華の国の花(三)

「こ、これはメガミノザの近縁種! こっちはオオルリノキに似ているけど花弁の枚数が違う……!」


 風流な国風の屋敷を通り抜けた先に、その庭園はあった。植物園と言っても過言ではないほど広大な庭を珍しい植物たちが彩っている。その一つひとつを確認しては歓喜の声を上げるオルオーレンを、カレンが半眼で見つめていた。

 そばには二人を門で出迎えた老紳士が立っていたが、カレンがなにか話しかけると頭を下げて姿を消した。


「これ、本当に採集していいんですか?」


 くるっと振り返ったオルオーレンは、若草色の瞳をキラキラさせて訊ねた。


「ええ、片っ端から根こそぎ持っていくようなことがなければ構わないそうです。それにしても、あなたという人は……」

「なにか?」


 きょとんと首を傾げる片眼鏡モノクルの青年に、カレンはふっと相好を崩した。


「普通にしていれば理知的なのに、植物の前ではまるで少年のようですね」

「そうですか?」

「無自覚ですか……。それにあなたは学者ではなくその助手のようなものなのでしょう? 随分と仕事熱心なのですね」

「助手の鑑だと我ながら思いますよ」


 オルオーレンが冗談半分に言うとカレンはまたふっと笑った。常にポーカーフェイスの彼女が笑うのはとても珍しい。日の光の下、薄化粧で微笑む姿は、十六歳の少女らしい瑞々しさを湛えていた。


 緑豊かな庭園を楽しみたいところだが、時間もないのでオルオーレンは早速採集に取り掛かった。背中に担いでいた大きなハードカバーの本を開き、草本は根ごと、木本は花がついた枝ごと採集し、一種類ずつページに挟んでいく。


「それは植物標本……なのですか?」

「企業秘密です」


 オルオーレンが片目を瞑って答えると、カレンは僅かに口を尖らせた。


 その後もカレンはオルオーレンに庭園を案内して歩いた。やがて大きな池に掛かる木製の橋に差し掛かると、オルオーレンは池に咲く花に目を留めた。


「これは……壮観ですね」

レンの花と呼ばれる水生植物です」


 夢のような色の花と円形の葉が水面からニョキニョキと顔を出し、池を覆い尽くしていた。葉の中央には硝子玉のような水滴が日差しを受けて輝いている。既に日が高いため花は少ししぼんでいるが、早朝であればまさに夢のような光景だろう。


「いい時期にいらっしゃいましたね。蓮の花が咲く時期は限られていますから」

「確か種子は長寿で、地層の中で何千年も生き続けるとか。世界再生前からの名と姿を保っていると言われていますね。しかしここまでの群生を見たのは初めてです……美しいですね」


 橋の上で池を見つめる二人の間に僅かな沈黙が降りる。

 やがてカレンが静かに話し始めた。


「……あなたは花をひとつ教えて欲しいと言った時、三つの条件を挙げましたね。『この地を象徴する花』、『この地から消えつつある花』、『私にとって特別な花』、そのいずれかでいいと」

「ええ、言いました」

「この蓮の花は、三つの条件を全て満たしています」


 カレンは伏目がちに桃色の花を見つめたまま言って、再び黙った。涼やかな風がさわさわと黒い髪を揺らす。オルオーレンはそれを横目で見てから、再び池に視線を戻した。


「この国は十年ほど前に政変があったそうですが、確か以前の国名は『レン』でしたね」

「そうですね」

「あなたの名前にも蓮の文字が入っています」

「そうですね」


 花蓮カレンは表情を変えずに答える。


「この庭園は前皇帝の所有地だったようですね」

「……表の立て札を読んだのですね。この国に来て数ヶ月と聞きましたが、読み書きもできるのですか?」

「書くのは無理ですね。この国の文字は複雑すぎます」


 花蓮は肩を竦めた。オルオーレンも前を向いたままで、傍目には二人がたわいない世間話をしているようにしか見えないだろう。


「あなたは前皇帝の血縁者なのでしょう?」

「……ええ、ご推察の通りです。私の祖父は蓮の国の最後の皇帝でした。権力を私欲のために使った暗君、と言われています。……でもそれは反逆者どもがでっち上げた真っ赤な嘘」


 そう言って花蓮は唇を血が出るほど噛んだ。肘を抱えた手が震えている。


「確かに祖父が皇帝の座に着いた時には、皇族や中央政権の上層部には賄賂や癒着が蔓延していました。祖父、そして皇太子だった父はそれを改めようとした……。二人は正しいことをしようとしたのです。それなのに都合の悪い者たちが罠に嵌めた……いえ、祖父たちを裏切ったのです。そして一族諸共、容赦無く粛清した……!」


 花蓮は昂った感情を落ち着けようと、ハアハアと息をした。彼女がそこまで感情を露わにするのをオルオーレンは初めて見た。


「私と母は身分を隠してどうにか生き延びましたが、母は無理が祟ってまもなく亡くなりました。『一族をおとしめた者たちを許すな』と私に言い残して……」

「それであなたは妓女に?」

「あら……少し前は遊女との区別もつかなかったのに」


 花蓮はオルオーレンに皮肉っぽい笑みを向けた。


「これでも勉強したんですよ。過去には妓女出身の皇后もいたと」

「ええ……妓女には後宮に置かれて后妃に取り立てられる場合もありますし、軍人や政府の高官に気に入られることもあります。元はといえば、金梅館の店長オーナーが祖父の知人だったのです。ひとりになった私に生きる術と復讐のやいばを与えてくださった」

「それがあなたの生きる目的ですか」

「ええ」


 花蓮は橋の下の蓮の花ではなく前方を、もっと遠くを睨んで言った。その黒曜石の瞳には、静かな炎が煌然と揺らめいていた。

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