、嫌われてしまいましたかな?」
「手荒な真似はするなよ。義理とは言え、この子は弥刑の娘さんだ」
「ほう…それで?いくらで手を打ったんです?貴方が直接見ているという事は、相応の取引があったはずでしょう?」
「誤解を招く言い方をするな。彼女の監視については、僕が申し出た。それだけだ」
憤慨気味にそう弥琴が言い放った瞬間、その場の空気が音を立てて固まった…気がした。目の前にいる侠耶はともかく、話しを聞いていただろう室内に居た研究員達すら、驚きを体現するかの如く固まっている。
そんな沈黙を最初に破ったのはやはりと言うべきか、侠耶だった。
「あっはっはっはっwww君がww申し出た?wwwそんなバカなwwwあははははははwwwうぇっwげほっww」
「…………」
――――ゴッ――
嗚咽交じりに今にも笑い転げん勢いで爆笑する侠耶の鳩尾に、弥琴のカウンターが綺麗に入り込む。そのあまりの強さに、床で腹を押さえのたうち回る侠耶。殴った張本人である弥琴は、当然だと言わんばかりに見下した視線を送っている。
「そうか。せっかくクリーゾの現物を持ってきたが、これは第二部署の多津美補佐官の元へ持っていくべきだったな」
「!!ダメです!あの人のところに持っていったらそれこそ解析不能になるっ!!」
「…颯斗、この二人いつもこんななのか?」
「うん…この二人、有名なくらい犬猿の仲だから。それに、侠耶さんは…」
「あ、颯斗くん!前に言っていた機械工学の本、新刊来てますよ♪」
「えっ!ホント!?」
なんとかデータを死守したらしい侠耶が思い出したように声を掛けたため、颯斗は華が開くように表情を輝かせそちらへ行ってしまう。隣に立つ弥琴を見れば、どこか呆れたように溜め息を吐いている。が、先程のような不機嫌さはない。
「颯斗、僕は斎と老師のところへ行く。お前は、どうするんだ?」
「ここに居る!」
勝手知ったるなんとやら。おそらく侠耶の研究室に向かうのであろう颯斗に声を掛ければ、元気な声で返事が返って来る。一室へ入っていくその背を見送ると、弥琴はくるりと踵を返して歩き出した。その背を追うように、斎も歩き出す。相変わらず、手は繋いだまま。それはクレアド棟を出ても離れる事はなく、まるで何かに対する牽制とも取れる。最も、その真意は弥琴にしか分からないのだが。
今の斎に分かるのは、この箱庭での弥琴の人望の厚さだ。研究員だけではない。職員や、果ては訓練生らしき若者まで。弥琴に羨望にも似た眼差しを向けるのだ。
そうして幾度か声を掛けられては立ち止まり話すというのを繰り返した後、二人は一際重厚感のある建物へとたどり着いた。それまで見かけた他の建物と同じ作りをしているはずなのに、それはどことなく威風をと威厳を漂わせている。ここだけ、空気が違うのだ。
「弥琴…ここは…」
「この箱庭の、中枢とも言える建物。“世界樹”と呼ばれている」
黒曜石のタイルが敷き詰められたフロアを進み、慣れた様子でエレベーターに乗り込む。弥琴が平然とする一方で、斎は既にこの張りつめたような雰囲気に呑まれかけていた。思わずつなぐ手を握り締めれば、それに気づいた弥琴がそっと額へキスを落した。
「大丈夫。老師は威厳のある人だけど、斎が思う程怖い人ではないよ。理由もなく、他者を嫌ったりしない。なにより、颯斗を実の孫のようにかわいがってくれている人だ。君の事も、きっと気に入ってくれるよ」
弥琴がそう優しく応えると同時に、エレベーターが目的の階に到着した事を告げた。通路一つを挟んで向こう側にある扉をノックすれば、程なくして静かにドアがスライドして開いた。開かれた扉の先に会ったのは、洋風の扉に似つかわしくない畳敷きの和室。そのむこうは全面ガラス張りの窓があり、箱庭の敷地内を見渡せる。その手前に置かれた和風の応接セットの前に、その老人は腰掛けていた。
「老師、お久しぶりです。月宮です」
「おお、来たか」
どこか嬉しそうにしわがれた声でそう言うと、老人は傍らにあった杖を手に二人の元へと近付いてきた。その老人は皺だらけの顔に白い髯を蓄えており、杖を突いている割にその腰はしっかりと伸ばされている。老人は斎の前へ来ると、白い眉の下で大きく目を見開きながらじっと見つめた。
「ふむ…このお嬢さんが、今回の感染者かな?」
「はい。既にクリーゾ本体はクレアドの巫弦城統括官に譲渡してあります。颯斗も連れて来たので、後程顔を見せるはずですよ」
「おお、そうかそうか。これ、早乙女。茶の用意を」
「かしこまりました」
傍らに控えていたパンツスーツ姿の秘書に声を掛け、二人を先程まで座っていた応接セットの元へと導く。少し低めのテーブルには、息抜きに一人で刺していたのだろうチェス盤が置かれていた。
「儂は、霧島 総一郎。この箱庭を取り仕切っておるじじいだ」
差し出された手を、おそるおそる握る。祖父母のいなかった斎にとって、その齢を重ねた武骨で皺だらけの手は、どこか新鮮さを感じさせた。
「朝日奈、斎です」
「うむ。お主の養父である弥刑から、よう話を聞かされた。…して月宮よ、進捗はどうだ?」
「ひと月ほど前に症状が発露。以降、発作的に症状が進行しています。既に到着前にも、パニック症状とおぼしき発作を」
腰掛けた霧島に倣って向かい側の席へと座りコトンと駒を一つ動かしながら説明をする弥琴。斎も促されるままに腰を降ろすと、霧島はゆっくりと髯を撫でて盤上を眺め、自分の側の駒を一つ動かした。
不規則なリズムを刻みながら、一つ、また一つと駒が動く。しばらく続いた沈黙を破ったのは、コトリと置かれた湯呑の音。
「それで、要件はなんだ。お主がこのお嬢さんを連れてここへ来たという事は、相応に理由があるんだろ?」
「…
トン、と何度目かの駒を指す音が響く。それと同時に、それまで盤上を見ていた霧島が大きく目を眇めてから、弥琴を見た。それに動じるようすもなく、ゆっくりと緑茶を口にする弥琴。勝負は、いつの間にか弥琴のチェックメイト。彼の様子からして、巻き返しは難しいのだろう。とうとう深く溜め息を吐くと、かりかりと頭を掻きながら背もたれへと体を沈めた。傍らでは、先程早乙女と呼ばれた秘書がクスクスと笑っている。
「…確信は、あるのか?」
「ええ…僕なりの、見立てではありますが」
弥琴の意味深な言い方に、指先で顎を撫でながら霧島が唸る。しばらく思案した後、肘置きをぽん、と叩いた。
「よし。いいだろう。早乙女、助言者に至急召集を掛けろ」
「はい、かしこまりました」
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