龍亀討伐作戦(二)

 数刻前に龍亀ロングイが起き上がる振動と、あくびらしき咆哮を背中に受けた。超強力な睡眠薬を瓶一本分飲んだというのにもう起きるとは、流石は世界最大の魔獣モンスターといったところか。

 オルオーレンが国壁の関所にたどり着く頃には、空はオレンジ色に染まっていた。


「あれ? この国って確か……」

「ああ、十年ちょっと前に政変があってね、皇帝が変わって国の名前も変わったんだ。今はというんだよ」

「へえ、そうなんですか」

「この国は行商人や冒険者の行き来が多いから、周辺国なら知ってるはずなんだけどなぁ。兄ちゃん、ずいぶん遠くから来たんだな?」

「まあ、そんなところです」


 こんがりと日に焼けた人の良さそうな兵士に対し、オルオーレンは答えを濁した。確かに遠くから来ているので嘘ではない。内心は、たった十年そこらの話なら知らなくても仕方がないし、名前が変わったくらいどうでもいいというのが本音だった。


「ま、国の名前が変わったところで、こんな辺境が放ったらかしなのは変わんないけどな。ところで兄ちゃん、あんた冒険者だろ?」

「いいえ、旅人です」

「ああん、旅人? 何が違うんだ?」

「冒険者は魔獣の討伐を請け負う方々でしょう? 僕は花を採集する旅をしているだけですので、冒険者ではありません」


 片眼鏡モノクルを掛けた涼しい顔でしれっと答えるオルオーレンに、兵士は太く黒い眉を寄せた。


「おいおい、龍亀を気絶させといてそれはないだろ」

「あれ……見てたんですか?」

「おうよ、国壁の上からばっちりな」


 射抜くような目から逃げるように、オルオーレンは視線を泳がせた。

 ――やはり、まずいことだっただろうか。


「ええと……それは僕の旅の目的である花の採集と、ちょっとだけ路銀のためでして……」


 その時、毛深く太い指がガシッとオルオーレンの両肩を掴んだ。オルオーレンの肩に乗っていた白猫が驚いて背中に隠れる。


「兄ちゃん、強いんだろ。龍亀、倒せるか?」

「……倒す? えっと、確か龍亀って、この辺りでは縁起のいい霊獣として崇められているんでしたよね?」


 目をぱちくりさせるオルオーレンを、兵士の濃い顔が睨め付けた。


「霊獣なもんか、俺らにしちゃあ害獣だ」



◇◇◇



 近くの村に案内されたオルオーレンは、村人や兵士たちから話を聞くことになった。とは言っても村人とは言葉が通じず、兵士に通訳をしてもらったので、全部兵士の口から語られたことではあったが。

 確かに龍亀は昔から霊獣として崇拝の対象とされてきた。商売繁盛のモチーフとしても有名で、商店の軒先や民家の門の上など至る所に龍亀の石像が飾られている。しかし、それは王都などの国の中央部より東の話で、西門周辺ではあり得ない話だった。

 なぜかといえば、西門周辺の村々は、龍亀の足踏みが起こす地震と強烈な咆哮に悩まされ続けているのだ。家が壊れる、家畜が逃げる、驚いたじいさんがぽっくり逝ってしまう――等々、挙げればキリがない。


「それはずっと前からではなく、百年ほど前……からなのですか?」

「ああ、おそらくだが、あの亀がでかくなりすぎたんだ」


 記録を遡れば、あの龍亀は五百年ほど前は今より二回りほど小さかったらしい。


「だから頼む! あのデカすぎる龍亀を倒してくれ! できる限りの金は積む!」


 取り囲む村人と兵士から一斉に頭を下げられたオルオーレンは「うっ」とたじろいだ。そして腕を組み、思案する。

 倒す、それはつまり、殺すということだ。

 オルオーレンは捕食――つまり食事と、自身の身を守るためにしか殺生をしないが、彼の肉体は特殊なので前者のために生き物を捕らえることはあまりないし、基本的には厄介ごとから逃げるスタンスなので後者も余程のことがなければ必要ない。

 しかしそれはオルオーレンが特別なのであって、大抵の生き物は食う・食われるの世界で生きている。

 人間は無駄な殺生ばかりすると言う人もいる。オルオーレンも人間同士の戦争は理解に苦しむところではある。しかし無駄ばかりとは思わない。

 人間とは本来、とても弱い生き物なのだ。獲物を捕らえる牙もなければ、寒さから身を守るための毛皮もない。武器と言えるのは肥大化した大脳くらいだろう。ゆえに人間は集い、畑を耕し、国を作り、強固な壁で囲う。野生動物のように簡単に寝床を変えることはできない。

 この人たちの望む殺生は無駄とは言い切れない。彼らにとっては切実な問題なのだ。


側のことまで考えてられないもんな)


 それを理解した上で、残る懸念事項をオルオーレンは静かに口にした。


「あの龍亀は間違いなく生態系の頂点です。安易に殺せばどんな影響があるかわかりませんよ」


 なんだそれ、と言いたげな表情で兵士が首を傾げた。とりあえず村人に通訳してくれたようだが、粗末な服を着た村人たちは皆ぽかんとしている。

 オルオーレンは肩を竦めた。こういった知識を理解しているかどうかは、必ずしも国の発展具合とは比例しない。原始的な生活をしている人々の方が、言葉としては知らずとも概念として理解していたりする。自然と暮らしが密接に結びつき、その変化を直に感じ取るからだ。


「えっと、簡単にいうと……龍亀は他の大型の動物や魔獣を食べているわけでしょう? そこで龍亀がいなくなると、これまで食べられていた生き物の数が一気に増えて、これまでの生き物同士のバランスが崩れちゃう可能性がある、ってことです」


 やっぱりわからないと言いたげな顔もあれば、あー、とか言って知ったかぶりをする顔もある。端的に言えば、オルオーレンの言葉は全く響いていない。

 無理もないだろう。辺境の村が貧しく、なりふり構っていられないことはよくある話である。さっきも兵士が「お上が変わっても辺境は何も変わらない」と言っていたばかりだ。壁の向こうの変化なんて彼らにとっては瑣末なことだろう。


 オルオーレンはふう、と長い溜め息をついた。



◇◇◇



 その後、どうなったか。


 結論から言えば、オルオーレンが折れた。

 多額の報酬と、龍亀の死によって引き起こされるいかなる事象にも責任は取れないことを条件に。

 報酬をきっちり要求したのは、命を奪うことにそれだけの重さがあることを示すために他ならないのだが、果たしてわかってくれただろうか。


 龍亀を殺すことは難しいことではなかった。既に睡眠薬を摂取させた実績があるのだから、薬を毒薬に変えるだけだった。一滴でゾウもひっくり返ると言われるシシカブトの猛毒は、世界最大と謳われる龍亀にも効いた。

 陸の覇者の、呆気ない最期だった。


 積年の悩み事から解放された村人たちは歓喜に沸き、祭りまで催した。飲めや歌えの大騒ぎで、もちろんオルオーレンも主賓として誘われたが、断ってすぐに村を発った。


(人間のやり方に口を出す筋合いは僕にはない――なんて)


 そんなふうに考えた自分が、あまりにも言い訳地味ていて。


(我ながら、無責任だ)


 オルオーレンはなんとも後味の悪い入国を果たしたのだった。

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