第10話

――助言者コンシラント――

総取締役・霧島 総一郎を中心とし、箱庭内外にある数多の部署においてそれぞれを統べる各部署の統括官を指す。彼らの招集には霧島の承諾が必要であり、ひとたび宣言が掛かれば、速やかな召集が要される。

「各部署の統括が顔を合わせ、議題について意見を躱す。皆現役で相応の実力や知識を持つ者ばかりだから、より綿密な議論が出来る」

「弥琴も…そうなのか?」

「一応ね。名目上、外部人事の統括指揮官という事に」

「外部にて活動をされている統括官は月宮様だけではありません。箱庭ばかりに籠っていては、ひとつの概念に囚われやすくなってしまいますから」

「外へ居住を構えておるのは、月宮だけだがな」

絨毯の敷かれた広い通路を歩きながら、助言者なる存在について弥琴や早乙女から雑談交じりに説明を受ける斎。幸いにも助言者は弥琴を含め全員がこの箱庭に居た為、予想よりも早く召集する事が出来た。

ここは世界樹内にある、霧島と対面した部屋とは別の階にある通路。周囲には窓はなく、重厚な壁が続いている。ここはここで、また違った雰囲気を醸し出している。そんな壁しかないような通路を進んだ先には、これまた重厚感のある扉。早乙女が扉を開けると、中には既に数名の職員と思しき面々が円卓を囲んでいた。その中に、一之瀬や侠耶の姿もあった。席についている職員と、その後ろに立つ職員。おそらく、後者は一之瀬や早乙女のような彼らの秘書なのだろう。弥琴が席へと座ると、一之瀬が斜め後ろにあった椅子を斎に進めて来た。どうやらこの席は、斎の為に用意されたようだ。

進められるがままに腰を降ろせば、自席からそれを見届けた霧島がこくりと頷き、カンッと杖を強く打って場を改めた。

「これより、緊急議会を始める。今回の召集は、外部人事統轄部、月宮によるものだ。月宮、説明を」

霧島から指名され、立ち上がって一礼をする弥琴。椅子に深く座る者、背もたれから背を離しピンと背筋を伸ばして座る者、テーブルに肘をついて座る者、頬杖をついて座る者、果てはテーブルに足を乗せ大胆に寛いだ体勢でいる者…その場に居た全員の視線が、弥琴に向けられる。

「なんだ、今日の召集は弥琴の進言だったのか」

「ああ。例のクリーゾが、手に負えなくなってきてな」

場にそぐわぬ声色で、隣席でテーブルに足を乗せながらくつろいでいた男が声を掛ける。が、弥琴の口にした“クリーゾ”という言葉に、その場の空気が変わった。数秒の間を置いて、弥琴が再び口を開いた。

「一之瀬からの代理報告で聞いていると思うが、対象者はひと月前から浸食と思しき症状が不定期に進行している。老師、現在容体は落ち着いているため、今回は対象者の同席を希望します」

霧島に向かってそう進言すると、こくりと頷いて承認の意を示した。それに対し弥琴はこくりと頷き、説明を再開した。

「主な症状は、急激な眩暈、寒気、吐き気、頭痛など情緒不安定によるパニック障害、依存症状。それと、クリーゾ発覚時から不定期に幻聴を訴えています」

「幻聴……これまでの症例にはない症状ですね」

「その感染モデルの解析について、進捗は?」

どこか穏やかさを帯びた声で、誰かが呟く。それを追うように、また別の誰が弥琴に問う。座席に置かれた札には“衛生医療部”“法務部”と書かれており、担当者の名前までは分からない。今の斎に分かるのは、衛生医療部に座る人物のみが、助言者内で唯一の女性であることだろうか。

「発見後本人に聴取したところ知らぬ間に紛れ込んでいたとの事なので、他者による介入等の線は薄いかと。こちらでの解析の結果、爬虫類系統のモデルであることを特定。しかし……」

「そこから先は僕が」

言葉を続けようとしていた弥琴を遮るように、右隣の…“技術創造部”と書かれた席に座っていた侠耶が手を上げて立ち上がる。弥琴はそれを窘めるでもなく、静かに腰を降ろしその場を譲った。それをよしとしたのか、侠耶は軽い指先で数度デスクを叩いた。途端に、円卓の中央に巨大な画像が映し出され、ゆっくりと回転し始める。そこに映し出されていたのは、簡易解析による解析結果とおぼしき文章といくつかのグラフ。

「件のモデルデータは既に月宮統轄官から受け取っています。まだ簡易調査の段階ではありますが、彼の言う通りベースは爬虫類モデルと断定。しかし不可解な事に、断片的ではありますが、哺乳類、鳥類モデルなどのデータ片も検出されました。これについては、目下調査中です。また、数値の変化が著しく形状が安定しないという報告も来ています。おそらく、これらのデータ片による容量過多が影響している可能性が大きいかと」

「ふむ…以上を踏まえた上で、何か意見のあるものは?」

「…形状が安定しないと言っていたが、クレアドの出力機でも無理なのか?」

今度は左隣の“人事教育部”と書かれた席から声が上がる。机に脚を乗せ、おおよそこの場の雰囲気には似つかわしくないほど姿勢が崩れているが、彼の秘書も、周囲の誰も注意しようとはしないあたり、これが彼のデフォルトなのだろう。

そんな男の言葉に、侠耶ではなく弥琴が手を上げて立ち上がった。

「それについての僕の見解なんだが…一之瀬が報告した通り、彼女が出場していたバトルには僕のチームがジャッチに立ち会った。彼女がこのモデルを発動させる瞬間を僕は偶然見ていたが、このモデルは形状を取る間もなく四散。後で確認したが、その時使用していた彼女のヴィーヴォはショートし、基盤が焼けていた。おそらく数値が不安定な状態で出力しようとしたのが原因だろうというのが、僕の見解だ」

「月宮さんの言う通り、まずは数値の特定・安定が先決でしょうね。最大数値だけでも特定できれば少なからず対応はできますが、それらの設定が出来ない状態で出力すれば、クレアドどころかこの箱庭全体の電力が落ちかねない」

肩を竦めながら、ため息交じりに侠耶がそう告げれば、室内に再び沈黙が訪れる。

不意に、誰かが静かに霧島を呼ぶ。視線を向ければ、衛生医療部の女性が挙手をして待っていた。

「どうした、片倉」

「はい、先程のお話しとは少しそれてしまいますが、後程感染者のメディカルチェックを推奨します。先ほど一之瀬さんを通して、月宮統轄官から移動中に体調を崩し睡眠薬を使用したと伺っております。クリーゾの浸食被害は主に精神的なものが多いですが、それがいつ身体的なものに関わるか分かりません。特に女性は、情緒不安定などに陥りやすい傾向にあります」

「うむ…では後程、彼女の検診を。良いかな、お嬢さん」

「っ…はい、お願いします」

話に聞き入っていたせいで、一瞬遅れて返事をすれば、前に座る弥琴がクスリと肩越しに笑ったのが分かった。

「片倉医師、彼女はクリーゾ感染の際、故障したヴィーヴォの影響で一時的に三半規管に影響を受けています。すでに症状はないと思いますが、それについての検査もお願いできますか?」

「ええ。了解しました」

「……随分と、見え透いた下心ですね」

どこからともなく、明け透けなまでの無粋な声が講堂に響く。俯いていた斎が驚いて顔を上げると、それは斎から見て霧島の左側…”総務部”と札に書かれたテーブル。一瞬そこに座っている男から発されたのかと思ったが、弥琴の様子から見て、どうやらちがうようだ。

「…どういう事かな、磐城いわきくん」

静かに、問いただすような声色で頬杖を突きながら弥琴が言う。すると先程斎が見ていた男ではなく、その後ろに立つノンフレームの眼鏡を掛けた吊り目の男が、ブリッジを指先で押し上げ横柄な態度で口を開いた。

「ああ、失礼。貴方が、あまりにもだらしなく鼻の下を伸ばしていたように見えたので。見たところ、今回の感染者に随分入れ込んでいるみたいですね。監視役の立候補、月宮邸での療養、行動制限の緩和…とても、聡明な月宮統轄官とは思えませんでしたので。ああ、そちらのお嬢さんに擦り寄られましたか?貴方を手籠めにすれば、玉の輿も同然ですからねぇ」

「なっ!!テメェ!!」

「斎、止めなさい」

ククッと笑いながら、斎に嘲るような視線を向ける磐城。その一方的な物言いに反論しようとした時、弥琴が斎の前に手を翳してそれを制した。その声が酷く低く冷たく、ぞくりとした寒気に思わず身震いをする。しかし、それにすら気づかぬ者が一人。

「いくら貴方がクリーゾに感染した最初の症例者とは言え、他も同じと思わないでください。いずれ死ぬか廃人になる人間に経費を削る程、こちらも暇ではないんです。成り上がり“破壊者”の荒唐無稽な夢物語に我々を付き合わせないでください」

無礼さを孕んだ物言いで、王弁に語るそう発言する磐城。尚も居丈高に発言し続けていたが、斎はそれどころではなかった。

―――弥琴が、最初の感染者であり、“破壊者”――

その言葉が、幾度も斎の脳内で響いた。

ViReXを行うオーヴォには、プレイスタイルに合わせて自動的に称号が与えられる。オールラウンダーで攻撃的なプレイスタイルが持ち味の斎は“狩猟者”、チーム全体を見据え導く事が得意な和哉は“先駆者”。当然、似たプレイスタイルを持つ者は複数存在するため、同じ称号を持つ者は他にも居る。しかし、唯一その存在を知られていながら、誰も該当しない称号がある。それが、“破壊者”。斎も、その存在を人伝の噂話できか聞いた事がなく、架空の称号と囁かれていたのだが。

「……随分と、良く吠える駄犬だな。躾がなってないんじゃないか?松永」

コツン、とテーブルを指先で叩いた音によって、斎は思慮に留まっていた思考を現実へと引き戻された。話の流れからして、松永と呼ばれた男が磐城の前に座る彼の上司なのだろう。それまで机上に手を組んでいた男…松永が、ギシリと背もたれへと体を沈めた。その顔は、殊更に倦怠を表に出していた。

「…生憎、これはプライドが高くてな。仕事はできるが思慮分別に欠けている」

「っ…!はじめ様!」

「黙れ、俳斗ハイド。今この場でしたお前の発言が総務部の品位を落している事に何故気づかん」

上司からの至極真っ当な一言に、磐城はひくりと頬を引きつらせた。そこから狼狽しないあたり、彼の発言が全て驕僭的なものであることは明確だ。それだけ、自分の発言に自信を持っていたのだろう。周囲を見ても、彼の意見に皆が賛同するとは思えないし、とても聞いていたと態度とは思えない。強いていうならそれは、呆れ。

「磐城くん、“無知を恥じるのではなく、無学を恥じる”、と言う言葉を知っているかな?」

「…は?」

「“知らぬ事は恥ではない。それを学ぼうとしない事が恥だ”ということだよ。今の君はまさにそれだ。高学歴のエリートという後ろ盾に縋りすぎている。書面にある情報だけで全てを知ったつもりでいる。僕からすれば、君の行動の方が荒唐無稽だ」

――キィィィ……――

何かが軋むような音に、斎は思わず片耳を押さえた。またあの幻聴かと思い顔を上げたが、すぐに違う事が分かった。弥琴のテーブルに置かれた水差しの水が、何かに呼応するように震えている。それに気づいているのかいないのか、弥琴はさらに言葉を続けた。

「君が、僕を嫌う理由は察しがつく。それに対する僕への侮辱は大いに結構。君がいくら吠えたところで、それは君が自分の恥を他人に見せつけているだけだからね。だが…彼女や既に亡くなった感染者を侮辱するのは彼らへの冒涜だ。それについては、例え老師や松永が許そうとも、僕が許さない」

――ザザ…ザザッ……――

――キシッ……キシキシ…―――

弥琴が言葉を進めていくたびに、円卓の中央で回転する仮想ディスプレイが乱れる。どこかで、何かが軋む音がする。まるで、弥琴の怒りに周囲が呼応しているように。

「良く覚えてくといい。もし次があろうことなら、その時は―――」

――パキンッ――

「これ!いい加減にせんかい!」

水差しにヒビが走った瞬間、カンッと床を打つ鋭い音に緊迫していた空気が四散した。それまでずっと傍観していた霧島が、仲裁の声を上げる。その声に、弥琴はハッと我に返ったのだろう。ピクリとその手が跳ねた。一方に磐城は、何かに恐怖するかのように蒼白したまま佇んでいる。

「老師、私の部下がとんだ失礼を。反省のため、数日程謹慎させます」

「好きにせい。月宮、異論は?」

「っ…彼の処遇を決めるのは、松永です。それに口出しする権利は僕にありません」

霧島に声を掛けられ、弾かれたように返事をする弥琴。そんな中、斎は状況の把握が出来ず、一人茫然としていた。はっと我に返って周囲を見渡しても、既にあの耳鳴りもきしむ音もなく、乱れていた仮想ディスプレイは何事もなかったかのようにゆっくりと回転しながら情報を提供している。何が起こったのか把握出来ず混乱していると、弥琴に呼ばれた。気が付けば、既に議会は解散したらしく退席する姿がちらほら。手招きをして待つ弥琴の元へ行けば、そこには二人の女性が斎を待っていた。そのうちの一人は、先程発言していた女性だ。

「斎、こちらは片倉医師。衛生医療部の統轄官だ。君のメディカルチェックを担当してくれる」

「朝日奈 斎さんですね。お話は伺っております。衛生医療部統轄、片倉 瑞樹かたくら みずきです。彼女は、私の秘書の真由奈さんです」

「衛生医療部統轄秘書の、大隅 真由奈おおすみ まゆなです。看護師も兼任してますので、何かあったら遠慮なく声を掛けてくださいね」

「ど、どうも…」

あまりにも気品のある佇まいと言葉遣いに、思わず尻込みする。そんな斎の様子に、弥琴はどこか安堵したような溜め息を零し事に、斎は気づかなかった。

「それじゃあ僕は少し用事があるのでこれで。一之瀬、悪いが斎を頼む」

「かしこまりました」

「ぁ…」

後でね、とだけ言い残し、斎の頭を撫でその場を後にする弥琴。斎は反射的に声を掛けようとしたが、その背が酷く拒絶しているように思え、伸ばしかけた手は虚空をさ迷った。

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