華の国の花(二)
妓楼・金梅館の一室で、オルオーレンはテーブルに並べられた豪華な食事に舌鼓を打っていた。
「いやあ、助かりました」
「いえ、お互い様ですので。……それにしてもよく食べますね」
テーブルの向かいに座り食事の様子を見守っているのは、先程裏路地で取り引きした裏若き妓女・カレンだった。烏の濡羽色の髪に黒曜石の瞳の少女は、化粧のためか灯りの下では声色の印象より随分と大人っぽい。とはいえ齢は十六、七といったところか。
ところが彼女には愛嬌の欠片もなかった。
さて、カレンが持ち掛けた取り引きとはなんだったのか。
彼女は本来客を取らねばならない立場である。しかし今夜は客の予定はなく、なにより彼女は客を選ぶ妓女だった。基本、肌を触らせる気はない。一方のオルオーレンは花街ですっかり話題の人となっており、宿を探すどころか表通りを歩くことさえままならないだろうと彼女は言った。
そこで表向きは彼女の客になれ、というのが取り引きの内容だった。つまり妓楼を宿代わりにしろということである。
もちろん宿屋の数十倍もしくはそれ以上金がかかるが、オルオーレンには入国直後に思いがけず手にした大金があった。そして何より「寝台と料理の質は保証する」という彼女のひと押しで、あっさり結託したのだった。
「それにしても、ここは随分と活気があるんですね、中庭に植えられた花も手入れされていますし。娼館ってもっと暗くてどんよりした感じなのかと思っていました」
率直な意見を述べ、皮をパリパリに揚げ焼きした鳥の肉にかぶりつく。そんなオルオーレンをカレンは半眼で見つめた。
「ここは娼館ではありません。我々は妓女であり遊女とは違います」
「どう違うんです?」
「妓女は技芸を売る者です。体を売ることもないわけではありませんが、皆高い教養を身につけ、自身の才に矜持を持っています。言い方には気をつけた方ががよろしいかと」
「なるほど……肝に銘じておきます」
だから彼女もやっていけるのか、とオルオーレンはカレンの薄い胸元を盗み見た。しかしばれたらしく、
「あなたこそ男娼にでもなったらどうです? 間違いなく
「それは遠慮しておきます。僕は花を集める旅の途中ですので」
オルオーレンがキッパリと断ると、カレンは「花……?」と訝しげに首を傾げた。
「植物の花ですよ」
「当たり前でしょう、なにと間違えるんです?」
「そうですよねぇ、普通」
そう呟いてオルオーレンは飾り棚の上に置かれた花瓶を見た。無限とも言えるほどの花弁を重ね、黄色い鞠のようにも見える大輪の花がこちらを見つめている。カレンも釣られて花を見た。
「ホウスイギクですね。酒のような芳香が人を酔わせることから『芳酔』の名が付いたといわれています」
「へえ……さすが妓女様、お詳しいですね」
褒められてもカレンは澄ました顔で軽く頭を下げるだけだった。なるほど、一部の
彼女が植物に明るいと見たオルオーレンは、口の中の肉団子を茶で流し込み、口の周りを拭いて姿勢を正した。
「これも何かの縁、あなたに聞きたいことがあります」
「なんでしょうか」
「『この地を象徴する花』、『この地から消えつつある花』、『あなたにとって特別な花』、このうちのいずれかで構いません。花をひとつ教えていただけませんか?」
カレンは僅かに目を見開き、それから伏し目がちに思案した。
「固有種または希少種ということなら……王都から少し北に離れた場所に旧皇族が所有していた庭園があります。そこにはこの国固有の花だけでなく、希少な花も集められていたはずですが、今は――」
「それだ!」
カレンの説明を遮って立ち上がると、オルオーレンはキリッと真剣な眼差しを向けた。
「その庭園の場所を教えてください」
「今は立ち入りが制限されていたはずですが」
がくん、とオルオーレンは糸が切れたように崩れ落ちた。この世の終わりのようなショックの受けようを呆れたように見ていたカレンだったが、再び思案し口を開いた。
「……もしかしたら、なんとかできるかもしれません。懐にはまだ余裕がおありで?」
◇◇◇
三日後の早朝、普通の宿に泊まったオルオーレンはカレンの指示通りに金梅館を訪ねた。
店の前に立っていたのは旅装束に身を包んだカレンだった。癖のない黒髪を緩く束ね、法衣に似た白い衣服を纏った尼のような出立ちは、男装の麗人さながらの凛々しさだ。
そんなカレンとオルオーレンを、他の妓女や男衆が遠目に見物している。その目は戸惑いであったり羨望であったりと様々だ。カレンの性格は敵も多いであろうことはオルオーレンにも予想がついた。
カレンの後ろで、下っ腹の出たおじさんがオロオロしていた。
「カレン、ほ、本当にいいのかい?」
「店長、確かに前金は戴いてますよ」
カレンは淡々と答えるとオルオーレンに向き直った。
「それでは、参りましょうか」
二人は半日近く箱馬車に揺られた。カレン曰く、徒歩では日帰りでは帰れないらしい。
カレンを借用したのは日の出から日没まで。それ以上はさすがに財布の中身がすっからかんになってしまう。籠の鳥を一時的とはいえ外に出すのだ、旅には十分だったはずの大金が幻のように消えていくことにオルオーレンは軽い恐怖を覚えた。
馬車の中で、二人はひたすら植物の話をした。カレンの話はオルオーレンの既知の内容も多かったが、彼女が博識であることはよくわかった。妓女の教養は侮れないようだ。
しかしどれだけ褒めても、彼女は無愛想なままだった。
「着きましたよ」
馬車を降りると、趣のある瓦屋根の門がオルオーレンを出迎えた。左右に広がる瓦塀が終わりが見えないほど遠くまで伸びている。しかし郊外のさらに外れということもあってか、周辺は閑散としており人の姿は見られない。
門の前には痩せた老人が立っていた。顔には皺がいくつも刻まれているが背筋がピンと伸びた、品の良い老紳士であった。
「まさか本当にいらっしゃるとは……」
老紳士は細い目を潤ませて言った。
「
カレンは振り返ることなく事務的に言った。オルオーレンはその後を静かに追った。
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