Darkness Night
第3話
浮上した意識に、自然と目が覚める。ぼんやりと見える天井は、見慣れないもので。体
に触れる布団はやわらかで、ひどく寝心地がいい。のろのろと体を起こすと同時に、まるで脳を直接揺さぶられたかのような感覚に頭を押さえる。視界が、忙しなく明暗する。
「っ……ここ…どこだよ…」
ようやく弱まったそれに耐えながら、周囲を見回す。最後の記憶にあるのは、フィールドからどこかへと運ばれる時のもの。ならば湾岸フィールドの医務室と考えるのが普通だろう。だがここは斎の知る医務室ではない。あのあまり広いとは言い切れない医務室とは違い、ここはどこかのホテルかと言いたくなるほど綺麗な空間。少ないながらも置かれた家具はどれも高そうなものばかり。いましがた斎が寝ていたベッドにいたっては一人で眠るには大きすぎる。サイズからしておそらくクインサイズだろう。よく見れば、服も着せ替えられてある。パジャマだろうか。
ふと気配を感じて振り返ると、そこには見知らぬ子供がドアを開けた状態で固まっていた。中学生くらいだろうか。華奢な体つきで、幼さの残る琥珀色の瞳を大きく見開いている。
「よかった。目、覚めたんだ。あ、これ着替えだよ」
ふわふわと掴み所のない笑顔で着替えを置いた少年は、興味深げにじっと斎を見つめた後、誰かを探してそこから居なくなった。ひとまず、渡された服に着替えていく。少し大きいが、サイズには問題ない。シンプルだが着心地が良く、肌触りも良い。
全て着終わった頃、あの少年が戻って来た。そのあとから、一人の男性が顔を出した。短く切られた癖のあるアイアンブルーの髪…赤褐色の瞳…どこかで見た記憶がある。しかし、記憶が曖昧で思い出せない。
「だれ…?」
「ああ、すまない。このままでは分からないか。GARDISは収賄や不正を防止するために素顔をさらすことを禁じられていてね。この事は、他言無用で頼むよ」
男は苦笑気味にそう言って耳に付けていたヴィーヴォに触れると、その顔は突如出現したデジタルマスクによって覆われた。そこに居たのは、斎が意識を手放す直前に見たGARDISの姿。そして斎の記憶が正しければ、そのGARDISが使用していたモデルは…
「アンタッ!!ッ・・・!?」
「危ない!」
身を乗り出そうとした斎を、急激なまでの眩暈が襲う。ぐらりと傾いた体を寸前のところで支えられるが、まるで脳を揺さぶられるかのような感覚に吐き気すら覚えた。
「っ……なに・・・これ・・・・・」
「まだ、動かない方がいい。時間が経っているとは言え、ヴィーヴォの周波数が狂った影響で三半規管をやられ、君は平衡感覚を一時的に失っている状態だ。今は、横になっていた方がいい」
デジタルマスクの消えた先で、鋭い赤褐色の双眸が斎を見つめる。落ち着かせるためなのだろう目元をなでる手は、温かく優しい。
「僕は、
その男…弥琴は、颯斗に用事を頼んで席を外させると、斎から簡単な聴取をした後、何が起きたのかを教えてくれた。
「――バグ・・・?」
「そう。本来ならセキュリティによって弾かれるはずなんだけど…どうやら君が持っていたものはそれを通り抜けて、君の手に渡ってしまったようなんだ。元より、販売元であるガニーソ社では厳密なバグの削除が徹底されているし、もしそこで漏れても、あらゆるバグやウィルスに対応したセキュリティシステムがそれを見逃すはずがない。つまり、君の手に渡った件のデータは、特殊なものである可能性が高い。現に君は、命の危機に瀕し、丸一日眠り続けた」
静かに、それでいて聞き取りやすい弥琴の声は、未だ思考がはっきりしない斎にも十分理解できるほどに分かりやすく、優しい。曰く、斎がフィールドで見舞われたあの現象はバグによる症状の一環なのだと聞かされた。
ViReXは初期の頃こそバグやウィルス感染などの問題は多く発生していたが、度重なるアップデートによりそれもまったくと言っていいほどに無くなっていた。そんな時代にバグというのも信じられないが、事実、斎はその被害にあい、体感しているのだ。これでは、嘘だという方が難しい。
「恐らく君が聞いたと言う声も、そのバグが関係している可能性が高い。君には申し訳ないけど、しばらく君の身柄を我々の監視下に置かせてもらうよ」
「なにそれ・・・監禁でもすんの?」
「まさか。何かあっても対処できるように、目の届く範囲に居てもらうだけだよ。もちろん、君の意見や希望があれば尊重する。これは、君を守るための方法なんだ」
自嘲じみた笑みを見せる斎に、弥琴はベッドの淵へと腰掛けそっと頭を撫でた。その手が妙に温かく、心地いい。心が落ち着き始めた頃、斎はふとある事を思い出す。
「・・・なぁ、俺のヴィーヴォは?大事なもんだから、あれだけでも返して欲しいんだけど」
その言葉に、弥琴の手がぴたりと止まる。しばらく視線を彷徨わせたかと思うと、諦めたようにため息を吐いた。
「…君のヴィーヴォは、僕が回収した時にはすでに壊れていたよ。おそらく、バグの暴走でキャパオーバーした事によるショートが原因だろう」
「なっ……修理…は……」
「可能だが、完全にとは言い切れない。データのバックアップは取れたから問題はないが…本体は難しい。なにせ、基盤部分のカバーが焼けてしまってね」
「……そうか…古い型だからな…変え時だったんだろうな」
告げられた言葉に、声を震わせながら答える。しかし言葉とは裏腹に、その視線が酷く不安げに揺れていた。それが、どれだけ大切にしていたのかを物語っていた。気丈に振る舞っているつもりかもしれないが、誰が見ても狼狽している事が分かる。
「…もう少し、休むといい…気持ちを落ち着けるには、それが一番だ」
必要以上に聞くこともせず、静かにそれだけ告げ部屋を後にする弥琴。後ろ手にドアを閉めて間もなく、部屋から斎の押し殺すような声が聞こえ始めた。その声に視線を伏せ踏み出すと、弥琴の自室とも言える仕事部屋から颯斗が顔を出した。弥琴に頼まれたコーヒーを用意してきたのだろう。その手にはトレーが抱えられている。
「父さん…話終わった?」
「一通りはね。どうやら、あのヴィーヴォをとても大事にしていたようだ…しばらく、そっとしておいた方がいいだろう。頃合いを見て、何か彼女に差し入れてくれないかい?まだ体調が良くないはずだから、なるべく消化にいいものを頼むよ」
「うん、分かった。父さんは?」
「ひとまず、データの解析が先だ。後で老師に急かされるのはごめんだからね」
そう言って颯斗の頭を撫で、入れ替わるように自室へ入る。ドアを閉め静かにため息を吐くと、大小様々な仮想モニターに囲まれたデスクへと着いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どれくらい泣いたのだろう。躊躇い気味にされるノックの音に、いつの間にか眠っていたのだと気づく。鼻声じみた声でノックに答えると、ドアを開けてほしいと乞う颯斗の声が返ってきた。乞われるままにドアを開ければ、なるほどその理由が分かった。
「あのっ…お腹空いてると思って…作ってきたんだけど…よかったら一緒に…」
尻すぼみな声でそう話す颯斗。その手に握られたトレーには綺麗に盛られた軽い食事。それをかわいいなどと思ってしまうのは、自分に兄弟姉妹というものがいなかったからか。
「…颯斗…だったか。ありがとな」
クスリと笑みを零して頭を撫で招き入れれば、颯斗は花が開いたようにぱぁっと笑顔を見せた。勝手の分からない斎が見ていれば、トレーをサイドテーブルに置くと、ベッドの下から折り畳みのイスを取り出した。
マグカップに注がれたスープに、色鮮やかなサンドイッチ。起きてから何も食べていなかったのだと思いだせば、途端に腹の虫が空腹を訴える。
「へへ。丁度良かったみたいだね。味の保証はできないけど、まずくはないはずだよ?」
「…お前が、作ったのか?」
颯斗の言葉に耳を疑い、聞き返す。しかし当の颯斗は、さも当然と言わんばかりにこくりと頷いて斎の隣へと腰を降ろした。
「父さんは家にいるけど、ほとんど仕事で部屋から出てこないから。家政婦さんもいるけど、毎日いるわけじゃないし。だから、時々僕が作るんだ」
サンドイッチを適当に皿へ取り分け、斎に差し出されながらそう答える。颯斗に詳しく聞いてみたところ、弥琴はGARDISの一部隊の統括をしており、なおかつ現地での新人指導もしているのだという。その関係で、この家にも時折訓練生がくるのだという事も。そう言われて窓の外を見れば、なるほど、サッカーコート並みに広い庭と、それを囲む少し高い壁が見えた。そこでふと、斎の脳裏に些細な疑問がよぎる。
「だから、誰かが言わないと、ご飯食べるのも忘れちゃうんだよね」
「……なぁ、お前の母さんは?俺、ここで世話になるなら挨拶しときたいんだけど」
その言葉に、颯斗は至極驚いた顔をした。そしてしばらく逡巡した後、首に下げていたロケットを開いて斎に見せた。そこには幼い颯斗と、今よりも幾分か年の若い弥琴。その隣で朗らかに笑う、一人の女性。
「これ・・・お前の母さんか?」
「うん…でも、5年前に…病気で……」
どこか寂しそうに、視線を伏せて笑う颯斗。つまり、今この広い家に居るのは、出入りするGARDISの関係者以外、弥琴と颯斗の二人だけ。この家がどれくらい広いか斎はまだ知らないが、庭から察するに相応に広いはずだ。そんな広い家に、二人きり…
「…寂しくは、ないのか?」
「最初は寂しかったけど、今はそうでもないよ。僕は体が弱くてあんまり外に出たことはないけど、案外いろんな人が出入りするから。それに、父さんも在宅勤務してるからって僕を蔑ろにしたりはしないよ。外に行ったときは、必ず何かお土産があるんだ。今回は、それが斎さんだったけど」
「そんな堅っ苦しい呼び方すんな。颯斗の好きに呼べよ」
「じゃあ…お姉ちゃん?」
ころころと表情を変え笑う颯斗は、どこか人懐っこい子犬にも似ている。正直、可愛いという枠に当てはまるのではないかと思えてしまう。だからなのだろうか、食事が終わるころにはすっかり打ち解けていた。
「なあ、アイツ、今いるか?俺がここに居るのは決定事項らしいし、出来れば着替えとか取りに戻りたいんだけど」
「んー…ちょっと待ってて。確かデータの解析するって言ってたから…」
指先についたソースを舐め取りしばらく逡巡すると、颯斗はトレーを手にどこかへと向かった。その背を追いかけ、部屋のドアから顔を出す。そこは大豪邸とは言いがたいが、体格の良い大人がすれ違ってもまだ余裕があるくらいに広い廊下が広がっていた。フローリングの床はワックスでも掛けられているのか、斎の顔が映るくらいに輝いている。
自分の暮らしていたアパートとは似ても似つかない場所に今さらながらに緊張しつつ、トコトコと前を歩く颯斗の背を追うと、トレーを廊下にあったテーブルへ置き、一つ隣のドアを開け入っていった。そのドアがどこに続いているのか分からないが見失っては困ると思い中に入れば、斎は思わず目を見開いた。壁際を埋め尽くす様々な本。それらに囲まれた部屋の中央に置かれたデスクの周囲を回りながら、大小様々な仮想ディスプレイが忙しなく情報を表示していた。そんなディスプレイと本に囲まれたデスク。そこへ腰掛けた誰かと話をする颯斗の姿。薄暗い上に眼鏡を掛けていたためすぐに誰かはわからなかったが、こちらを見た事でそれが弥琴なのだと分かった。
「あ……お姉ちゃん…」
「ああ、ごめんね、散らかっていて。荷物の件、了解したよ。今君の所持していた例のモデルを調べていたところでね。本来なら、こういう場合許可を取るべきなんだけど、どうやら早急に手を打たなければならなくなってしまったようだ」
申し訳ないと言いたげな声色でそう言い、デスクにあったスクリーンキーボードを叩く。途端に周囲を回っていたディスプレイが一つに纏まり、巨大化モニターとなって部屋いっぱいに広がる。そこにはViReXを扱う者であれば誰もが一度は見たことがある、モデルのステータスグラフが表示された。しかしモデルのステータスを表す数値に、斎は目を見開くこととなる。
「っ…なんだよこれ…なんでこんなに変動して…!」
――本来、モデルの数値はトータル5000pt以内での設定が規約とされており、一度決めてしまえば使用者であるオーヴォが変えない限り変わることはない。しかし今画面に表示されたそれは、まるで活発なアメーバのように不安定な程数値を変えており、明らかに上限である5000ptをオーバーしている。
「父さん、これって…」
「…ああ。おそらく、“箱庭”に協力を仰ぐ事になるだろうね」
「っ!何がどうなってんだ!俺にも分かるように説明しろ!」
二人だけに通じる内容で会話をされ、一人蚊帳の外になりかけていた斎が、悲痛に叫ぶ。途端に弥琴の手が静かに伸び、取り乱す斎の頭を撫でた。
「すまない。まず先に言えるのは、これは人体に害を及ぼすバグであるという事だ。我々はこれを、“
撫でられた事で幾分か気持ちが落ち着き、弥琴の話を理解することが出来た。それを察したのだろう。弥琴はゆっくりと手を放し、別の画面を拡大する。
そこに映し出されたのは、堂々と威風を漂わせ佇む、夜色をした長い毛並をした狼の姿。それは確かにフィールドで意識を飛ばす前に見た狼であり、10年前のあの日見た狼でもあった。
「これが、僕の使っている幻獣種、“フェンリル”だ。僕は、ローアと呼んでいるけどね」
「
「いずれにしろ、このクリーゾはGARDISの使うこの幻獣種ともモデル数値が一致しない。いずれはGARDISの本部である箱庭に連絡をする必要になりそうだけどね」
仕方ない、と言いたげに小さなため息を零す弥琴。程なくして、室内に何かの呼び出し音が響く。画面を確認した弥琴が、さらに溜息を吐く。
「噂をすればなんとやら。すぐに行くから、下で待っていてくれないかい?」
「…分かった」
弥琴に促され、颯斗と共に部屋を出れば、程なくして誰かと話す声が聞こえ始める。しばらく呆然と佇んでいると、颯斗が斎の手を握った。
「行こう?家の中、案内してあげる」
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