華の国の花(四)

 花蓮カレンは昂った気持ちを落ち着けて普段の冷静さを取り戻すと、再びレンの花に視線を落とした。


「この花は、極楽浄土にも咲いていると言われているんです」

「天国のようなものでしたっけ」

「まあ、そうですね。レンの国を建国した初代皇帝は、この国が極楽浄土のように民が幸せに暮らせる土地となることを願ってその名をつけたと言われています。父はその言い伝えが大層気に入っていて、私の名に蓮の字を入れたそうです。……ですが今は旧皇族を象徴する花としていとわれています。昔は王都中の池や堀など至る所で見られた、まさに国を象徴する花だったのに」

「死後の世界に咲いていると言われるほど、この国の思想に根付いた花なのでしょう? 皆、今は政府の目を恐れて避けているかもしれませんが、じきにたくさん見られるようになりますよ」

「そうでしょうか……」


 そう言って俯く瞳には、僅かに哀愁が漂っていた。


「この花、僕の先生が好きな花なんです」


 突然オルオーレンがニコニコと明るく話し出したので、花蓮はきょとんとして顔を上げた。


「さっきも言いましたけど、硬い種子の状態で何千年、何万年も生き延びて花を咲かせる力を持った植物なんです。そうやって不遇の時代を耐え抜いた。神にさえ打ち勝った誇り高き花だ、と先生が言ってましてね」


 この世界はかつて一度滅んだと言われている。その原因は定かではなく、隕石の落下、人間の業、神の癇癪かんしゃく……と様々な説がある。その後神が数千年前に世界を再建し、今の世界の礎が作られた――と世界中で言い伝えられている。


「だから、いつかまた必ず咲き誇る。……と、僕は思いますけどね」


 オルオーレンがそう言って若草色の目を細めれば、花蓮は笑った。黒くまっすぐな髪が風に揺れる。心の底から笑ったのは、家族を失ってから初めてのことだった。


「――あら?」


 花蓮がふとオルオーレンの後ろに目を遣る。そこにはいつの間にか、門で二人を出迎えた老紳士が細い目から涙をダラダラ流して立っていた。


「姫様の笑ったお顔を再び拝める日が来ようとは……!」

「もう、爺ったら……」


 老紳士はオルオーレンに何度も何度も礼を言い、二人を庭園内の東屋に案内した。テーブルには三段の蒸篭が三組も並べられており、他にも伝統的な茶や氷菓がいろどりを添えている。


「ちょっと爺、量が多すぎ――」

「うわあ、これ美味しいですね。包子パオズでしたっけ? あ、この饅頭は桃の形をしているんですね」


 遠慮なく点心を頬張るオルオーレンを見て、花蓮は困ったように笑って肩を竦めた。


「まったく、あなたという人は……」



◇◇◇




 まだ日が高いうちに庭園を後にしたが、王都の門をくぐる頃には斜陽が箱馬車の窓から差し込んでいた。


「日没に間に合いそうで安心しました。さすがにこれ以上は払えませんでしたから」

「そんなことおっしゃって、延長料金を払える程度は隠し持っているのでは?」

「まさか。もうすっからかんですよ」


 随分と柔和になった花蓮の表情は、窓から王都の街並みを眺めるうちに妓女のそれになっていった。王都、そして花街は彼女の戦場なのだろう。


「……実は、少々ぼったくっていまして」

「え?」


 突然、花蓮が躊躇いがちに言い出したので、オルオーレンは首を傾げた。


「私のふみがあれば、あなただけでも庭園に入ることはできたでしょう。だけど私も一緒に行きたくなったのです。あの屋敷と庭園は祖父のお気に入りだったので」

「なるほど、本来であればあなたの膨大な借用料はかからなかったと」

「ですから――」

「構いませんよ。あなたが庭園を案内してくださって助かりました。案内ガイド料ということで」


 そう言ってオルオーレンがにっこり微笑むと、なぜか花蓮は口を尖らせた。あれ、とオルオーレンは再び首を傾げる。


「あなたとしては客からお金を取れた方がよいのでは?」

「あなたは女心というものをわかっていませんね」


 花蓮の呟きは馬車の車輪の音にかき消され、オルオーレンの耳には届かなかった。きょとんとするオルオーレンに対して花蓮はぷいと外方を向いたが、すぐにちらりと目線を向けた。


「しばらくは王都を回られるのですか?」

「いえ、今度は南の方へ向かいます。この国はとにかく広いですからね、急がないと冬までに回りきれませんから」

「そうですか……」


 妓楼・金梅館の目の前で馬車が止まると、オルオーレンより先に、花蓮がスッと立ち上がった。狭い箱馬車の中に差し込む洛陽が小柄な体に遮られ、裏路地で出会った時のように、オルオーレンの上に影が落ちた。

 ただその影は、あの月の夜より濃く、大きくて。

 ほんの一瞬、オルオーレンの唇に蓮の花弁が落ちた。

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