夏至祭 前日編(二)

 夏至祭の前日に花冠を作る約束を、オル先生が忘れるはずない。

 きっとなにかあったんだ。もし事故に遭っていたら、事件に巻き込まれていたら――。

 居ても立っても居られなくて走り出した。村の門の近くまで来た時、後ろからあたしを呼ぶ声がした。


「おぅいアニタ、こんな朝っぱらからどこ行くんだよ」


 幼馴染の男の子、リュリュだ。鼻の頭に絆創膏を貼った呑気な顔に、なぜか無性に腹が立つ。だけど今はそれどころじゃない。


「ねえ、オル先生見なかった!?」

「オル? ああ、お前んちの小屋に泊まってるあの旅人か?」


 リュリュの顔がちょっとだけムッとした気がしたけど、あたしはそんなこと気にせず事情を話した。


「少なくとも昨日も今日も見てねえよ。あ、もしかしたら――」

「心当たりがあるの!?」

「昨日、午後から予報外れの大雨だっただろ? それで村外れの小川に掛かってた橋が落ちたんだって、今朝父さんが言ってた」


 もしかして、それかも。橋の崩落に巻き込まれたのかもしれない。増水した川に落ちた可能性だってある。

 青くなって走り出そうとするあたしの腕を、リュリュが慌てて掴んだ。


「川に行く気か!? あぶねえって、今、父さんたちが様子見に行ってるから!」

「でもっ、オル先生が巻き込まれたのかもしれないじゃない!」

「っ〜〜〜〜、あのなあ」


 リュリュは呆れたように溜め息をついた。


「子供の俺らが行ったところで役に立たないし、それに、あの人は危険な世界中を旅して回ってる、百戦錬磨の旅人なんだろ? 大してデカくもない川に落ちたりしないって」


 百戦錬磨ってどういう意味だろう。多分すごいって意味だ。リュリュはたまにカッコつけて難しい言葉を使うとこが嫌いだ。

 でも確かにそうだなって、あたしは少しだけ落ち着くことができた。


 その時、森の方から大人たちが帰ってくるのが見えた。雲間から差し込む朝日が、その中の白い花――ではなくて、白い髪を照らした。


「オル先生!」


 あたしは言うが早いか駆け出していた。オル先生があたしに気が付く。


「アニタ、ごめ――おっと」


 あたしはオル先生に抱きつくと、ホッとしてしまって、涙を抑えることができなかった。周りで男の人たちが笑ったり茶化す声が聞こえる。だけど、どうしようもなかった。


「ごめんね、約束破ったと思った?」

「違うのぉ! オル先生に何かあったんじゃないかって、心配で……!」


 オル先生はふふっと笑うと、先生の鳩尾あたりにうずめたあたしの頭を撫でた。


「心配かけてごめんね、昨日の夕方に帰ってくるつもりだったんだけど、橋が落ちて渡れなくてね。で、荷車ごと川に落ちそうになっていた人がいて、隣の村まで送ってたんだ」

「それにさっき俺らが橋を直してるとこに来てなあ、手伝ってくれたんだよ。いやあ、助かった。あんた見かけによらず力持ちなんだな」


 そう言ったのはリュリュのお父さんだ。謙遜する声が聞こえて、あたしはびしょびしょの顔を上げる。すると、優しく微笑むオル先生の顔がすぐ近くにあった。


「それじゃ、花冠の花を摘みに行こうか」



◇◇◇



 あたしとオル先生は野原に行って、たくさん花を摘んだ。昨日の雨で草花はまだ濡れていたし、ぬかるんでいる場所もあったけど、雫をつけた花たちはどれも綺麗だった。


「さっきアニタの後ろにいた男の子は誰?」


 花を摘んでいる間、オル先生はなぜかリュリュのことをあたしに訊いてきた。幼馴染で同い年で、同じ学校に通っている男の子。それくらいしか説明することがない。


「仲良いの?」

「うーん、ちっちゃい頃はよく一緒に遊んだけど、最近はあんまりかなぁ。男子は男子でつるむことが多いし、あたしも女友達と遊ぶ方が多いし」

「ふうん、そっか」


 あたしは首を傾げた。なんでオル先生はそんなことをニコニコしながら訊くのだろう。


「これくらいで十分じゃないかな」


 オル先生がそう言って立ち上がった時には、カゴは花でいっぱいになっていた。青い花と赤い花、さらにオル先生のアドバイスで、小さな豆粒みたいな白い花も追加した。これを家に持ち帰って水揚げして、明日の夏至祭当日の朝に花冠にするのだ。

 あたしも立ち上がると、スカートがびしょびしょになっていた。草についた雨の雫で濡れたのだろう。

 そこであたしはふとあることに気がついて、さあっと青くなった。

 音がしそうな勢いで顔を上げて、オル先生を見る。きょとんとした顔もかっこいいんだけど、そうじゃなくて。

 やっぱり、茶色いコートの色が濃い。全部色が変わっているから気が付かなかった。そういえばさっきオル先生に抱きついた時、随分ひんやりしていたじゃないか。それにいつも被ってる帽子が見当たらない理由だって――。


「ごめんなさい! オル先生、びしょびしょなのにそのまま花を摘みに来ちゃって……!」


 そもそも朝ごはんだって食べてないんじゃないだろうか。ああ、なんで気が付かなかったんだろう。自分のことばっかりで、バカみたい。

 だけどオル先生は涼しい顔で笑う。


「ああ、大丈夫だよ。僕、濡れててもあんまり気にならないんだ」

「でも、先生風邪ひいちゃう!」

「うーん、もしそうなったらアニタに看病してもらおうかな」


 え? それって……

 いやいや、そのままの意味だ。だけどなんだか、それって――それこそプロポーズの常套句、「お前の作ったキノコスープが飲みたい」みたいで、あたしは耳まで真っ赤になった。

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