第4話

ひとしきり家の中を案内され玄関ホールに来た頃、通信を終えた弥琴が姿を現した。どうやら着替えてきたらしく、先ほどとは違うラフな格好をしている。

「お待たせ、それじゃあ行こうか」

「アンタ、眼鏡は?」

「あれは仕事や本を読むときだけだよ。オーヴォとして、視力の低下は致命的なのは、君も知っているだろう?颯斗、留守番を頼むよ」

「うん、行ってらっしゃい」

きっちりと並べられていた靴を履き、見送りをする颯斗の頭を撫でる。斎の靴もその中にあり、すぐに見つける事が出来た。弥琴の後に続いて、外に出る。初めて見る外観は思っていたよりもシンプルで、映画やテレビで見るような大豪邸とも言い切れない。反対側を見れば、何もない庭が広がっているだけだ。

「…なんもねぇな」

「ここには、GARDISの候補生なんかが時々演習に来る。モノを壊したりして気落ちさせるのも、悪いからね」

斎の呟きに肩を竦めて答えながら、自宅に隣接したガレージのシャッターを開ける。中には、車に疎い斎でも分かる高そうな車が数台。弥琴はそのうちの一台に近づき、ドアを開けた。声を掛けられ、それに習って助手席へ乗り込む。

「住所と…目印になるものはあるかい?」

「…アンタGARDISだろ。それくらい調べりゃなんとでもなるんじゃねぇのか?」

「生憎、僕らに分かるのはバトルIDと名前くらいだよ。いくらGARDISとは言え、本人の了承なしに個人情報を勝手に開示することは出来ない」

エンジンを掛けながらそう言われ渋々住所を告げれば、それを聞き取ったカーナビがルートを編み出し案内を開始した。庭を横断するように通る道を走り、敷地の外へ。そこは高級住宅地らしく、そうですと言わんばかりの家々が軒を連ねていた。

そんな住宅地を抜けて出たのは、斎も何度か来たことのあるこの街のメインストリート。改めてナビを確認すると、弥琴の家はメインストリートを挟んだ反対側にあるのだと気づいた。そうしてカーナビに従い幾度かの右折左折を繰り返せば、やがて見慣れたストリートが見えてきた。

「あそこ。あのプレルーノって店」

「……あの店が、君の家かい?」

「正確には、その上のアパートだけどな。普段は、あそこで仕事してる」

驚いた様子で聞く弥琴に怪訝な表情でそう答える。車を店の前に止めて降りる。刹那、斎の身体に衝撃が走る。

「うごっ!?」

「斎ぃ!無事でよかった!差し入れのプリン食った事詫びるから許してくれ!!」

「和哉テメェ!!つーかそれどういう事だ!詳しく吐きやがれ!!」

盛大に抱き着く和哉をぐいぐいと引き離し、店の前でぎゃんぎゃんと大騒ぎをする斎。そんな騒ぎを聞きつけたのだろう。店から司が顔を出した。

「許してやってよ、いっちゃん。君が連れてかれてから、今にも死にそうな顔していたから。それより、もう帰宅許可が出たのかい?」

「いや、今日は着替えとか、必要なモン取りに。だから、…えっと…」

「説明の必要はないよ。…久しぶりだな、弥刑」

運転席から降りて斎の隣に立った弥琴の姿に、司の目が瞬く間に大きくなる。そして程なくして、握手を交わしたかと思うと、二人は互いに抱き合った。

「和哉君から話は聞いていたけど、やっぱりそうだったのか。久しぶりだな、弥琴」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「はぁ!?司さんが初代GARDISでしかも同年同期!?」

「声が大きいよ、いっちゃん。それに、昔の話だ」

店の上階に当たる事務所で、素っ頓狂な声を上げる斎。曰く、司と弥琴は同年同期で、しかも今あるGARDISの初代部隊に所属していたのだという。現在店は和哉に任せ、弥琴の事はGARDISの関係者だと言いくるめた。

「とは言っても、当時は違反者に対する降格や階級はく奪なんてなかったし、審判をするだけのバイトのようなものだったけどね」

コーヒーカップを片手に、穏やかな口調でそう話す弥琴。司もその言葉に、うんうんと頷きながら同意している。

「本格的に組織化したのは、ViReXが普及して悪質なオーヴォが目立ち始めた頃だったな」

「そうそう。確か本格的に活動を開始したのは、相手チームにウィルスを仕込んで不戦勝にしたハッカーの事件だったか」

楽しげに昔話に花を咲かせる元同僚。長くなると踏んだ斎は、小さくため息を吐くと席を立ち自室へと向かった。そんな斎の背を見送り、二人はクスリと笑みを零した。

「…まさか、君に娘さんが居たとはな…いつかの飲み会で言ってた子かい?」

「養子娘だよ。先代のオーナーの時から住んでた一家だったんだけど、13の時にご両親が亡くなってね。…それより、いっちゃんの状態はどうなんだい?君があの子についてるってことは、あまり良くないんだろう?」

普段なら穏やかな司の目が、途端に鋭さを増す。その視線が意味する事を理解出来ているあたりは、流石旧知の中というべきだろうか。弥琴は観念したように視線を黒い水面へと落とすと、静かに話し始めた。

「正直、話す相手が弥刑でよかったと思ってるよ…」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


あまり使わずクローゼットの奥で眠っていたボストンバッグを引っ張り出し、必要なものをカバンへと放り込む。元よりViReX関係の物以外の嗜好品がない部屋だ。片付けも兼ねた荷造りは存外すぐに終わった。

幼い頃より見慣れた、家族三人で暮らしていた部屋。あまり広いとは言えないが、それでも家族三人で住むには少し狭さを感じる程度で。二人の葬儀からしばらく経ったころ、先代のオーナーと司が家賃免除でそのまま使う事を許してくれたのは、至極ありがたかった。ふと、雑誌の詰め込まれた本棚の一角が視界に止まる。そこにあったそれに手を伸ばした斎は、静かに目を細めた。そっと指先で撫でるそれを持って行くべきか、逡巡する。

「…何を見ているんだい?」

「うひゃ!」

突然至近距離で掛けられた声に、文字通り飛び上がる。持っていたそれを胸に抱いて振り向けば、こちらも驚いたのだろう、弥琴の姿があった。

「えっと…ごめん…そんなに驚くとは…」

「っ…気配が消えてんだよっ!……はぁ…」

「一応、ノックはしたんだけどね。驚かせるつもりはなかったんだ」

両手を上げて降参の意を示す弥琴をジト目で睨み、胸に抱いたそれ――写真立てをゆっくりと離す。そこには、斎と思われる子供を真ん中に佇む一組の男女。子供が着ているのは近隣中学校の制服。しかし幼さが相まってか、着せられている感が否めない。

「これは…君のご両親かい?」

小さく頷く斎の隣に立ち、改めて写真を見る。なるほど、女性の方は斎と面差しがよく似ている。二人とも礼服を着ているあたり、入学式だろうか。不意に、ぽたりと写真に雫が落ち始める。弥琴が視線だけを斎に向ければ、それは斎の頬を伝い写真立てへと落ちていた。前髪に隠れた瞳は見えないが、何かを耐えるように歯を食いしばっているのは確かだ。

「…これが、三人で撮った最後の写真なんだ…父さんと母さんは…一か月後に…事故で…」

ぐっと唇を噛みしめ、声を押し殺す。学校で呼ばれ、病院へ向かった時の事は、今でも覚えている。

「単独事故だったんだ…飛び出してきた子供を避けようとしてハンドル切って…その先で縁石に乗り上げて横転して…その時に、ガソリンが漏れて…それで…」

意識を失っていた二人は逃げる間もなく焼死。病院で見た遺体は、誰とも分からぬ程に損傷が激しく、しかし斎の両親なのだと明確にするものを携えていたという。

「…どうして、分かったんだい?」

躊躇い気味に訪ねれば、斎はのろのろと左手を上げ、パーカーの袖を捲った。そこには、ところどころ焦げ付いた二つのブレスレットと、少しくすんだブレスレットが一つ。それは弥琴が斎の介抱をするさい、外すことを躊躇ったものだ。

「俺が産まれた時に作った、お揃いのブレスレットなんだ…オーダーメイドだって、何度も言ってたから…」

つまり、焦げた二つは、事故当時両親が付けていたもの。他に形見と言えるものがなく業者に研磨を頼んだのだが、これ以上は綺麗にならなかったのだという。それでも、斎からすれば、唯一の形見を身に着けてられる事には変わりなかった。

「ほかに身内はいないし…施設送りになりかけてた俺を、司さんが…」

「それは、話に聞いていたよ。丁度、弥刑がこの店を先代から継いでしばらく経った頃だったからね…」

泣くことに耐えながら、震える声で話す斎が痛々しく思えたのだろう。弥琴は、そっとその頭を撫で、抱き寄せた。少なからず抵抗はあるかと思われたが、長年耐えていた感情の箍が緩んだのか、程なくして斎は声を殺しつつも泣きだした。その幼く頼りない背中を、弥琴は斎が落ち着くまでゆっくりと撫で続けていた。

どれくらい経っただろう。そう長くはない程度にひとしきり泣いた斎が落ち着きを取り戻したため、残る荷物をまとめ部屋を出る。両親の写真は置いていこうと思っていたのだが、弥琴に問われたため今はバッグの中へ大切に仕舞われている。改めて部屋を見回す。片づけたこともあり、随分とすっきりしてしまった。

「元々、たいして物はなかったけどな」

「おしゃれとか、興味なかったのかい?」

「なかったと言えばウソになるけど、両親が死んでからはそう甘えてられる余裕はなかったから。養子にしてもらった上に家賃タダにしてもらって、挙句学費まで援助してくれて…そんな状態で、わがまま言ってられる訳ないでしょ」

当然だ、と言わんばかりにそう言い放つ斎の姿は、フィールドで見かけた姿で。ふとなにかを思い出したのか、弥琴はフッと笑みを零して斎の頭を撫でた。しなやかで艶のあるプラチナブロンドが、指の隙間をサラサラと落ちていく。

「……なんだよ…」

「いや…昔娘がデレないと酒の席で弥刑が嘆いていたのを思い出してね」

「っ~~~~!!司兄ぃ!!!」

顔を真っ赤にし、どたどたと部屋を出ていく斎。よほど恥ずかしかったのか、持って行くはずの荷物を忘れている。弥琴はやれやれとため息を吐いてボストンバッグを持ち、部屋を出た。下階の店へと行けば、真っ赤な顔をした斎が司の胸倉をつかんで問い詰めていた。来店していた客は驚いているが、店番をしていた和哉だけは平然としている。

「君は、驚かないんだね」

「ん?ああ、アレっすか?今に始まった事じゃないっすよ。大方、司さんが親バカ炸裂させたんでしょ?」

「……昔の話をしただけなんだけどね。ああ、ほら、そろそろやめたらどうだい?お客さん、ドン引きしてるよ」

「うっせぇ!!」

さすがに止めなくてはまずいと思ったのだろう。掴みかかり始めた斎をなだめるように声を掛けるも、至極ドスの利いた声で返される。本来ならそれで相手は引き下がるのだが、流石はGARDISと言うべきだろうか。きょとんとしただけで引く様子も恐れる様子もない。それどころか、ちらりと司を見てニヤリと笑みを浮かべると、素早く斎の腰に腕を回し、がっちりとホールドした。

「…斎…やめなさい」

「ッ!?」

耳元で低くささやかれ、ぴしりと音を立てて固まる斎。何が起こったのか把握できていない和哉を差し置き、至近距離で見ていた司はずれた眼鏡を押し上げ感嘆の声を漏らしている。

「相変わらずだな、お前のキラーボイス。しかし、免疫の強いはずのいっちゃんにも有効とは…恐れ入るな。いや、いっちゃんだから?」

「妙な言い方をするな。人間だろうと動物だろうと、相手の不意を突くのは戦術の基本だぞ」

呆れたように司を窘めると、腕の中で未だ赤面したまま硬直する斎を撫で、落ち着かせる。一見すれば、つい先ほどまで暴れていた猫を窘める飼い主のような絵図が出来上がっていた。

「お前の不意の突き方は、なぜそうなると言わざる得ないよ」

「女性に手を上げる訳にはいかないからな。……大丈夫かい??」

「っ!?だだだだ大丈夫!アタシはっ!なんともないっ!てか、離せっ!!」

「…斎、一人称がブレてるぞ……」

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