3 宣教師の白い国 ― 聖トルフ公国

異端審問官の少女(一)

◇◇◇


 神はこの世界を創り、自身を模倣した『人』を創りました。

 人は神の子であり、神あっての存在なのです。

 しかしある時、人は愚かなことに、神を打ち倒そうとしました。

 神は怒りました。人々が束にならぬよう国どうしを引き離し、国の周りには監視者として魔獣を住まわせました。

 そして神は人から、魔法を奪いました。

 人が魔力を持たぬことは神からの罰であり、魔力を持たぬ故に人は生きることを許されているのです。


◇◇◇


「……ふうん」


 ベンチに腰掛けたオルオーレンは、手に持った冊子をパタンと閉じた。


 彼が今いるのは、聖トルフ公国の首都・トルフェリカ。

 聖トルフ公国はこの世界で最も信仰する人が多いセレヴィス教の総本山とも言える、宗教大国である。

 この国に入国するための関所はたった一か所、首都が隣接する国境壁にしかない。よって、入国時と出国時は必ず首都を通過することになる。

 そして入国を希望する者は、異教徒でないことを確認され、同時にセレヴィス教の聖典を手渡される。


 噴水の前に設置されたベンチに座っていたオルオーレンは、閉じた聖典をコートの内ポケットにしまった。

 ふと顔を上げると、街ゆく人々がこちらに注目していたことに気が付く。オルオーレンと目が合うと、人々は慌てて日常へと戻っていった。


(まあ、この髪の色じゃ目立つか)


 青い生地に白いラインが入ったローブを纏った聖職者と思しき男が、目の前を通っていった。セレヴィス教を象徴する色は、白と青。特に白が好まれるようで、首都の美しい街並みもどこか白っぽく、正午近い陽光の下では目が痛くなるほどだ。

 この国の民の髪色は茶系が多いが、年老いたことで真っ白になった髪は信心深く生きてきた証として誇るものなのだという。だからオルオーレンのような白髪はくはつの青年はとても珍しく、どこか神々しく目に映るのだ――と、白髪しらがのおばあさんが話しかけてきて、親切に教えてくれた。親近感かもしれないし、自分の髪を自慢したかったのかもしれない。


 セレヴィス教の聖典が真実かどうかは別として、この世界の国々は確かに距離があり、国を守る国境壁の外――通称『神の庭』には、ドラゴンや魔獣モンスターが生息している。故に多くの人は国の中で一生を過ごすため、国外から訪れる人間は珍しがられる。それも旅人であるオルオーレンが人々の注目を受ける理由の一つだった。


「さてと……」


 オルオーレンはベンチから立ち上がり、辺りを見回した。

 噴水のそばの花壇にも、商店や民家の前に並ぶ鉢にも、一様に同じ白い花が植えられていた。


(おんなじ花ばっかりだなぁ)


 彼は花を集めて世界を回る旅人である。

 とりあえず首都を出て郊外へ向かおうと、オルオーレンは歩き出した。




 さすがはセレヴィス教の中心地といったところか。街を歩くと、青と白のローブを纏う人と頻繁にすれ違う。そんな中、ひときわ小柄でフードまですっぽりと被った人物とすれ違った時だった。


「ちょっと、あなた」


 すれ違った人物の高い声が、オルオーレンを呼び止めた。


「……なにか?」


 オルオーレンは立ち止まり振り返る。

 その人物は歩み寄ると、オルオーレンをまじまじと観察しはじめた。茶色い中折れ帽、茶色いコート、肩に乗った白猫らしき生き物、そして背中に担いだ大きな本らしきものへと順に視線を動かし、動きを止めた。


「ちょっと来てください」


 フードの人物はすぐ近くの裏路地に入っていくと、おとなしくついてきたオルオーレンに向き合った。


「あなたからは魔法の気配がします。特に、背中の大きな本から」

「それで?」

「あなたは旅の方ですね。入国審査で言われなかったのかもしれませんが、この国では魔法は認められていません。すぐに出国していただきます」


 フードの人物は、まだ少女と思しき声ですらすらと澱みなく言った。


「確かにこの本は特殊なものですが、僕自身は魔法を使うことはできません。それでも入国することさえできないのですか?」

「ええ、そうです」

「変ですねぇ。あなた自身、魔力をお持ちなのに?」


 その言葉に、フードの人物は一瞬口を噤んだ。そして徐にフードを取った。漆黒の髪をもつ精悍な顔立ちの少女が、紺碧の瞳をまっすぐにオルオーレンに向けていた。


「私は異端審問官です。私の魔力に気が付いたと言うことは、あなた自身も魔力をお持ちなのでしょう」

「ええ、ですが言ったとおり、魔法は使えません。僕は魔力を帯びているだけです」


 黒髪の少女は訝しげにオルオーレンを睨む。


「どういうことです?」

「それより、魔法が異端だというなら、どうしてあなたは聖職者として認められているのですか? そのローブは聖職者の証でしょう?」


 オルオーレンはあくまで穏やかに訊ねたが、少女は苦虫を噛み潰したような顔になって俯いた。わかりやすく、触れられたくないことだったらしい。


「……あなたには関係ありません」

「本当にそうでしょうか?」


 顔を上げて双眸を細める少女に、オルオーレンは人の良さそうな笑みを向ける。


「僕もようやくこの国に辿り着いたのですから、目的を果たさずに出国するのは心外です。納得できる理由を教えていただければ、すぐにこの国から出ていきましょう」

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