汝、美しくあれ(三)

 案内されたのは、王女の私室だった。テーブルには先程摘んだユーディニウムの花が小さなガラスのコップに活けられている。


 分厚いカーテンが閉められ、部屋は闇に閉ざされた。真っ暗な女性の部屋で二人きり、なんて不謹慎極まりないが、そこはちゃんと執事長と侍女がついている。今、この部屋の光源は侍女が持つ小さな蝋燭の炎のみである。


「さてと」


 オルオーレンは胸ポケットから小さなハンマーを取り出した。そしてもう片方の手には、黒い石の塊が握られている。


「その石はなんですの?」

「これは黒光石こっこうせきといいまして、空気に触れると僅かな間だけ特殊な光を発するんです」


 そう言ってオルオーレンは、石をハンマーで勢いよく叩いた。すると石は半分に割れ、割れ口が青とも紫ともつかない色の光をぼんやりと発する。

 オルオーレンはその光を、ユーディニウムの花に近づけた。


「えっ!?」


 王女は思わず声を上げた。


「光ってる……? それに、色が全然違うわ……!」


 地味な黄緑色だったはずの花は、花びらがピンク色に光っていた。さらに花の中央部は淡い青色、そして雄蕊おしべは白く発光している。まるで蛍火のような、否、それよりも鮮やかでいて繊細で、幻想的な光が、闇の中に浮かんでいた。


「この石が発する紫外線と呼ばれる光は太陽の光にも含まれていて、人の目には見えませんが虫たちには見えるのではないかと言われています。虫たちから見たら、この花は全然地味じゃないのかもしれませんよ」


 王女は淡く光る花を息を凝らして見つめていた。その小さな目に、花びらのピンクの光が映り込む。


「綺麗……」


 石が発する光はあっという間に消え、光る花も夢のように消えていった。

 オルオーレンは勢いよくカーテンを開けた。眩しいほどの日差しが部屋に差し込み、王女は思わず目を覆う。


「綺麗だったでしょう? ユーディニウムを必要とする者たちは、この花の本当の美しさを知っています」


 そう言いながらオルオーレンは王女に近づき、その手をそっと取った。


「民はあなたの真の魅力にすぐに気がつくでしょう。だからあなたも、堂々と咲いていればいい。あなたはとても美しいですよ」


 窓から差し込む日差しに白い髪とペリドットの瞳が煌めく。

 オルオーレンの優しい笑みに、王女は顔を真っ赤にし、そしてその小さな瞳から大粒の涙が溢れ出した。

 両手で顔を覆い、しばらくの間泣いていた王女は、やがて涙を拭い顔を上げた。


「ありがとうございます、オルオーレン様。わたくし、決めましたわ」


 力強く言うと、王女はオルオーレンの手を掴んでツカツカと歩き出した。


「ピレアーナ様、どちらへ……?」


 戸惑い尋ねるオルオーレンの手を、王女は何も言わずに引いて歩く。その背筋はピンと伸びていて、どこか清々しい。


 王女が向かったのは、謁見の間だった。


「お父様!」


 勢いよく扉を開けた王女がよく通る声で叫ぶと、国王と王妃は目を丸くした。


「どうしたのだ、ピレアーナ」

「わたくし、お父様の跡を継ぎます」


 堂々と宣言する愛娘に、国王の顔がぱあっと明るくなる。


「本当か!?」

「ええ、心配させてごめんなさい。王位継承権第一位の王女として、お父様の下でしっかりと国務に励みます」


 顔を見合わせた国王と王妃は、嬉しそうに顔を綻ばせる。周りにいる大臣や兵士たちもざわざわとし始め、それは歓声へと変わっていく。


「「ピレアーナ王女、万歳!」」


 明らかに場違いなオルオーレンは肩身が狭かったが、ちらりと盗み見た王女の横顔は自信に満ちていた。きっと必要だったのは、あとほんの少しの、背中を押す声だったのだろう。


(僕が担ったのは、そのほんの少しに過ぎない)


 そんなふうにオルオーレンは思う。

 きっと王女は、ユーディニウムのように強く咲き誇るだろう。


「ピレアーナ、それでは結婚にも前向きになってくれるんだな?」


 国王の期待に満ちた目に応えるように、王女は鼻息荒く――掴んでいたオルオーレンの手を引っ張った。


「はい! わたくし、オルオーレン様と結婚しますわ!」


 一瞬の静寂。


 やがて、大臣や兵士たちがざわつき始める。

 これは流石にオルオーレンも、城の誰もが予想していない展開だった。

 いや、オルオーレンは気がつくべきだったのだ。整った容姿に、なぜか勘違いされやすい自分の体質。そして相手は恋愛経験がほとんどなく、恋に恋するようなお年頃。耐性などゼロに等しい乙女に美しいだのなんだの、甘い言葉を掛けまくっていればどうなるか。


「ピレアーナ、ほ、本気か?」


 今や自信を取り戻した王女様は、動揺する国王の問いにも全く動じない。猪突猛進、どこ吹く風。


「もちろんですわ! このかたはわたくしのことを励まし、美しいとまで言ってくださったの。旅人というだけあって博識ですし、なによりとても綺麗なお顔をされています! わたくしとオルオーレン様との間に生まれる子は、優秀なだけでなく容姿端麗かもしれませんわ!」

「むむう、それは確かに……」

「それに、お父様はわたくしが選んだ殿方ならば誰でもよいとおっしゃっていたではありませんか?」

「そ、そうじゃな、その通りだ。ピレアーナが選んだのなら……」


((いやいや、そうじゃないでしょ))


 オルオーレンと周りにいた全員が国王に対し心の中で突っ込んだが、実際に口にできるものはいない。

 うわべだけの笑みを貼り付けたオルオーレンはそっと後ずさり、一瞬の隙をついて王女の手を解いた。


「僕はそろそろ失礼しまーす」

「オルオーレン様!?」


 オルオーレンはひらりと、風のように謁見の間を飛び出した。後ろから王女の捕まえろという声が聞こえた気がしたが、聞こえなかったことにする。







 休むことなく走り続け、王都の関所まで辿り着いたオルオーレンはふうと息をついた。


「オルオーレン様」

「うわあ!」


 背後から名を呼ばれ、思わず飛び跳ねる。恐る恐る振り返ると、そこには王家の執事長・トルセアンが立っていた。

 この老紳士はなぜここにいるのだろう、兵士ですら追いついていないのに――そんな疑問が浮かぶが、問うたところでどうしようもない。


「ええと……国王陛下の勅命に背くと首が飛ぶ、なんて法律あります?」

「あります」

「あらま、それは困りましたね」

「しかし今回は王女の命令です。そちらは法律にありません」

「それはそれは……」


 胸を撫で下ろすオルオーレンに、老紳士はおもむろに深く頭を下げた。


「この度は実にお見事でした。この老いぼれ、ピレアーナ様のことだけが心配だったのです。誠にありがとうございました」

「……トルセアン様にはまだまだ頑張っていただかなければなりませんよ。特に、ピレアーナ様にはまだ勉強が必要なことが残っているようですから」


 トルセアンは顔を上げると、ほっほっほとグレイの髭を揺らした。


「この後はどちらへ? まだこの国を回られる予定ですか?」

「いえ、もう十分回りましたから、このまま国境の関所へ向かうつもりですが……いいんですか?」

「私がここに着く前に、あなたは王都の外へ出てしまった。そうお伝えしておきます。あなたの旅路に、幸多からんことを」


 オルオーレンは中折れ帽を取って礼を言うと、トルセアンと数名の憲兵に見送られながら歩きだす。

 目の前に広がるのは、地平線まで続く黄金色の畑と雲ひとつない青空。肩に乗った白猫が、にゃあと小さく鳴いた。



*****

あとがき

「花 ブラックライト」等でググると紫外線で光る花々の美しい写真が見られますので、是非検索してみてください。

特にナショナルジオグラフィックに掲載されている写真はため息が出るほど美しいです!

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