果実酒の村(三)

「なんなんだ、あの旅人は!」


 酒場兼宿屋に帰ってきた店主は、帰ってくるなりオレージュ酒を煽ると机に拳を叩きつけた。その様子に、息子のクーリが目を丸くする。


「結局あいつもただの観光客でしかなかった! 少しでも期待した俺が馬鹿だった!」

「とうちゃん……」


 やけ酒を煽る父親を母親が宥める様子を横目に、クーリはそっと裏口から外に出て階段に座った。日は暮れ、空には一番星が輝いている。


 村のみんなが本当は悔しくて悔しくて堪らないことを、クーリは知っている。

 オレージュは村の誇りだ。そしてサンシェールのオレージュ酒は特に甘くて美味いと評判だった。他の村に嫉妬されるほどに。

 手入れされた畑も、村の景観も、花目当ての観光客に好評だった。クーリの父親の宿屋は、毎年予約が取れないほど繁盛した。


 クーリは、人差し指を立てて笑った若草色の目の旅人を思い出す。


(そんな人には見えなかったんだけどなぁ……)





 事態が急転したのは、翌朝のことだった。


「「「ほんっとうに、すいませんでしたあああ!!!」」」


 土下座するルルヴェの村長たちを前に、サンシェールの髭村長と農家の男たちがぽかんと口を開けた。

 その様子を遠巻きに、クーリを含めた村人たちが見守っている。


「どういうことじゃ……?」


 戸惑う髭村長が尋ねた。一方のルルヴェの村長は頭を上げたものの、悔しそうに歯軋りするだけで話すのを躊躇っている。


「おやおや、正直に言わないと――」


 ルルヴェの村長を急き立てたのは、地面に膝をつく村長の後ろで天使の――否、悪魔のような笑みを浮かべるオルオーレンだった。


「言います! 言います!」


 そしてルルヴェの村長は、自分たちがしてきたことを白状し始めた。



「キゼンレソウ……?」


 髭村長の隣にいた男が、ルルヴェの村長が挙げた聞き慣れぬ花の名を繰り返す。


「そう、『アレロパシー』って知ってます?」


 あくまで笑みを絶やさないオルオーレンが尋ねると、村長を含め全員が首を横に振った。


「簡単に言うと、『植物が放出する成分が他の植物に影響を与えること』なんですけどね、他の植物の成長を阻害したり、発芽を抑制したりすることがあるんです」

「そのキゼンレソウに、そういった効果が……?」

「そう、キゼンレソウに含まれる成分が、そういった効果を持っているんです。どんな植物にも作用するわけじゃないんですけどね、オレージュとは相性が悪かった。ほんの少しの成分だけで、花芽の生成を抑制しちゃうんです」


 そう言ってオルオーレンが見せたのは、手に持った草だった。根っこごと引っこ抜かれたそれは、美しいとは言い難い地味な黄色い花を咲かせていた。


「うわ、なんか変な匂いがする……!」


 少し離れた位置にいるクーリが思わず鼻を押さえた。周りの村人たちも苦い顔をしている。


「あんまりいい香りじゃないでしょ? 花も地味だし、食用にもならない。少なくとも温室で大量に育てるような花じゃない」


 オルオーレンはそう言ってルルヴェの村長を見た。村長は地面に膝をついたまま、バツの悪そうな顔で目を泳がせている。


「それを、どうやってウチの村の畑に撒いたんだ? 俺らだって、花を落としにきてる奴がいるんじゃないかって毎年見回りしてたんだぞ」


 サンシェールの農家の男が至極真っ当な疑問を口にする。


「どうやったんでしたっけ?」


 オルオーレンは意地悪っぽく、ニッと笑ってルルヴェの村長にその先を促した。


「キゼンレソウの根の搾り汁を、ルルヴェの下にある溜め池に……」

「なんだって!?」


 辺りがざわつき、特に女性陣は青い顔で口元を押さえた。

 この地方は季節によっては雨がほとんど降らず川の流量が減ってしまうため、溜め池を多く活用している。生活用水は各家で貯めた雨水を使っているが、飲み水はその池からも引いているのだ。濾過して家に引いているとはいえ、完全に除去できる保証はない。


「ああ、人体に影響はありませんよ。ちょっとピリッとしますけどね。よくまあそんなに大量に根のエキスを抽出したなと感心はしますけど」


 狼狽する人々をなだめるように、オルオーレンは補足した。しかしクーリが首を傾げる。


「俺、水飲んでも全然気が付かなかったぞ」

「花の時期にだけ、それもちょっとずつ量を増やしていったんですよね? 濾過すれば色はほとんどつかないし、舌が慣れてしまえば気づかない。僕みたいな旅人は気がついちゃうでしょうけど」

「にいちゃん、もしかして……」


 クーリはオルオーレンが昨日の朝食で水を飲んでいたことを思い出す。

 しかしオルオーレンは笑みを浮かべたまま、人差し指を口元に立てるだけだった。


「それでルルヴェ村はなんともなくて、下流の村ばかり花が減っていたのか!」

「テメェら、なんてことを! こんなこと許されねぇぞ!」


 サンシェールの村人たちが怒りを露わに捲し立てると、ルルヴェの村長たちが縮こまる。しかしオルオーレンがその間にスッと入った。


「そう、これは立派な犯罪です。だからルルヴェの村長さんは、憲兵に突き出される前に自首する道を選んだんです。そこはご配慮くださいね」


 オルオーレンはサンシェールの髭村長に向かって、にっこりと微笑むのだった。





 その日のうちに、ルルヴェの温室に植えられた大量のキゼンレソウは片っ端から引っこ抜かれることになった。温室から漏れるキゼンレソウの奇妙な匂いに、オレージュの花目当ての観光客が顔をしかめていたのは言うまでも無い。


 その作業に立ち会うサンシェールの村人が、鼻を押さえながらルルヴェの村人に何気なく尋ねた。


「なあ、こう言っちゃ悪いけどよ、あんたたちなら細身のにいちゃんのひとりくらい、どうにでもできただろ? なんでああも正直に白状したんだ?」


 その問いを聞いた途端、ルルヴェの村人たちのキゼンレソウを抜く手が止まった。そしてみるみる血の気が引き、ガタガタと震え出す。


「だってあいつ、オリハルコンの短刀を持ってたんだ……! 俺らの武器なんて鉄製の農具ぐらいだ、勝ち目なんてねぇよ……」

「それに、シシカブトの毒持ってるってチラつかせるんだぞ! 一滴でどんな魔獣も昏倒させる猛毒だって話だ」

「あいつ、自分もキゼンレソウの種持ってるから、自首しないならさらに山の上流で育てようかなぁなんてほざきやがって……!」


 ルルヴェの村人の怯えようを見て、サンシェールの村人は空いた口が塞がらなかった。


「なんなんだ、あの旅人……」





「ありがとな、にいちゃん! すげーかっこよかった!」


 クーリは目をキラキラと輝かせて、身振り手振りを交えてオルオーレンに感動を伝えようとした。

 これでこの村のオレージュは再びたくさんの花を咲かせ、たわわに実を実らせるだろう。それは今年はまだ叶わないかもしれないが、ようやく暗雲が晴れた喜びはクーリからも、その父親を含む村人からも伝わってくる。


「どういたしまして。さて、僕が出した条件は覚えているかな?」


 それはクーリの依頼を受けるにあたってオルオーレンが要求した対価だった。『この地を象徴する花』、『この地から消えつつある花』、『あなたにとって特別な花』――そのいずれか一つをオルオーレンに紹介すること。


「もちろん!」


 クーリは元気いっぱいに走り出し、広大なオレージュ畑の前で細い両腕をバッと大きく開いた。


「この村のオレージュの花だ!!」


 クーリは満面の笑顔で、自信満々に言い放つ。

 この村を象徴する花であり、この村から消えつつあった花。そしてクーリにとって何よりも特別な花。


「なるほど、全ての条件を満たす花。これ以上ふさわしい花はありませんね」


 オルオーレンは呟き、そして満足そうに笑う。夕日に照らされた果樹園を、爽やかな風が駆け抜けていった。



*****

あとがき(言い訳)

アレロパシーの説明は間違っていないのですが、現実には樹木の花芽だけに効くってことはないと思われます。多分……。

異世界なので大目に見てください(逃)

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