異端審問官の少女(四)

前書き

前話に引き続き、この小説らしからぬ(?)暴力表現・残酷表現があります。

そして先に謝っておきます、ややこしい世界観ですみません。

=========



「どうしてここに……」


 父の手を押し退けて顔を上げた私に、旅人は陽だまりのような笑みを向けた。そして大司祭の方を見て、しれっと言った。


「彼女に外の世界の話をしたのは僕です」

「ほう……この娘を誑かしたのはお前か」

「随分と人聞きが悪いですねぇ。僕は嘘は何も言っていませんよ? 魔法が重宝される国も、魔法使いばかりが暮らす国も、確かに存在しますから」


 旅人のよく通る声に、遠巻きに様子を見ていた民衆がざわついた。大司祭は双眸を細める。


「魔法は悪魔の所業だ」

「ええ、知っていますよ、それがこの国の常識であることくらい。でもそれは世界の真実ではない。現に僕は魔力を持っていますけど、悪魔ではありませんしね」


 だめ! 魔力を持っていることが知られたら、騎士団に捕らえられてしまう!

 そんな私の焦燥と周囲から浴びせられる罵声を他所に、旅人は颯爽と私に歩み寄る。そして徐に背中の本を下ろし、ドサリと私の前に置いた。


「どうかそれを国の外に投げ捨ててください」


 旅人は私にしか聞こえないくらいの小さな声で「頼みましたよ」と言った。

 そして旅人は、誰かを見て微笑みかけた。その目線の先は――シルビア様だろうか。彼女の大きな瞳が揺れている。


「……この国の秩序を乱す悪鬼め」


 大司教の低く、背筋が凍るような声。


「神の名の下に、悪魔を誅せよ!」


 ――今、なんて……?

 私の理解が追いつく前に、大司教の声に弾かれたように騎士団が飛び出した。


 そして騎士団の無数の槍が、笑みを絶やさぬ旅人の体を貫いた。


 嘘だ。これは夢だ。

 そう信じようとした私の目の前で、無数の赤い雫が地面に花のような模様を描いた。


「あ……いやあああああ!!!」


 私の悲鳴はすぐに喧騒に掻き消される。悲鳴を上げる者、卒倒する者、怯える者、興奮する者、囃し立てる者。どの目も、どこか狂気に満ちていた。

 呆然と立ち尽くすシルビア様の姿だけが浮いて見えた。


 何本もの槍を受けた旅人の体は倒れることも叶わずに、悲壮な姿を民衆に晒していた。


 誰かが「焼き殺せ」と叫んだ。

 風に波打つ麦畑のように、その声はあっという間に伝播した。まるでそれがこの国の総意であるかのように、誰も彼もが同じ言葉を叫んだ。


「やめて! やめてえ!!」


 両親に押さえつけられた私は、泣き叫ぶことしかできなかった。

 旅人の赤く染まったコートに火がつけられると、その体は抵抗することもなく、あっという間に火だるまになった。

 生き物が焼ける匂いが鼻腔を突く。


 どうしてみんな、そんな興奮した目で炎を見つめているのだろう。 

 狂っているとしか思えなかった。

 私が美しいと信じてきた白い街並みも、清廉潔白だと疑わなかった街の人たちも、今の私には真っ赤に染まって見えた。


 旅人の亡骸が炎に包まれ、元の人の形が曖昧になった頃。

 ――突然、炎が爆ぜた。


「きゃあああ!」

「呪いだ!」

「悪魔だ! 悪魔の仕業だ!!」


 恐れ慄く人々が悲鳴を上げながら逃げ惑う。騎士団に誘導されながら、民衆は散じていった。

 私の前に残ったのは、地面の赤い染みと僅かな灰と、旅人が背負っていた本だけだった。


 なんでこんなことになってしまったのだろう。

 全部私のせいだ。私が馬鹿だったから……!


 泣き崩れる私の前に誰かが跪き、肩に手をそっと置いた。

 顔を上げれば、シルビア様の悲しげな、だけど優しい瞳が私を見つめていた。

 そしてシルビア様はいつもの凛とした眼差しに戻ると、大司教を見上げた。


「少女に付け入った悪は果てました。彼女は純真な信徒であるからこそ騙されただけです。どうか神のご寛大なお赦しを」


 大司教は腕を組み唸った。そして私は――向き直って頭を下げた。


「……先程、あの者が爆ぜるのを見て目が醒めました。弱みに付け込まれたとはいえ、悪魔に騙されるなど神に仕える者として恥ずべきことです。罪の赦しを乞い願います」


 悔しかった。だけど、うわべだけの懺悔を述べることに迷いはなかった。

 あの旅人は身を呈して私を守ったのだ。その気持ちを無下にすることはできない。それに私には、なんとしても為さねばならないことがひとつだけ残っている。


「ふむ……そなたは私の赦しが神の赦しであると信じるか?」

「はい、大司教さま」


 私を見下ろしていた大司教は、それまでとは打って変わった柔和な顔で諭すように言った。


「哀れな娘よ、そなたの異端審問官の職は解く。それでそなたの罪を赦そう。今後はより深く神に祈り仕えなさい」

「はい、ありがとうございます」


 私が旅人が背負っていた大きな本を抱えると、大司教は再び怪訝そうに目を細めた。


「その本は悪魔の物だ。今すぐ燃やしなさい」

「いえ、先程のように爆ぜるかもしれません。危険ですので、私が責任を持って国境壁から投げ捨てて参ります」


 大司祭は何か言いたそうに口を開いたが、遮るようにシルビア様が名乗り出た。


「この娘が悪の遺物を確実に国の外に捨てるよう、わたくしが付き添って参ります」



◇◇◇



「あの旅人とは辺境警備の任務中に偶然会ってね、少しだけ話をしたんだ。不思議な人だった」


 国境壁に向かう間、シルビア様は旅人と面識があったことを話してくれた。だけど私は口を開く気にすらなれず、黙って大きな本を抱えて歩いた。

 やがて、国境壁に着いた。城塞のようなその施設の中に入るのは初めてだった。長い螺旋階段を登ると、強い風に煽られると共に視界がひらけた。


 私は壁の向こうの世界を初めて見た。遠くに輝く白い山脈、森を断つように伸びる茶色い道、広大な草原に散らばる色とりどりの花。

 ああ、なんて広くて――美しい。

 これがあの旅人が見てきた世界なのだ。


 だけどあの旅人はもう二度とこの景色を見ることはできない。私があの人の旅を終わらせてしまった。

 本を抱きしめて、私は泣いた。涙を抑えることができなかった。

 ――だけど。


「泣く必要はありませんよ」


 忘れもしない涼やかな声に、私は驚いて顔を上げた。

 ついに幻聴まで聞こえるようになったのだろうか。

 それにしてはハッキリし過ぎていた声に、私はキョロキョロと辺りを見回す。


 胸の高さまである壁の上で、白い猫が尾を揺らしていた。


 いや、猫だろうか。私が知る猫より二周りも小さい。よく見るとその生き物の毛並みはあの旅人の髪と同じ緑かかった白色で、瞳も旅人と同じ若草色をしている。

 ――そうだ、あの旅人の肩に乗っていた猫だ。いつの間に逃げたのだろう、旅人が槍に貫かれた時には姿が見えなかった。


「ああよかった、僕の頼みを聞いてくれたんですね。本まで燃やされたらどうしようかと思いました」


 猫が喋っている。

 その声も口調も、間違いなくあの旅人のものだった。


「旅人さんなの……?」

「ええ。言ったでしょう? 僕の体は魔力を帯びているって。実はなんです」


 目を瞬く私を見て、「魔法ってすごいでしょう?」と猫はイタズラっぽく語りかける。

 意味がよくわからないが、この猫があの旅人だと信じていいのだろうか。――だけど今私の目の前で起きていることが真実だ。だってあの旅人は嘘なんかつかない。


「あの、この本は……?」

「ああ――植物標本ですよ。僕が集めた花たちが全部その中に入っています。いやあ、助かりました。燃やされたら僕のこれまでの旅がパアになるところでしたよ。本当にありがとう」

「お礼なんて、そんな……」


 礼など言われる筋合いはない。私がしてしまったことは、これくらいでは償いきれない。


「……ごめんなさい。私のせいで、あなたをあんな目に合わせて」

「いいえ、人間の営みに口を出し過ぎた僕の自業自得です。それに、あなたは何か悪いことをしましたか?」

「悪いこと……」


 私は首を横に振った。白猫はまるで笑うように、ペリドットのような双眸を細めた。


「首都から最も離れた辺境の村へ行ってみるといい。きっとあなたの後ろにいる騎士様が力になってくれます」


 私は後ろを振り返った。少し離れた位置で私を見守るシルビア様には、白猫の声は届いていないのだろう。きょとんとした顔でこちらを見ている。


「なあに、心配はいりませんよ。僕は今まで通り旅を続けますし、あなたの人生はまだまだこれからなんですから」


 鼻の奥がツンとして、涙が溢れた。私はなんとか口角を上げて大きく頷いた。


「おい、時間がかかり過ぎだろう! 何をしている!」


 男の太い声が響いた。振り向けば、見張りの兵士をシルビア様が制止しようとしている。


「さあ、その本を投げて!」


 その声を合図に、私は弾かれたように大きな本を壁の外へ投げた。

 同時に、白猫も壁を飛び降りる。

 猫とはいえ、こんなに高い国境壁から飛び降りては――私は慌てて腰壁に手をかけ下を覗き込んだ。

 その時、どこからともなく現れた黄金色に輝く一羽の鳥が、私の視界を横切った。

 舞い上がった鳥の大きな脚はしっかりと旅人の本を掴んでいた。そしてその本にしがみつく、可愛らしい小さな白い影。


 後ろの方から、黄金色の鳥に驚く兵士たちのざわめきが耳朶に触れた。「神の使いだ」なんて言葉まで聞こえて、私は吹き出しそうになった。

 金色の鳥はあっという間に見えなくなった。あの鳥が――あの旅人が飛び去った西の空を見つめながら、私はもう泣かないと心に誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る