第5話
「はぁー……最悪…」
「そうかい?僕は、君の可愛い姿を見られて楽しかったけど?」
「……うっさい」
助手席で真っ赤になった頬を両手で覆いながら、半ば弥琴に背を向ける斎。なんとも女の子らしい、ともすれば子供っぽいその仕草に、弥琴は先ほどからニコニコと楽しげだ。あれから取り乱した斎が落ち着くのに数分を要し、斎の警戒を解くために他愛もない雑談をしていたため幾分か時間を潰してしまった。とは言え、それも弥琴からすれば予想の範疇内だったらしく、さして急いでいる様子などない。途中颯斗への手土産をショッピングモールでいくつか物色し、二人は現在帰路についていた。
「自分の荷物くらい自分で持つっての…」
「まあまあ。女の子に荷物を持たせるのは、僕のポリシー反するものでね。なに、僕のサービス精神だと思ってくれ」
クスクスと笑いながら、玄関のドアを開ければ、車の音を聞きつけたのだろう、颯斗が奥から駆けてきた。その奥から現れた新たな一人に、弥琴は渋い顔をした。
「…まったく、来るなら事前に連絡を入れろと言っているだろう、裕」
「いいじゃないですか。俺と弥琴さんの仲でしょ♪」
悪びれもせず、にこにこと笑いながら首を傾げる男。グレーのウルフヘアに、アッシュブルーの瞳。弥琴よりも少し細身の男は、斎と近いくらいの年齢だろうか。そんな観察するような斎の視線に気づいたのだろう。男は静かに目を細めたかと思うと、前に立っていた弥琴の脇をすり抜け斎の眼前に迫った。そのあまりにも素早い身のこなしに、斎は反応することすら出来なかった。
「へぇ…君が今回のクリーゾ感染者か。女の子って聞いてたけど、こんなに真っ白な子だったなんて…俺は
良く回る口で自己紹介をする裕の顔が、突然視界から消える。上から下へと移動した声を視線で追えば、裕のグレーの髪が床に沈んでいた。そして今まで裕の顔があった場所には、弥琴の左手。
「いったぁあ!?」
「弁えろ、裕。女性とは言え、要保護対象者だぞ」
後頭部を押さえて飛び起き、座ったまま睨み上げる裕に、それを上回る気迫でギロリと睨み返す弥琴その両者の気迫に気圧された斎は、早々に颯斗の隣へと避難した。
「なぁ…あれ誰だ?」
「うん?ああ、裕さん?父さんの部下で、部隊の副官に当たる人なんだ。見た目あんなんだけど、あれで結構優秀なんだよ?」
「まったく…連絡事項があるならヴィーヴォで十分だと言わなかったか?」
「しょうがないじゃないですか!翁からの直々のお達しなんですから!…まぁ、明らかに間が悪かっただけだと思いますけど…」
カリカリと頭を掻きながら項垂れる裕の言い分に、またかと言わんばかりに深い溜め息を吐く弥琴。しばらく思慮に浸ったかと思うと、斎の荷物と手土産を颯斗に預け、くしゃりと頭を撫でた。
「悪いけど、これを彼女の部屋に持って行ってくれるかい?」
「うん。分かった。何か持ってこうか?」
「いや、必要ないよ。それより、彼女に何か飲み物を。裕、行くぞ」
「へーい」
諦めたように返事をし、弥琴の後を追って裕も二階へ。それを見送ると、荷物を持った颯斗が斎を見上げた。
「お姉ちゃん、何飲む?お酒以外なら、大体のものはあるけど…」
「……いや、今はいい」
颯斗から荷物を受け取り、宛がわれた部屋へと向かう。おおよその場所は、大体掴めている。階段を上り切ると、つい先ほど見かけた姿が壁に凭れ掛かっていた。裕は斎の姿を視界に留めると、親しい友人を見つけたかのようにひらひらと手を振って見せた。斎は、こういったタイプが苦手で仕方ない。
僅かに眉間へ皺を寄せて通り過ぎようとしたが、前を横切る直前に手首を掴まれ、そのまま壁へと縫いとめられた。打ち付けられた背中の痛みに顔を顰めて睨み上げるも、その顔は思いの外至近距離にあった。
「…へぇ…やっぱりアルビノなんだ。噂には聞いてたけど、思ってたよりも綺麗だね~、白雪姫♪」
その言葉に、役々顔を顰める。斎は、その呼び名が嫌いだ。それを知ってか知らずか、裕は不躾に斎の頬を撫で、距離を詰める。向けられる目を、斎は知っている。あれは、捕食者の目だ。先ほどから逃げるタイミングを伺っているが、その隙すら感じられない。
「なぁ、俺のもんにならない?一生楽させてあげる自信あるよ?」
「っ……」
ヤバい…そう思った刹那、またしても裕の身体は斎の視界から開け放たれた襖の如く突然消えた。その光景に唖然としていると、今度は強い力で腕を引かれ、視界が暗くなる。顔面に感じる温もりに顔を上げれば、そこには深々と眉間に皺を寄せた弥琴の顔があった。背中に回された手は、頼もしい程に強い。
「いい加減にしないか、裕。去勢されたいのか」
「痛~!あっれぇ~?もう終わったんですか~?」
「お前が部屋に入って来なかった時点で察しは付く。まったく…仕事は優秀だが、オフとなると途端に節操がなくなるな」
壁に鼻でもぶつけたのだろう。いささか鼻声じみた声が後ろから聞こえる。眼前にある弥琴の胸板は服越しでも分かる程均一に整ったもので、その下では力強く脈打つ鼓動が聞こえる。程なくして、抱き締めていた弥琴の腕がゆっくりと離れた。
「うちの駄犬が申し訳ない。さ、部屋へ行こうか」
返事をする間もなく肩を抱き寄せられ、荷物と共に最初に居た部屋へ導かれる。部屋に入ると同時にその手は解かれ、ゆっくりと頭を撫でられた。斎の手は、どこか温かい。
「不快な思いをさせてすまない。あれは、仕事では優秀なんだが、女好きでね…」
「いや…大丈夫…多分…」
「なら良かった。生憎ゲストルームが無くってね。君はここを使うと良い。そっちがバスルーム。クローゼットはこっち。部屋の中にあるものは、好きに使うと良いよ」
簡単に室内の説明し、それじゃあと部屋を出ていく弥琴。その背を視線で見送り、斎は一人溜め息を吐いてベッドへと飛び込んだ。この数日、じつに色々な事が急激に起きている。いや…起きすぎている、と言っても良いくらいかもしれない。試合で自分を救ったGARDISは幼い頃から憧れていた存在で、自分の養父が実はその元同僚で…揚句自分は、危険なモデルに感染しているのだと言う。
「………」
胸元を握り締め、眉間に皺を寄せる。実感が無いわけではない。時折ではあるが、ふとした瞬間に自分ではない何かが渦巻いているような感覚に見舞われるからだ。しかし今は、酷く眠くて。シャワーを浴びなくてはと思うも、体は睡魔に抗えそうにない。
『―――……――――………』
急激に沈んでいく意識の中、誰かの声が木霊する。しかし睡眠を優先させた斎の聴覚が、それを捉える事は出来なかった。
その日の夜。斎は夢を見た。記憶にないはずの、両親が事故に合う瞬間。道端からボールを追いかけ飛び出す子供。斎は咄嗟にその子を止めようと行く手を遮った。しかし子供は斎の身体をすり抜け、道路へ。ブレーキ音に斎が振り向いた時、車は縁石に乗り上げ横転。周囲が慌ただしくなる中、火の手が上がる。車内にある人影に、動く様子はない。先ほどの横転で意識を失っているのだ。
「ぁ……父さんっ…母さん…!!」
触れ合わぬ体で人込みをすり抜け、道路へと飛び出す。しかし斎が近づくよりも先に、車は凄まじいまでの爆音を轟かせ激しく炎上した。車内が、瞬く間に燃え盛る。
「父さん!母さん!!」
◆◇◆◇◆
「ッ―――――!!」
空へ手を伸ばし、文字通り飛び起きる。バクバクと心臓が煩く脈打つ。肌には汗がじっとりと滲み、気持ち悪い。時刻は日付が変わって間もなく。やがて時間が経つにつれあの激しい脈動が徐々に治まりはじめた頃、斎は布団ごと膝を抱え込み、顔を埋めた。
「…なんで…あんな夢……」
じっとりと汗で張り付く服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びながら呟く。あの夢を見るのは、随分と久しぶりだ。昼間に自身の過去を話したからだろうか。あるいは、早くも精神的に参っているサインなのか。いずれにしろ、今回の事が影響しているのは確かだ。
濡れた髪を乾かすのも億劫で、そのままベッドへと沈み込む。視線をずらせば、レースカーテンが引かれた窓が目に止まった。そっとレースを除けて見れば、外はすっかり闇に包まれ、メインストリート沿いにあるビルを縁取るように街の灯りがうっすらと夜陰を作り出している。つい先日まで向こう側に居たと言うのに、随分と遠い世界のように思えてしまうのだから、夜というものは不思議だ。
不意に、どこかで静かな物音が斎の耳を掠めた。耳を欹てていると、その足音は階段を降りて下階へ。壁に掛けられた電波時計は深夜を指している。その足音を追って斎もほんのりと間接照明が照らす階段を降りると、足音の正体は存外早く見つかった。
「……おや、起こしたかい?」
「…たまたま、目が覚めただけだ」
すりガラス越しに明りが漏れていたリビングへ入れば、そこにはマグカップを片手に立つ弥琴の姿があった。おそらくコーヒーを飲んでいたのだろう。室内に香ばしい匂いが充満している。その匂いがどこか懐かしくて目を細めれば、弥琴がクスリと笑った。
「インスタントで良ければ、君も飲むかい?…いや、コーヒーはやめた方がいいな。眠れなくなる」
「アンタは…何してたんだよ…」
「こう見えて、何かと忙しい立場なんだ。それに、君の為にもあれを早く解析する必要がある」
マグカップに粉末を注ぎ、ケトルを傾けお湯を注ぐ。ほんのり香ばしい、しかし仄かに甘すぎない香りが斎の鼻孔を擽る。それに惹かれるように近づけば、弥琴は目を細めその様子を見つめた。
「コーヒーよりはカフェインが弱いから、落ち着くには丁度いいはずだよ」
「…ありがとう…えっと…」
「弥琴、だよ。呼び方は、君の好きにするといい」
どう呼ぶべきか困惑していれば、カップを差し出しながら弥琴はそう笑った。カップを満たす白褐色のそれがミルクティーなのだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。両手でマグカップを持てば、指先から温もりが広がる。そっと口に運べば、熱すぎず温すぎず。そして程よい甘さとほのかな苦味。それが不思議なくらい斎の中に染み込んでいく。不意に、そっと伸びて来た弥琴の指先が、斎の髪を優しく捉えた。
「…濡れているね。シャワーを浴びたのかい?」
「………夢見が、悪くて…汗が気持ち悪かったんだよ。出てきたら、階段を降りる足音が聞こえたから…」
カップの水面に視線を落しながら、そう話す。ふと素直に話す必要もなかったのではと思うも、取り繕う理由はなく。なにより今の斎には、そのための内容を考えるのも面倒に思えていた。思考がぼんやりし、はっきりしない。それを察してか、弥琴はそれ以上の事は聞かず、まだ水気を含む斎の髪を撫で始めた。その程よい温もりに、斎は無意識に目を眇める。
「なぁ…アンタの仕事って…GARDIS以外になんかあるのか?」
思わず口を付いて出た質問に、斎自身も内心驚いた。どうしてそんな質問をしたのか、斎にも分からない。強いていうなら、ただ何となくとしか言いようがなくて。弥琴はそんな斎の質問に数度目を瞬かせたあと、緩やかに笑みを浮かべて話し始めた。
「GARDISとは言え、僕は現地での指揮を取る指揮官みたいなものさ。実際に動くのは、僕の下についている部下達だ。僕は、僕が動くべきだと思った時だけさ」
「なら…俺の時は…」
「あれは咄嗟に体が動いた、とでも言うべきかな。僕も人間だ。衝動的になる事もあるし、失敗する事もある。まぁそれ以外には、バトルの度に報告書を書いたり、違反の疑いがあるオーヴォについて調査する事もある。GARDISは一般企業と警察の間のようなものだからね。他には、新人候補生の選抜とか」
深夜のリビングに、他愛もない会話が静かに溶け込んでいく。斎が舟を漕ぎ始めたのは、空になったカップがすっかり冷え切った頃のこと。リビングの置時計を見れば、あと数時間で日が昇ろうかと言う時間だ。
「寝るなら、ベッドに行ったらどうだい?」
「ん……分かって…る…」
分かっているとは言っていても、次第に下がっていく頭。弥琴は仕方ないと苦笑すると、斎の身体を軽々と抱き上げた。近くなった温もりが心地よかったのだろう。ふにゃりとした表情で頬を摺り寄せたかと思うと、程なくして寝息を立て始めた。そのあどけない寝顔に、思わず笑みが零れる。
『――…――――、―――』
「…君から声を掛けるなんて珍しい。何か、気に掛かる事でもあったかい?」
『……―――…―――――――…』
「………他でもない君の助言だ。気を付けるよ」
自分と、眠った斎以外に居ないというのに、まるで誰かと会話をするように虚空へと声を掛ける弥琴。程なくして、廊下の片隅にあった観葉植物が風もないのにゆらりと葉を揺らした。
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