湖に浮かぶ島(二)
屈強な男たちに頼んで木のボートを移動してもらった先は、湖の東側の岸だった。
「おいおい、この湖の形を分かってんのか? こっからじゃ距離が長くて、ヌシに襲われたら岸まで逃げ切れないかもしれないぞ」
木こりの言うとおり、セージ湖は東西に長い楕円形だ。そのちょうど中心に
「まあまあ。それじゃ、行ってきますね」
オルオーレンは背中に背負っていた本を湖畔に置いて、ひとりボートに乗り込んだ。木こりや漁師といった屈強な男たちが、その様子を怪訝さと不安を混ぜた双眸で見守っている。
オルオーレンはオールを器用に動かして、ほんの少しだけ北側に進路を移した。東北東の方向から小島へとアプローチしていく。
そして小島まであと十メートル程に迫った時、巨大な白蛇の顔が水面から勢いよく顔を出した。水面が揺れ、咆哮で空気が揺れる。湖畔の男たちが小さく悲鳴を上げて息を呑んだ。あの旅人、言わんこっちゃない――。
しかし赤い目の白い頭が現れたのは、小島の南側だった。
白蛇の頭は長い首をくねらせてオルオーレンの方を見る。赤い瞳は怒っているように険しいが、先程の男たちにしたように口を開ける様子はない。
それは噛みつかないのではなかった。首がこれ以上伸びないため、口がボートまで届かない。噛みつけないのだ。
オルオーレンは波でボートが転覆しないよう気をつけながら、そのまま小島に到着した。
「おいおい……あの兄ちゃん、島に着いちまったぞ……!?」
「どうなってんだ!?」
そんな男たちの声がオルオーレンの耳にも微かに届いた。
丸いパンのような、絵に描いたような形の小島に到着すると、オルオーレンはボートからひょいと飛び降りた。そして膝をつき、足元を
(やっぱり……)
やがて立ち上がると、目当ての花を通り過ぎ、島の中心にある小さな祠に近づいた。石を組んだだけのこぢんまりとしたそれは、厚い苔に覆われている。長い年月ここに鎮座してきたことを如実に物語っていた。
(これは、祠というよりは……)
そして祠から視線を外そうとした時、オルオーレンは石に彫られた文字の羅列に気がついた。屈んで顔を近づけると、風雨に晒され薄くなった文字をなんとか読み取ることができた。
『最高の相棒と共に眠る』
◇◇◇
「結論から言うと、珍しい花ではありませんでした」
湖の小島から無事に戻ってきたオルオーレンは、スンとした顔で不満げな声を漏らした。その手に持つ花は夕陽のような色こそ珍しいものの、この国でよく見られる花だった。
「おおそうか、そりゃ残念だったな…………じゃねえ! どういうことだ!? なんであんたはあの島に近づけたんだ!?」
木こりが唾を飛ばしながら突っ掛かると、オルオーレンは「簡単なことですよ」と言って人差し指をピンと立てた。
「あれは亀です」
「亀…………?」
ヒゲモジャの男たちの目が点になる。
「湖のヌシは蛇でもドラゴンでもありません、亀です。あの小島は亀の甲羅です」
「は……はああ!?」
男たちの見開いた目が血走っている。そんなに驚くことだろうか、とオルオーレンは少しだけ首を傾げて話を続ける。
「正確には、種名はギガント・レイクタートル。一応
「モ、
「この国の建国は三百年前ですよね? ギガントタートル種の寿命は確か千年くらいですから、建国前からここにいたんじゃないですか?」
「ああ、なるほど……? いや、でもよ、その三百年前からこの島はずっとここにあるって言われてんだぞ? そのギガントナントカはずうっとこの湖から動いてないってことか?」
木こりの男の疑問に、オルオーレンは顎に手を当ててうーんと唸った。
「確かにそうですね。そもそもこの湖はギガント・レイクタートルが生息するには些か小さい気がします。ただ、もしかしたらこの湖から動けなかったのかもしれません。怪我をしたとか……、もしかしたら、何かを守るためにじっとしているうちに動けなくなったのかも」
「守る? なんだそれ、どういう意味だ?」
「あくまで可能性の話ですよ。僕が見たところ、この亀はかなりの高齢です。もうあまり長くはないでしょう。経緯はどうであれ、もう動き回れない可能性は高いですね」
オルオーレンがあの小島――もとい亀の甲羅に乗った時、苔
「長くないって、あとどれくらいなんだ?」
別の狩人の男が訊ねた。なかなかに厳つい顔だが、目が潤んでいる。
「そうは言っても、なんせ千年生きる亀ですからねぇ。あと一、二年とかいうレベルではないと思いますよ。五十年くらいはまだ生きるんじゃないでしょうか」
「そ、そうか……」
狩人の険しい顔があからさまにホッと緩んだ。流石は狩人、生き物に対するリスペクトがあるのだろうか。
「しかしよお、動き回れないんだろ? 食いもんとか大丈夫なのか?」
「そうですね……確か皆さん、お供え物を捧げているんですよね?」
「ああ。大体果物とか野菜だな。小さな船に乗せて、南側の湖岸から小島の方へ流すことになってんだよ」
「それを食べて食い繋いでいたのでしょう。それにこの湖には魚もいますし、苔や水草も多いみたいですしね」
そ、そうか! と木こりの男がぱあっと表情を明るくして言うと、周りの男たちも沸き立った。
「よし、お供えの量を増やすぞ!」
「冬も様子を見に来た方がいいんじゃねぇか?」
夢中になって話し合いを始めた男たちを尻目に、オルオーレンは日差しに煌めく湖面を眩しそうに見つめた。この湖に眠る誰かに、思いを馳せながら。
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