4章:そもそもの遠因

第28話 華南と潮崎

 その日、華南が狭間の店へ向かったのは、なんとなくだった。学校の帰り、自宅まで向かう道の途中、なんとなく……本当になんとなく、ただの勘に従って、華南は寄り道をすることにしたのである。

 その勘が正しいことを華南はすぐにさとった。自分の……正確にいうなら祖母が作って自分が維持している結界の中に、知らない相手がいる。とはいえ一応は店なのだから、知らない相手ならたくさん来る場所だ。

 しかし問題は、狭間が店にいないことだった。それどころかアオガネもいない。華南は自分の結界に近づけば中にだれがいるか、だいたいわかる。今、狭間の店にいるのは華南の知らないだれか、ひとりのみだった。


「おかしい」


 狭間の店は、狭間が外へ出ることでセキュリティレベルが自動的にあがるようになっている。そうなったら、祖母レベルの結界師が時間をかけないと解除不可能だ。結界を制御している華南ですら、数分はかかる。

 嫌な予感がして、華南は制服姿のまま狭間の店へ向かった。外から見ても、結界が壊された形跡はない。無理やり侵入されたようではなさそうだ。

 スマートフォンを取り出して狭間へ電話をかけてみるが、つながらない。店に知らないだれかがいる旨をメッセージで知らせたが、すぐに既読はつかなかった。


「……念のため中を確認します、っと……」


 追加で狭間にメッセージを送っておく。それから静かに丁寧に結界を一時的に解除していった。緊急用管理者コードを使い、一時的に華南だけ通行可能に設定すれば完了だ。

 がたがたん、と建てつけの悪い扉が音を立てた。その瞬間、華南の身体がすくんだ。そして次の瞬間には反射的に追加で結界を巡らせていた。

 感じたのは、上から押さえつけられるような圧迫感だ。身体はその場から動いていないのに、数歩ぶん押しもどされたような気がした。それもとっさに張った結界で少し緩和される。


「……だれだ、おまえは」


 もつれそうになる舌を必死に動かして、華南は店内を睨みつけた。いつもなら狭間が座っている席に、華南の知らない男が座っている。中央にあるテーブルの向こうから、射抜くような瞳で華南を見ていた。

 祖母の結界でも負けるかもしれない。華南がそう感じたのは、狭間以来のことだった。寒気がする。へたしたら自分はここで死ぬのではないか……そんな予感がした。

 それでも男を睨むのはやめない。ここは華南が管理する結界の中であり、不審者を見逃すわけにはいかないのだ。


 男は長い足を投げ出して浅く椅子へ腰掛けており、体勢としては脱力している。手元のスマートフォンを横持ちにしており、かすかに光がちかちかしていた。ゲームをしていただけなのだが、華南にわかるはずもない。

 少し堀りの深い精悍な顔立ちだ。整ってはいるが、目つきが悪くかなりキツい印象を受ける。武器などは持っているように見えない。しかし肉弾戦で華南はとうてい勝てないだろう。服の上からでも鍛えた筋肉が見て取れた。

 無意識のうちに、ごくりとつばを飲み込む。華南と男が睨みあっていたのは、ほんの数秒のことだった。


「てめーこそだれだ。……ん? 待てよ」


 不遜に言い放ったあと、男はなにかを思い出したように背もたれへ預けていた背を起こした。それだけなのに、華南は身構えてしまう。


「もしかして、てめーがチカばぁさんの孫か」

「……」


 華南は答えない。男に情報を与えていいかわからないからだ。チカばぁさんというのは、一華のことだろう。そう推測するものの、目の前の相手が敵なのか味方なのか、華南には不明だ。


「たしか名前は……カナちゃん、だっけか」

「……質問に答えろ。おまえはだれだ」

「はははっ、威勢がいいねぇ。こりゃ狭間が気に入るわけだぜ。オイラは潮崎、狭間に雇われてここにいる」

「狭間さんに?」

「しばらく店を開けるから、店番しろってさ。ま、こんな厳重に守られてるんだから、店番なんていらねーと思うけどな」


 潮崎はひょいと肩をすくめて店内を見渡した。いつの間にか、華南が感じていた威圧感は霧散している。潮崎が警戒を解いたためだ。


「にしても、こんなとこまでだれが来たのかと思ったら、まさかチカばぁさんの孫だったとはね。警戒して損したぜ」

「警戒しているような態度じゃなかったけど?」

「あー、わりーわりー、ちょうどバトルがいいとこでさぁ」


 潮崎が持ったままのスマートフォンをひらひらさせる。華南はよく知らないが、そこにはゲーム画面が映っていた。


「でもあせったぜ。オイラが出るのも一苦労な結界を、あっさり抜けてくるんだから」

「これでも管理者なので」


 華南は答えるが、潮崎の答えのほうが気になっていた。並大抵のものでは、どうやってもこの結界を抜けられない。しかし潮崎は苦労すれば抜けられる、といっているのだ。管理者である華南からみれば、とんでもないことだった。


「とにかく、オイラは仕事でここにいるんだ。気にしないでくれ。気になるなら狭間に聞けばわかる」

「もう聞いてる」

「あ、そ。まーそんじゃ、そーゆーことで」


 潮崎はそういうと、スマートフォンを両手で持ち、ゲームを再開した。放置するのは気になる。だが狭間から返事がなければ、追い出すこともできない。

 思わず、華南の口からちっと舌打ちがもれた。しかし潮崎は気にした様子もない。華南はまた建てつけの悪い扉をくぐって外へ出た。結界は元通り、きれいに直す。数分でその作業を終えると、納得いかないまま帰途へとついた。



★★★



 華南が出ていった店内では、潮崎がおもしろそうに口元をゆがめて扉を見つめていた。


「ひゅ〜、さっすがチカばぁさんの孫だぜ。鮮やかなもんだ」


 狭間の店ほど堅牢な結界はそうない。調整しようと思ったら一日がかりでもおかしくないはずだ。それをあっさり数分でやってのけるのだから、すごい。しかも、あの若さで。

 潮崎しおざき瑞樹みずきは華南に伝えたとおり、狭間に雇われている。こっちの世界で傭兵稼業をしている、根っからの戦闘職だ。狭間とは長いつき合いだが、雇われるのは久しぶりだった。

 潮崎は自分を過大評価も過小評価もしていない。そのうえで、自分が勝てない相手はそう多くないと知っていた。大半の相手は秒殺する自信がある。


 華南を相手しようとする場合、時間はかかるだろうが、おそらく勝てる。しかし潮崎にとって、時間がかかるということ自体が、そうないことだ。

 そんな相手が敵意剥き出しで向かってきた。戦いを好む潮崎が楽しくないわけがない。敵わない相手と知りながら、一歩も引く様子がなかった。華南が帰っていったのは、潮崎が狭間に雇われているからにすぎない。

 もし狭間が潮崎なんて知らないといったら、潮崎は即座に叩き出されていた。それだけの力量が華南にはある。


 隙間町の噂は、潮崎もよく聞くところだ。強固な結界に守られた穏健派の町。裏でも有名な者が何人も住んでおり、荒事は好まない者が多い。

 けれど有名人が集まった結果、ひんぱんに攻撃されている。嫌がらせのような小さなものは結界にはばまれ、結界内に入ったら容赦なく殺されるという話だ。穏健派とはいえ敵には無慈悲である。

 特に狭間はそうだ。だから潮崎は狭間に敵対しない。潮崎が勝てない数少ない相手だからである。勝てない試合はしない主義なのだ。


「おっと」


 そんな相手からの着信に、潮崎はスマートフォンを持ち直した。


「ほーい」

『そっちはどうだィ』

「わざわざ聞いてくるってことは、知ってんでしょ」

『ククッ……いいだろゥ、カナちゃん』

「ありゃ今のうちじゃなきゃ勝てねーな」


 華南の祖母である一華も、潮崎にとって勝てないひとりだった。守れば勝ちの結界師にとって、潮崎をたおすことは勝利条件ではない。対して潮崎の勝利条件は基本的に相手の殺害だ。

 自分がやられること……負けることもないが、どうやっても結界が壊せない。つまり勝つこともできない。だから潮崎は結界師が嫌いだ。

 今なら発展途上の華南は経験不足による隙が大きい。だから挑めばどうにか勝てるだろう。そのあとが怖いのでやらないが。


「守る体制が手厚すぎんじゃねーの、って思ってたんだけど。あの子を見てよくわかったぜ」

『そこにいる間になにかあったら、ミズキチに任せるヨ』

「そーはいってもオイラこっから出られねーんだけど?」

『必要ならカナちゃんが出してくれンだろゥ』

「そうかもしんねーけどさー。退屈で死にそうなんだって」

『そいじゃァ金庫を開けてみな』

「物理的に死ぬじゃねーか! そんな死にかたはゴメンだぜ」

『ククッ……そィじゃァ引き続き店番頼んだヨ』

「わーってるよ」


 返事が終わる前に電話は切れた。潮崎が悪さするつもりがないことを狭間はわかっているのだ。

 潮崎は適切な報酬さえ払われれば、どんな仕事もする。受ける前に仕事がバッティングした場合は、報酬のいいほうにつく。受けた後の場合は先に受けた仕事が優先だ。

 そういう潮崎にとって、狭間は金払いのいい客だった。報酬さえ潤沢に用意されれば潮崎は裏切らない。

 明らかに捨て駒にされる場合や、リスクが高すぎて報酬が見合わない場合、潮崎は仕事を受けないか放棄する。狭間の金庫は後者だ。リスクが大きすぎて手を出す気になれない。賭けごとなら超ハイリスク超ハイリターンといったところだ。



★★★



 華南は帰宅するとすぐ、喫茶店へ顔を出した。華恵がそこで店番をしているからだ。


「ただいま母さん」

「ん? ああ、おかえり。どうしたの」


 華恵は手元の作業をわずがに止めて華南を見た。華南が制服のまま店に顔を覗かせたので、なにかあると察したらしい。


「聞きたいことがあってさ。潮崎ってひと知ってる?」

「しおざき……見かけても関わるんじゃないわよ?」

「えっ? う、うん……」


 思いっきり関わってしまった後だった。


「まさか、もう関わったの?」

「うん、実は」

「戦闘のプロよ。狭間に勝てるかもしれない、数少ない救世主じゃないかしら。間違っても喧嘩しちゃダメ。利用しないと」

「そ、そっか……」


 思いっきり喧嘩腰で睨んでしまった。


「もしかして潮崎が来てるの?」

「えーと」

「どこで会ったのよ?」

「その……狭間さんの店」

「狭間の店? なんで」


 この「なんで」は潮崎がそこにいた理由ではなく、華南が店へ行った理由を聞いている。そう推測した華南は肩をすくめて言い訳を口にした。


「狭間さんは不在なのに、知らないやつが結界内にいるのが気になって」

「あー、なるほど? 襲撃を受けてるんじゃって思ったわけね?」

「うん」

「コラ!! そういうときは、ひとりで行かない! 危ないでしょ!」

「ごめん……」

「まずはあたしに連絡しなさい! あたしが無理なら佐藤でもいいわ」

「はい……」


 そこから説教タイムに入ってしまった。こうなると華恵は長い。親として心配してくれているのはわかっている。だから華南はあきらめて、華恵の隣に座った。

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