果実酒の村(一)
「いやー、こんな色男が旅人なんてねぇ!」
「ほら、どんどん食べてどんどん飲んどくれ!」
「はは、ありがとうございます」
青年のテーブルには、食べきれないほどのご馳走と果実酒の瓶が何本も置かれていた。
彼がたどり着いたのは、
宿屋を兼ねた酒場のテーブルにできた人だかり。その中心にいるのがオルオーレン、世界を旅する青年である。
「花を集めてんのかい? 物好きだねぇ!」
「この国に来てどれくらいだい? オーレ湖はもう見たかい?」
「あんた、いくつだい? まだ若いだろ?」
「やだあアンタ! こんな若いのに手ェ出すつもりかい? 亭主が泣いちゃうよ!」
オルオーレンを取り囲んでいるのは、年甲斐もなく顔を赤らめてはしゃぐ奥様方。
そして男たちが酒を煽りながら、それを遠巻きに睨んでいる。
この世界は、どの国も国境を堅牢な壁で囲んでいる。その外は
そんなレアな客が片田舎に現れ、さらに珍しい緑がかった白髪の美青年となれば、好奇心旺盛なマダムたちが黙っていないのだ。
「このオレージュ酒、おいしいですね。この村で作られたものですか?」
四方八方から湧いてくる質問を軽く受け流しながら、オルオーレンは尋ねる。
「当たり前よぉ! 芳醇でおいしいでしょ?」
「はい、とても」
「なあ、それ本当か?」
突然の幼く場違いな発言に、皆がピタリと黙る。
いつの間にか日に焼けた吊り目の少年が、テーブルの下から顔を出していた。
「本当にうまいって思ってんのか?」
「こら、クーリ!」
恰幅のいいおばさんが少年の首根っこを持ち上げる。骨と皮のような細身の体が宙に浮いた。
「お客様になんてこと言うんだい!」
「だってそうだろ!? うちの村の酒は出来が悪くなったってみんな言ってんじゃん!」
クーリと呼ばれた少年は、手足をばたつかせながら噛み付くように吠える。
オルオーレンを取り囲んでいた女性たちも、それを遠巻きに見ていた男性たちも、しんと黙ってしまった。
「そんなことあるわけないだろう。すいませんお客さん、息子が失礼なことを言いまして」
そう言って頭を下げたのは、人の良さそうな酒場の店主だった。まだ若く、三十代後半だろうか。
クーリ少年は抵抗も虚しく、あっさりと酒場の奥に連れて行かれてしまった。
少々気まずい雰囲気になったせいか、オルオーレンの取り巻きも徐々に散っていった。
「すみませんね、旅人さん。みんな悪気はないんです」
「とんでもない、ありがたいことですよ。でもこの量の料理はさすがに食べきれませんので、他のお客さんや
「承知しました」
そう言って若い店主は笑う。
「ところで……さっき息子さんがおっしゃっていたことは本当なのですか?」
「え? ああ……ここ数年、少し不作が続いているだけですよ」
店主はぎこちなく笑うと、オルオーレンのテーブルに乗った手付かずの料理を持って厨房へと引っ込んでいく。
その後ろ姿を、オルオーレンはじっと見つめていた。
*
翌朝、オルオーレンは昨晩と同じテーブルで朝食を摂っていた。
流石に朝は酒飲み客はおらず、店内に客はオルオーレンしかいない。農村ということもあって朝は皆忙しいのだろう。取り巻きもなく、とても静かだ。
オルオーレンの足元では、連れである小さな白猫が皿からミルクを飲んでいた。
「なあ!」
突然、少年がひょこりと顔を出した。昨晩のクーリ少年である。
「なんだい?」
オルオーレンはコップに注がれた水を一口飲んで尋ねる。
「にいちゃん、花集めてんだろ。植物、詳しいのか?」
「まあ、それなりにはね」
クーリは俯いてしばらく考えた後、意を決したように顔を上げた。
「頼む! この村のオレージュを見てくれないか!?」
オルオーレンは目を瞬いて、そしてにっこりと笑った。
「僕が見たところで、問題が解決するとは限らないよ」
「それでもいい!」
「そうかい、ならいいよ」
「ほんとか!」
期待でキラキラと目を輝かせるクーリに、オルオーレンは人差し指をたてて微笑んだ。
「ただし、ひとつ条件がある」
*
軽快に坂道を駆け上る少年を、特大の本を背負った青年が追いかける。
「ほらほら、見て!」
クーリは我が物顔でオレージュの果樹畑に踏み込むと、青い葉を茂らす木の一部を指差した。
「これは……」
「な? 花の付きが悪いんだ。だから実も少ししかできないし小さいんだ」
オルオーレンは辺りの果樹を見渡す。
どの木も、花の数が少ないのだ。
それはオルオーレンにとって予想外の現象だった。
果物の成りが悪いといえば、実をつけ始めてからの問題が多い。果実が太る前に落ちてしまう、虫に食われる、病気になる……。葉や幹を虫や病気にやられることもあるが、これだけ立派な果樹たちが花をつけないのは些か不思議だ。
(なにか土壌に問題が……? それとも、気候が変わったか……)
「こんなの変だろ? 絶対、上の村の奴らのせいだ!」
「……上の村?」
「こらっ! クーリ!」
突然の怒鳴り声と共にクーリの首根っこを掴んだのは、酒場兼宿屋の店主、つまりクーリの父親だった。
「畑に勝手に入ったら駄目だろう! すみません、旅人さん。息子がワガママを言ったようで……」
「離せよ! とうちゃんだって言ってたじゃんか、上の村が怪しいって!」
「クーリ! そんなことを言うんじゃない!」
「まあまあ……」
オルオーレンが宥めると、父親は宙に浮いて足をばたつかせていたクーリを下ろす。
「とりあえず、詳しい話を聞かせてくれませんか?」
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