果実酒の村(一)

「いやー、こんな色男が旅人なんてねぇ!」

「ほら、どんどん食べてどんどん飲んどくれ!」


「はは、ありがとうございます」


 青年のテーブルには、食べきれないほどのご馳走と果実酒の瓶が何本も置かれていた。


 彼がたどり着いたのは、山間やまあいの小さな村・サンシェール。ドルセア王国の北側に位置するテルデン山の南側の麓一帯は、オレージュと呼ばれる果実を発酵させて作るオレージュ酒の特産地だ。この村も半数以上の家がオレージュ農家である。

 宿屋を兼ねた酒場のテーブルにできた人だかり。その中心にいるのがオルオーレン、世界を旅する青年である。


「花を集めてんのかい? 物好きだねぇ!」

「この国に来てどれくらいだい? オーレ湖はもう見たかい?」

「あんた、いくつだい? まだ若いだろ?」

「やだあアンタ! こんな若いのに手ェ出すつもりかい? 亭主が泣いちゃうよ!」


 オルオーレンを取り囲んでいるのは、年甲斐もなく顔を赤らめてはしゃぐ奥様方。

 そして男たちが酒を煽りながら、それを遠巻きに睨んでいる。


 この世界は、どの国も国境を堅牢な壁で囲んでいる。その外は魔獣モンスターの出る危険な大地であるため、旅人という存在はとても珍しい。

 そんなレアな客が片田舎に現れ、さらに珍しい緑がかった白髪の美青年となれば、好奇心旺盛なマダムたちが黙っていないのだ。


「このオレージュ酒、おいしいですね。この村で作られたものですか?」


 四方八方から湧いてくる質問を軽く受け流しながら、オルオーレンは尋ねる。


「当たり前よぉ! 芳醇でおいしいでしょ?」

「はい、とても」

「なあ、それ本当か?」


 突然の幼く場違いな発言に、皆がピタリと黙る。

 いつの間にか日に焼けた吊り目の少年が、テーブルの下から顔を出していた。


「本当にうまいって思ってんのか?」

「こら、クーリ!」


 恰幅のいいおばさんが少年の首根っこを持ち上げる。骨と皮のような細身の体が宙に浮いた。


「お客様になんてこと言うんだい!」

「だってそうだろ!? うちの村の酒は出来が悪くなったってみんな言ってんじゃん!」


 クーリと呼ばれた少年は、手足をばたつかせながら噛み付くように吠える。

 オルオーレンを取り囲んでいた女性たちも、それを遠巻きに見ていた男性たちも、しんと黙ってしまった。


「そんなことあるわけないだろう。すいませんお客さん、息子が失礼なことを言いまして」


 そう言って頭を下げたのは、人の良さそうな酒場の店主だった。まだ若く、三十代後半だろうか。

 クーリ少年は抵抗も虚しく、あっさりと酒場の奥に連れて行かれてしまった。


 少々気まずい雰囲気になったせいか、オルオーレンの取り巻きも徐々に散っていった。


「すみませんね、旅人さん。みんな悪気はないんです」

「とんでもない、ありがたいことですよ。でもこの量の料理はさすがに食べきれませんので、他のお客さんや店主マスターのご家族もどうか召し上がってください」

「承知しました」


 そう言って若い店主は笑う。


「ところで……さっき息子さんがおっしゃっていたことは本当なのですか?」

「え? ああ……ここ数年、少し不作が続いているだけですよ」


 店主はぎこちなく笑うと、オルオーレンのテーブルに乗った手付かずの料理を持って厨房へと引っ込んでいく。

 その後ろ姿を、オルオーレンはじっと見つめていた。





 翌朝、オルオーレンは昨晩と同じテーブルで朝食を摂っていた。

 流石に朝は酒飲み客はおらず、店内に客はオルオーレンしかいない。農村ということもあって朝は皆忙しいのだろう。取り巻きもなく、とても静かだ。

 オルオーレンの足元では、連れである小さな白猫が皿からミルクを飲んでいた。


「なあ!」


 突然、少年がひょこりと顔を出した。昨晩のクーリ少年である。


「なんだい?」


 オルオーレンはコップに注がれた水を一口飲んで尋ねる。


「にいちゃん、花集めてんだろ。植物、詳しいのか?」

「まあ、それなりにはね」


 クーリは俯いてしばらく考えた後、意を決したように顔を上げた。


「頼む! この村のオレージュを見てくれないか!?」


 オルオーレンは目を瞬いて、そしてにっこりと笑った。


「僕が見たところで、問題が解決するとは限らないよ」

「それでもいい!」

「そうかい、ならいいよ」

「ほんとか!」


 期待でキラキラと目を輝かせるクーリに、オルオーレンは人差し指をたてて微笑んだ。


「ただし、ひとつ条件がある」





 軽快に坂道を駆け上る少年を、特大の本を背負った青年が追いかける。


「ほらほら、見て!」


 クーリは我が物顔でオレージュの果樹畑に踏み込むと、青い葉を茂らす木の一部を指差した。


「これは……」

「な? 花の付きが悪いんだ。だから実も少ししかできないし小さいんだ」


 オルオーレンは辺りの果樹を見渡す。

 どの木も、花の数が少ないのだ。


 それはオルオーレンにとって予想外の現象だった。

 果物の成りが悪いといえば、実をつけ始めてからの問題が多い。果実が太る前に落ちてしまう、虫に食われる、病気になる……。葉や幹を虫や病気にやられることもあるが、これだけ立派な果樹たちが花をつけないのは些か不思議だ。


(なにか土壌に問題が……? それとも、気候が変わったか……)


「こんなの変だろ? 絶対、上の村の奴らのせいだ!」

「……上の村?」

「こらっ! クーリ!」


 突然の怒鳴り声と共にクーリの首根っこを掴んだのは、酒場兼宿屋の店主、つまりクーリの父親だった。


「畑に勝手に入ったら駄目だろう! すみません、旅人さん。息子がワガママを言ったようで……」

「離せよ! とうちゃんだって言ってたじゃんか、上の村が怪しいって!」

「クーリ! そんなことを言うんじゃない!」

「まあまあ……」


 オルオーレンが宥めると、父親は宙に浮いて足をばたつかせていたクーリを下ろす。


「とりあえず、詳しい話を聞かせてくれませんか?」

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