Roar

第11話

日の傾きかけた敷地内を、呼吸を荒げながら走る。途中幾人かの職員にすれ違ったが、今の斎に構う余裕はなかった。今はただ、弥琴に合わなくてはという思いが彼女の足を進めていた。

――問診中、無意識に周囲を見回していた事を片倉に指摘され、知らぬ間に弥琴を探していた事に気づいた。気になるのかと問われ、おかしな声で返事をしてしまったのは、検査が終わってすぐの事。だから、聞いてみた。

『あの…弥琴が”破壊者”って…本当ですか?それに、最初の感染者って…一体……』

事実を確かめたくて、片倉に視線で強く訴える。その言葉に、片倉はゆっくりと瞠目の表情を見せ、幾分かの逡巡をした後、静かに息を吐いた。そして斎を自身の執務室へと招き入れると、大隅と一之瀬に人払いを命じた。そんな彼らの様子に、斎は開けてはいけないパンドラの箱を開こうとしているのだと気付く。自身の発した質問の答えを得るためには、その箱を開けなくてはいけない。それは同時に、おそらく誰にも踏み入られたくないだろう弥琴が、あの地下室同様に韜晦とうかいし続けた領域へ踏み入る事になるはずだ。それでも知りたいと思ってしまうのは、知的好奇心なのか、あるいは別の何かなのか。いずれにせよ、それが彼に関する事である以上、真実を知らなくてはいけない気がした、とでも言うべきだろうか。

少なくとも、片倉は斎を信じて話してくれた事は確かだ。紅い瞳から溢れる涙は、それを甘受しようとしている証拠だと言い、斎を送り出してくれたのだから。

『今頃、彼は――』

「ッ!!」

片倉に教えられ辿り着いた場所は、箱庭の片隅…訓練場からもどの施設からも離れた、小高い丘の上。誰かの為に整備されたようなタイル敷の階段を駆け上がった先で、弥琴は一人背を向けて佇んでいた。その向こうには、たった一つの街灯に照らされた大理石の石碑がひとつ、存在を誇示することなく静かに腰を据えていた。それが墓標なのだと分かるのに、そう時間は掛からなかった。

「…これは…クリーゾで犠牲になった者の、墓標だよ。とは言え、ここには誰も眠っていないけどね。流石に、親族の居る故人をこんな閉鎖的な場所へ埋葬する訳にはいかないから、形だけでしかない。…慰霊碑、とでも言うべきかな」

何故来たのかと、問われると思っていた。けれどそんな斎の予想に反して、弥琴は至極穏やかな声でそう零した。まるで、斎がここへ来る事を知っていたかのように。

弥琴は箱庭へ来る度に、ここへ足を運ぶのだと片桐は言った。クリーゾを最初に患った者として、幾度もそれに立ち会っているのだと。同時に、感染者達の最期にも。その事を知っているのは、あの議場にいた者のみ。その真の事実を知っているのは、助言者だけなのだと片倉から聞かされた。決して、感染者の数が多い訳ではない。それでも、弥琴一人が背負うには十分に重すぎるもので。

「感染者の大半は、GARDISの構成員だ。僕はこれまでも…何人もの感染者を見て来た。最初の症例である僕が克服できたのだから、きっと出来る…そう思っていた。けど、彼らにしてみれば、無責任も甚だしいものでしかない。精神を病み自ら命を絶った者…肉体が耐え切れず、衰弱死した者…生き延びた者も何人か居るが、皆廃人と化した。可笑しなものでね。救う事が出来なかったのに、死に際には感謝されるんだ。“ありがとうございます”ってね。…磐城君の言う通り、僕には破壊者の号が相応しい。壊すばかりで、救えた試しがない。感謝される筋合いなんて…ないのに……」

自嘲とも取れる声で、静かにそう零す。握る手は、血の気が失せ白くなるほどに強く握り込まれている。日が沈みゆっくりと忍び寄る暗闇が、街灯の逆光で影となっている弥琴の広い背に圧し掛かる責任を重く見せるようで。あの地下室で見た背中と重なり、斎の喉はキツく締め付けられたかのように声が出ない。

ようやく声が喉を通り抜けようとした時、弥琴が初めて斎に顔を見せた。

「クリーゾは解析が済み次第凍結解体してしまえば害はない。君はまだそう浸食が深くはないから、経過さえ問題なければ、君は…」

「ッ―――!!ふざけんな!!」

夕暮れと共に冷たく始めていた空気を、斎の怒号とも取れる叫びが震わせる。その彼女らしからぬ声に、弥琴は大きく目を見開いた。しかしそんな弥琴に構う事無く、フーフーと威嚇する猫のように唸りながら詰め寄り、豪快にも胸倉を掴み上げる。斎自身も、どうしてそうしたのかは分からない。ただ、弥琴の一方的な提案に湧き上がるまでの怒りを覚えたのは確かだ。

「俺はアイツみたいなのに見下されてハイソ―デスカって引き下がるほど出来た人間じゃねぇし、ぶっ壊れて死んでやる気もねぇ!!俺は意地でも生きてやる!生きてクリーゾを克服して、アンタが間違ってねぇってアイツに証明してやる!!それでもし俺がくたばったりイカれたりした時は!責任取ってアンタが最期まで面倒見ろ!!」

感情のまま早口に捲し立てるように放たれたのは斎の強い”覚悟”。その目に弥琴が次の言葉を失った時、どこからともなく空気を震わせるような低い声が響いた。

『面白い子娘よ。流石は、コレが見初めただけの事はある』

至極可笑しいと言わんばかりに、ふてぶてしさたっぷりな口調で笑う“声”。しかしこの場には、二人の姿以外見当たらない。耳を押さえてキョロキョロしていると、不意に弥琴が空に視線をさ迷わせながら笑った。

「珍しい事もあるものだ。いつもは干渉したりしない君が、そっちから声を掛けるなんて」

『フン…貴様がみっともなく心を乱すからだ。さっさと我を出せ、弥琴』

まるで斎ではない誰かに話しかけるように呟く弥琴が、面室に懐からヴィーヴォを取り出し、起動させた。その瞬間、まるでそれを待ち構えていたかのように周囲のMistが渦を巻き、二人の目の前に一匹の狼を作り上げた。その様子に、斎は目を見開く。

本来、ViReXに使用されるモデルは、身に纏うもの。使用者を内包するように出現するため、このように別個体として離れる事はないからだ。

二人の前に現れたのは、毛並の長い一匹の狼。しかしその体躯は大きく、グレート・デーンにも負けず劣らず、と言ったところだろうか。

「幻獣種って…みんなこうなのか?」

「まさか。ローアが特別なんだよ。彼は、今ある幻獣種の原型でもあるんだ。。だから僕は、あのクリーゾの解析に彼を使った」

『ふん。あやつらなど、我の足元にも及ばぬ』

ぴしゃりと尾を揺らし、鼻を鳴らすローア。その鼻先を斎に向けると、目を眇めてからずいっと顔を近づけた。眼前で琥珀色の双眸がじっと斎を見つめる。一見黒く見える長い毛並みは、街灯の光を浴びてキラキラと艶やかに輝く。

「画像でも見たけど、夜色の綺麗な毛並だな…俺、アンタを街で見かけて、ViReXをやろうと思ったんだぜ?」

『知っている。弥琴が見聞きした情報は、我にも共有されている。無論、お主が感染している事もだ』

Mistの濃度が濃いからだろうか。思わず伸ばした手にふわふわとした毛並の感触が伝わって来る。唯一違うのは、体温がないことだろうか。そんな斎の手を振り払う事もなく、ローアは見つめていた目を静かに細めた。

『随分と、強い覚悟を持ち合わせておるようだが、お主は長く苦痛に耐える覚悟はあるのか?』

「それは…」

『この弥琴は、我を克服するまで、少なくとも一年半は耐え続けた。それこそ、心が壊れる直前までな』

ローアが、弥琴を見やりながらそう話す。斎が驚いて弥琴を見れば、諦めたように肯定した。片桐から一通りの話は聞いていたが、その期間までは聞いていなかった。平凡に暮らしていれば二年などあっという間かもしれない。斎は既に、情緒不安定やパニック障害を経験している。だが、弥琴が経験したのはそれだけではなかった。

「君はすでに情緒不安定やパニック障害を発症しているけど、僕はそれだけじゃなかった。幻視からはじまり、精神乖離、記憶障害や睡眠障害。果ては、感覚の欠如。睡眠薬が無ければ、眠る事すら出来なくなっていく。目を覚ます事が、24時間という一日が、途方もなく長く感じられる。次第に、心が壊れていくのが分かるような状況に、君は耐えられるのかい?」

するりと弥琴の脇を通り抜けた緩やかな足取りで踵を返し、慰霊碑の前へ腰を降ろす。そんなローアの姿に、弥琴は視線を反らした。そんな一人と一匹の様子に、斎はぐっと唇を噛みしめる。

『我の見立てでは、お主に憑いている小僧に悪意はない。弥琴程苦しむ可能性はないにしろ、おそらく知能は赤子同然。善悪の区別などつかぬ』

「…ローアは…違うのか?」

『我は…』

斎の問いにローアが答えようとした時、不意にローアの姿が乱れ始めた。それに気づいたローア本人は、さして気にする様子もなく溜め息を吐いて弥琴を見やった。

『まったく、相変わらず軟弱だな…』

「そう言ってくれるな。これでも、クレアドは頑張ってくれてるんだ」

その会話最後に、バチンと音を立ててローアの体は空気に溶け込むように消えていった。手の中に残ったそれを見て、小さくため息を吐く弥琴。状況が分からず、斎はしばらくの間目をぱちくりしていた。

「まったく。またクレアドに出すものが増えちゃったよ…」

「弥琴…ローアは…?」

容量過多キャパオーバーだよ。ローアには自我がある上、本来あるべき固定のサイズがないから、通常の幻獣種より容量が大きい。とは言え、さっきのあの大きさが最小限度なんだけどね」

それでも長く姿を維持する事は出来ない。“個”として姿を形作るのと、“モデル”として纏うのでは違うのだと、弥琴はショートしたヴィーヴォを見せながら言った。Mistの濃度が薄いフィールド外でも使用できるGARDISのヴィーヴォは既に正規品とは違う特殊なものだが、弥琴の場合、ローアを使うためにヴィーヴォとは別の簡易的デバイスに接続する必要があるのだそうで。

「バトルのジャッジや任務の時はそれに接続するんだけど、生憎今はメンテナンス中だ。ヴィーヴォ単体じゃ、この通り長時間は持たない」

つまり、それだけローアが特殊という事。弥琴はショートした自身のヴィーヴォを見て溜め息を吐くとそれをポケットに仕舞い込み、斎が来た時よりもどこか柔らかい表情で慰霊碑に背を向けて歩き出した。斎もチラリと慰霊碑を見やると、弥琴の後を追った。

聞きたいことが、なくなったわけじゃない。それどころか、いくらか増えたようなきがする。弥琴の身に何が起こったのか。クリーゾに敵意がないとは?ローアが消える直前に言った言葉の意味も引っかかる。

「…なぁ、弥琴。ローアって、表に居ない時はどこにいるんだ?」

「一応、バーチャル空間の中だ。でも精神下ではどうやら繋がっているみたいでね。しようと思えば呼びかける事も会話する事も出来るし、ローアは僕を通して外を見ることも出来る。片倉医師に言わせれば、二重人格の症状と似ているそうだ。僕にも、ローアにも人格がある。違うのは、記憶の共有がある事と、ローアが表立って動くことがないって事かな」

当たり障りのない質問をし、少しずつ探っていく。おそらく弥琴もその事に気づいている。そう分かっているはずなのに、なかなか本題を言い出せない。

見かねたのだろう弥琴が、その事について語り始めたのは、宿泊先となる施設の部屋で食事を終えて寛いでいた頃の事。

「…ローアはね、最初は僕の身体を奪うつもりで居たんだよ。クリーゾ自身が意図して宿主に対し何らかの危害を加える事…それが彼の言った敵意だ」

カチャリと音を立てて、ティーセットが置かれる。ポットから注がれたそれは綺麗な赤みを帯びており、どこかほっとする香りを辺りに漂わせた。颯斗は侠耶のところに入り浸るらしく、今は部屋に居ない。カップを手に取り一口飲むと、弥琴はどこか遠くを見ているかのような視線でその水面を見つめながら、静かに話し始めた。


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