異端審問官の少女(二)

 異端審問官と名乗った少女が案内したのは、店や家屋が立ち並ぶ中に埋もれたような小さな教会だった。人は誰もおらず、しんと静まり返っている。


「綺麗ですね」


 オルオーレンの足元には、正面のステンドグラスから差し込む光が鮮やかな模様を映し出していた。


「どうしてこちらに?」


 オルオーレンが振り向いて訊ねると、少女は移動中に被っていたフードを脱いだ。


「裏路地といえど、聖職者と旅人が密談していたら人目につきます。この時間、礼拝に来る者はほとんどいません」


 精悍な顔つきの少女の、真っ直ぐな黒い髪が流れた。


「あなたはなぜこの国にいらしたのですか?」

「花を集めるためです。僕は花を集めながら世界中を旅しています」

「花……? 植物を採集しているということですか? なぜそんなことを?」

「そうですねぇ、使命……みたいなものでしょうか」


 眉を顰める少女に、オルオーレンはにっこりと微笑む。


「今度はあなたが僕の質問に答える番ですよ」


 それはなぜ少女が魔力を持ちながら、魔法を異端とするセレヴィス教の聖職者の証であるローブを纏っているのかという問いだった。


「……私は確かに魔力を持っていますが、私の両親は司祭です。魔力を持たない親から私のような魔力持ちが生まれたのです」


 少女は俯きがちに答える。


「生まれた当時は大問題になったそうです。ですが両親の地位もあって、私は異端として追放されずに済みました。そして私の魔力は、他に魔力を持つ異端者を見つけ出すために神が授けたものだとされたのです」

「なるほど……それで異端審問官ですか」


 少女の表情は曇ったままだった。いくら教会の上層部が魔力を持つことを公認しても、周りからの目は厳しいものだっただろう。彼女がフードを目深く被っていたのもそういった理由だと、オルオーレンは容易に想像がついた。


「あなたの質問には答えました。悪いことは言いません、早くこの国から去ったほうがいい。このまま留まれば、私はあなたを異端者として上に報告しなければなりません」


 少女は深海のような青を湛える大きな瞳を、真っ直ぐにオルオーレンに向けて諭すように言った。

 優しい子だとオルオーレンは思った。だからほんの少しだけ、世話を焼きたくなったのかもしれない。


「あなたはこの世界に、魔力を持った人間がどれくらいいると思いますか?」


 突然の質問に少女は目を瞬いたが、すぐに真剣な表情で考え始めた。


「神が人から魔法を剥奪したとき、それを免れた悪しき一族の生き残りがいると習いました。数はとても少ないと聞きます。ただ、私のように魔力を持たない親から生まれる子がどれくらいいるかは、誰も把握していないのでは……」


 顎に手を当て大真面目に答える少女に、オルオーレンはふふっと笑う。


「そうでもないですよ」

「えっ?」

「この世界は果てがないと言われるほど広い。神が人間から魔法を剥奪したというのが本当かは知りませんが、この世界には魔法が重宝される国も、魔法使いばかりが暮らす国もありますよ」


 ぽかんと口を開けた少女は、信じられないと言いたげにオルオーレンを見つめた。しかしすぐにその血相が変わる。


「そんなはずありません! そんなことは学校も司祭たちも、誰も……」


 少女は唇を震わせ、言葉に詰まった。顔色がみるみる蒼白になっていく。


 この子は聡明だとオルオーレンは思った。オルオーレンには嘘をつくメリットがないことを少女は理解している。だからこそ、自分が真実だと信じているものが、自分の目で実際に見たものではなくすべて教えられたことだと気づいたのだろう。

 今彼女が愕然としているのは、魔法が異端でない世界があることでも、大人たちが嘘を教えてきたことでもなく、教えられたことを何の疑いもなく鵜呑みにしてきた自分に対してだ。


「本当に誰も知らないのか、それとも隠しているのかは僕にはわかりません。ただ一つ言えるのは、この国の常識はあくまでこの国だけのものだということです。常識が真実だという保証はありませんからね」


 少女の手が震えている。

 真面目で信心深いことは明らかだった。生まれ持った性格か教育の賜物か、どちらにせよ、異端とされる魔力を持つ自分が、信じることで救われると本気で思ってきた。否、そうしなければ生きてこられなかった。


「信じることと同じくらい、疑うことも大事ですよ。あなたも国の外に出たら世界が変わるかもしれませんね。まあ、危険なので積極的にお勧めはしませんが」

「国の外……」


 紺碧の瞳の奥に、僅かに希望の光がちらついたが、少女はすぐに俯いてしまった。


「……それは無理です、我が国の民が国の外にでることはできません。国外に出ることが許されているのは宣教師だけです。宣教師は聖職者の中でも選ばれた者しかなることはできませんし、どんなに努力しようとも、魔力を持つ私がその職につくことは決してできません」

「その宣教師というのは、国外で布教して帰ってくることはあるのですか?」

「……ごく稀だそうです。皆、二度とこの国の土を踏むことはできないと覚悟の上で宣教の旅に出るのです」

「そうですか」


 それっきりオルオーレンは黙ってしまった。

 オルオーレンを問い正すためにここに連れてきたのは少女の方だ。自分が魔力を持つ理由は話したのだから、オルオーレンには国から出てもらわなければならない。そうでなければ、少女は異端審問官として報告を上げなければならず、オルオーレンはなんらかの処罰を受けるだろう。


 しかし少女の口からは、異端審問官としての職務とは裏腹の言葉が溢れた。


「……この国から出る方法を、ご存知ありませんか?」


 震える声を聞いたオルオーレンは、目を細めて僅かに口角を上げた。


「ありますよ」

「えっ、本当に……!?」

「ですが、一度国を出たら二度と戻ることはできないでしょう。ご家族にも二度と会えなくなる」

「……」


 少女は口を開けたまま言葉に詰まった。

 宣教師以外の者が国を出るのは禁止されている。すなわち罪だ。戻ったとしても宣教師のように凱旋することはできないのだ。


 魔力を持つだけでも罪だと詰られた。さらに罪を重ねるなど、とんでもない話だ。


 しかし、なぜ魔力を持つだけで罪なのだろう?

 自分で選んだわけでもないのに。


 もし、魔力が罪でない世界があるなら――。


「僕はしばらくこの国を回ります。出国するためには首都この街の関所を通る必要がありますから、それまでにゆっくり考えるといい」


 少女は迷いつつも、こくんと頷いた。

 オルオーレンは少女の横を通り、教会の出口へ向かって歩き出す。そして教会の扉を開けようとした――が。


「あっ」


 声を上げたオルオーレンに、何事かと少女が振り向く。


「どうかしましたか?」

「いけないいけない。大事なことを訊くのを忘れていました」


 振り返ったオルオーレンは先程までと打って変わって、おもちゃで遊ぶ子供のように楽しそうに微笑んだ。


「あなたの好きな花はなんですか?」

「……え?」


 目を瞬く少女の頭の上に疑問符が浮かんだのは、いうまでもない。

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