仙境(一)
「うわあ……」
広大な国土を誇る
旅人である彼はいくつもの山を見てきたが、そのほとんどがなだらかな三角形という古典的な形状をしていた。断崖で構成されたような奇峰がいくつも並ぶ景色は、思わず感嘆のため息を漏らしてしまう。
「神様に喧嘩売ってるみたいだなぁ」
街並みの向こう、天を狙い澄ます槍のようにそびえる無骨な山々を見上げ、旅人・オルオーレンは呟いた。
麓の街は、絶景目当てに訪れる旅行客で賑わう観光地となっていた。
もちろん相手は国内の観光客である。この世界の国々は堅牢な壁で国土を囲み、どの国にも属さぬ土地――通称『神の庭』に蔓延る
緑かかった白髪に若草色の瞳、そして背中に巨大な本を担いでいるという風貌のため非常に目立っているオルオーレンだったが、そんなことは気にせずに早速ここに来た目的を果たすための聞き込みを開始した。
「断崖絶壁に咲く紫色の花?」
観光客向けに点心を
(珍しい花らしいから、無理もないかぁ……)
腕を組んでオルオーレンは唸る。しかし無数の峰が切り立つこの地で闇雲に山を登って探すのは運頼みだ。それは避けたい。
首が垂れるほど悩み、ふと思い立って再び歩き出す。
「花、ですか……?」
観光客の喧騒が届かぬ街のはずれで、家畜の世話をする若い女性はオルオーレンに戸惑いがちに聞き返した。
目的の花が有名でないのなら、地元民のみぞ知るところなのではないか。そう思って足を伸ばしたのだが、当てが外れたか――。
「私はわかりませんけど、タオ仙人なら知っているかもしれません」
「タオ仙人?」
仙人といえば、古くからこの地に伝わる神仙思想に描かれた存在だ。山奥に住んで神通力を用い、不老不死を得た者。雲や霞を食って生きているとかなんとか。
「ええ、ここからさらに上に行った山村に暮らしている人で、物知りなんですけど……」
そこで言葉を切って、女性は苦笑いした。
「ちょっと変わったお爺さんなんです」
*
オルオーレンはその女性――リッカの好意に甘えて、そのタオ仙人のところに連れて行ってもらうことにした。
リッカの従姉妹だというシンランという女性も一緒に案内してくれるそうだ。二十代前半と思しきこの女性はサバサバした姉御といった感じである。まだ十代半ばで垢抜けない印象のリッカとは正反対だ。
「タオ爺のとこに行くなんて、リッカも物好きねぇ」
「だって旅人さんが困ってるみたいだったから」
「ふうん……リッカ、いい人見つけたじゃない。あんたもそろそろ周りが口煩くなる年頃でしょ? あーあ、あたしも結婚してなかったらなー」
「ちょっとシンラン姐さん、私はそんなつもりじゃ」
リッカが顔を真っ赤にして慌てている。オルオーレンは聞こえないふりをして、彼女らの少し後ろを歩いた。
山村までの道すがら、シンランはタオ仙人と呼ばれる人物のことを教えてくれた。
小さな山村にひとりで暮らす高齢の男性で、一体何歳なのか本人もわからないという。長い白髭という風貌のせいか、いつからかタオ仙人と呼ばれるようになったが、そもそもタオという名が本名かどうかも怪しいらしい。
かつては諸国を巡っていたという噂もあるその老人は大変に物知りで、特にこの周辺の地質や植物について知らないものはないと言われているが――。
不意にシンランが振り返った。
「でも旅人さん、あんた女だったらよかったのにね」
「なぜです?」
「姐さん、むしろ女じゃなくてよかったんじゃないかなぁ」
「まあ、そうともいう」
オルオーレンは首を傾げる。結局、問いの答えは得られぬままだった。
*
標高が高いためか、真夏の太陽が照りつけるにも関わらず爽やかな風が吹き抜ける。
ごつごつとした石が転がる山道を三十分ほど登った先に、小さな山村があった。家屋はまばらで、人の姿も見られない。
シンランが真っ直ぐに向かったのは、小さな
「タオ
古びた戸を叩きながら呼ぶが、返事はない。シンランが腕を組んで唸った。
「
「勝手に殺すでない」
突然の声に驚いてオルオーレンたちが振り返ると、そこに腰の曲がった老人が薪を抱えて立っていた。
「あ、タオ爺起きてたの」
シンランは特に驚いた様子はないが、オルオーレンの心臓は飛び出んばかりに脈を打っていた。
一見、どこにでもいそうな小柄なお爺さんだ。つる禿げなのに、なぜか白い髭と眉毛は口と目を隠すほど豊かで、表情は窺えない。
(この人、気配が全くしなかった……)
百戦錬磨の旅人であるオルオーレンだが、老人が近づいてくる足音さえ気が付かなかった。
只者ではない雰囲気を感じ取り、汗がじんわりと流れる。そんなオルオーレンの顔に老人の視線が止まった。
ごくりと唾を飲む。
しかしそれは一瞬で、すぐに隣に視線が移る。すると老人の頬がポッとピンク色に染まり――
「リッカちゃーーーーん!!」
「きゃーーっ!?」
あろうことか、老人は手に持っていた薪を放り出して、蛙の如くリッカに飛びついた。
しかし老人がリッカに触れる直前、すかさずシンランの強烈な肘鉄砲が飛ぶ。形容しがたい痛々しい音と共に、老人の体が宙を舞った。
「ぐはっ……シンラン、お前もその暴力的なところがなければいい
「いい加減にしなよ、タオ爺。お客さんだよ」
「野郎の客なんぞ知らん……」
白い髭を鼻血で染めながら、なおもリッカの方へ
(この人、大丈夫かな……)
そんな様子をオルオーレンは一歩引いた位置で、半眼で見つめていた。
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