第22話
「…そう言えば、名実共に選ばれたって言ってたのは…どういう意味だ?」
箱庭から戻って以来幾度も遠征に出向いていたがために遠のいていた月宮邸へと久しぶりに足を踏み入れる。記憶よりも背の伸びていた颯斗と再会した後、相変わらずな…ともすれば幾分モノが増えた気のする弥琴の仕事部屋へと入った頃、斎は唐突に気になっていたことを尋ねた。しかし弥琴から帰って来た返事は、斎の斜め上を行っていた。
「そのままの意味だよ。彼らは、Tridentのモデルに選ばれた隊員達なんだよ」
「…は?」
「実は、今回新しく部隊を編成するにあたって、隊員の選出が一番の問題になってね。君が知っての通り、メディはステータス固定のない変幻自在の特性を持っている。ただその特性を有効利用出来なければ話にならない。あの子の感染者である君は部外者だから、基準にする訳にも行かない。かといって、ただ優秀な者を引き抜くという訳にも行かない。そんな時だ。ローアがこう言った」
――“こちらで選べぬのであれば、本人達に選ばせればいいだろう”――
開いた口がふさがらないとはこの事なのかもしれない。本人達とはつまりTridentのモデル達の事だろう。しかし今日見た限り彼らは操舵者であるオーヴォ以外に意思を持っている様子はなかった。言葉の意味が分からず首を傾げていれば、ゆらりと揺れた空気が頬を撫でた。背後から甘えるように顔を出したメディと共に、弥琴の傍らにローアが佇む。
『今のあれらに、自我はない。持ち主の手に渡った時点で、自動的に消えるようプログラムされていたからな』
「誰がそんな事…って、巫弦城さんしかいないか。けど、そんな簡単に出来るものなのか?」
「コンピューターウィルスのプログラムを利用したのさ。もちろん送り付けるのは悪意のあるウィルスじゃない。そのウィルスとなる部分に所有者の決定権という唯一の意思を持たせ、モデルに埋め込んでサーバーに放った。箱庭のウィルス対策システムは外部サーバーと各筐体ごとの二重構造になっているから、擬似ウィルスは対策システムにより抹消され自我は残らない。もし残ったとしても、相手がマッチしていれば拒絶反応は起きない。起きたとして、それは軽い頭痛程度のものにまで抑えた。子供達は外部サーバーよりも内側で解放したから、箱庭のネット―ワークから出る事もなく、無事全員が誰かの手に行き、自我が残る事もなかった。そうして選ばれたのが、あの新部隊“Trident”のメンバーだ」
おそらくローアが動かしているのだろう。素早くディスプレイが動き、やがてGIFアニメーションが表示され、説明に順じて動いていく。それを指しながら楽しそうに経緯を話す弥琴は、さらに話を続けた。
もちろんそこから篩に掛けるつもりだったが、流石と言うべきか、試運転の結果ほぼ全員がTridentの特性を理解し、使いこなしていた。結果予定よりも大所帯になってしまった訳だが、癖のある優秀な人材が斎の部下となる事に同意したのだ。
「役割としては、君達Tridentは通常のGARDISと変わらない。ただ、君は自分でもわかっていると思うけど、既に身元が割れている唯一のGARDISだ。そこで老師からの提案なんだけど、身元の割れている君に是非GARDISの顔役をしてほしいそうだ」
「…は?」
あまりにも唐突な提案に再び間抜けな声が出る。そんな斎の反応すら予想していたのか、弥琴はデスクの淵に腰掛け可笑しそうに微笑むのみ。その声でようやくはっと我に返った斎は、すぐにむすっとした表情を見せたが、大して効果はないらしく。逆に腕を引かれ、腕の中へと閉じ込められてしまった。
Tridentはその変則体質故に一体だけで他の幻獣種の三体分の容量を有するいわば重量級モデル。Tridentの者であれば必然的にヴィーヴォを二台所有する事になるはずだ。しかし斎は元よりGARDISではないため、メディ以外の幻獣種を持ってはいない。手続きをすれば所有する事も出来るが、弥琴の言う通り斎は身元が割れている。おまけに使用するモデルはクリーゾだったメディに感染して以来尽く白化するため、すぐに分かってしまう。収賄の可能性はもちろん、それを聞き入れなかった場合の脅迫や報復として周囲に危害が加わるとも限らない。それを避ける為にも、斎は積極的に前へ出る訳には行かない。…はずなのだが、霧島はむしろそのデメリットとなりうる部分を利点として考えたようだ。
「君も分かっていると思うけど、君はGARDISの中では新参だ。その反面、一般のオーヴォの間じゃ名望も実力もある。今まで無貌だった組織からの、変化の象徴として、老師は君を指名したんだ。Tridentも、隊員数や試運転期間も兼ねて当面はウチの部隊と一緒だ。今後の増員次第じゃ別動隊としての活動はあるかもしれないけど、まあすぐにという事もないだろうさ」
腕の中に大人しく収まる斎の髪を撫でながら、予測できる事象を上げて行く弥琴。箱庭を出てから切られた様子のないその白い髪は腰のあたりまで伸び、首の後ろで纏めていた髪留めを解けば、サラサラと生糸のように広がっていく。ほんの僅かな、優しい沈黙。条件を満たすまでにあちこちへ遠征し、技術や経験を身に着けていた斎にとって、至極久しぶりとも言える時間で。その帳を静かに取り払ったのは、やはり弥琴の優しい声。
「…それと…これは僕から君へのプレゼントだ」
上着のポケットに手を入れ、何かを握り締めてそっと斎の左手を取る。そっとひと撫でされた左手の薬指に、銀色に光るリングがはめられていた。しばらくぼんやりとその指輪を見ていた斎だったが、それが意味する事に気づき、瞬く間に顔を赤くしていった。緋色の瞳が大きく開かれ、指輪と弥琴を何度も見比べている。
「君が、こちら側になったら渡そうと決めていた。弥刑にも、話を付けて許可を取った。颯斗も、君なら構わないと言っている。…斎、お願いだ。これからは名実共に、僕の傍に居てくれないかい?」
赤褐色の瞳が、優しい光を灯しながらじっと斎を見つめる。途端に斎の中で、様々な感情が激しく渦巻き始めた。嬉しい…けど…
「っ…でもっ!…弥琴には…」
「確かに、僕には妻が居た。妻とは昔からの幼馴染だったけど、彼女と結婚した時は確かに愛していたし、それは最期の時まで変わる事はなかった。今だって、聞かれれば頷ける」
「ならっ!」
「でもね、斎。一人の男として、誰かを心底欲しいと思ったのは…僕をこんなにも感情的にさせるのは、君が初めてなんだ。まったく、可笑しな話だ。妻に先立たれて子供もいるのに、突然現れた君にこんなにも心を乱されるなんて」
硬直したままの斎を再度抱き寄せ、自分の言葉を呑み込むように吐息を零して斎の髪を梳く。どれくらいそうしていたか。ディスプレイの切り替わる電子音の中に零れるようにくすっという笑いが間近に聞こえ、斎の硬直はようやく溶け始めた。
指先で頬を撫でられたのを合図に顔を上げれば、弥琴は一瞬驚いた顔をした後、困ったように笑う。
「君を…泣かせるつもりはなかったんだけどな…」
「っ……ぇ…?」
指摘され、初めて気づく。それと同時に意識が向いたせいか、斎の瞳からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ始めた。我慢しようとすればするほど溢れかえる涙に戸惑い、服の袖でぐいぐいと何度も拭っていれば、その手を弥琴に絡め取られた。指先が滑り、そっと斎の白い指を強く握り締める訳でもなく優しく包み込む。振りほどけばすぐにでも解けてしまいそうなその指先は、まるで壊れやすい何かに触れているのかと思わせるほどで。そんな弥琴の指先に役々戸惑いながら視線を上げれば、こつんと額が静かにぶつかる。至近距離にある赤褐色の瞳は、真っ直ぐ真剣に斎を見つめている。
「嫌なら、この手を振りほどいて逃げればいい。君が拒むなら、僕は追わない。必要以上に干渉する事もしない。その指輪も…ッ」
突然、言葉を繋げようとしていた唇を塞がれる。何かしらの仕草か言葉で返されると思っていただけに、今度は弥琴が動きを止める事となった。ゆっくりと離れて斎は、先程と変わらず泣いている。絡めたままの指先に、ぎゅっと力が籠められるのが分かる。自然と頬が緩むのが弥琴自身にも分かった。
「っ…逃がすつもりもないのにっ…逃げればいいとか、言うなっ…!」
震える声で弱々しく反論し、再び弥琴の胸へと埋まる斎。やがてしゃくりを上げて泣き出した斎に、弥琴はただただ苦笑するしか出来なかった。
「泣かせるつもりは、なかったんだけどな…ああでも、君の幸せの為に流れる涙なら、歓迎してあげなきゃいけないね…」
厚い唇が、そっと斎の涙を掬い上げる。それでも恥ずかしかったのか再び顔を埋めてしまった斎の背をあやすようにぽんぽんと叩いていれば、部屋のドアが僅かに開いたのに気づく。弥琴がにっこりと笑みを浮かべて指先を口元に当てると、そのドアは遠慮をするようにそっと閉じられた。
「斎…将来的には、おそらく僕が先に逝く。それまでの時間を、僕に譲ってくれないかい?」
「っ……ふ、不束者ですが……」
身体を僅かに離した斎が、ふよふよと視線を泳がせながら口ごもりながらそう呟く。顔を見れば、色白の肌が林檎のように耳まで真っ赤になっている。あまりの愛しさに、弥琴は再びその細い体を抱き締めた。
ViReX 紅龍 輝 @K-tyran
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