2章:ありふれた襲撃

第9話 アオガネ

 狭間町の脇道通りの裏から、1匹のネコが歩いてきた。灰色の毛並みをした、どこか薄らぼんやりした気配を持つネコだ。アオガネである。

 アオガネはするするりと、なめらかに移動して隣町までやってきた。さしかかった商店街はシャッターがおりているところが多い。そんなさみしい店並みの裏へ入ると「骨董」と書かれた店があった。

 日の当たらない小さなショーウィンドウには、アオガネの理解がおよばない古びた茶器が置かれている。丸いガラス窓のついたドアには「営業中」とあった。その横をすり抜けると、アオガネは店の裏に回り、店の郵便受けに飛び乗る。


 ことん、となかへ届けものを入れたら、アオガネの仕事は終わりだ。店を離れ、次の目的地へと向かう。

 住宅街の赤い屋根の郵便受けでひとつ、図書館の本返却ポストへひとつ、届けものをいれる。最後に向かったのは駅近くの惣菜屋だ。その裏には多数のネコが集まっていた。



★★★



 ネコの溜まり場は、にゃあにゃあと小さな鳴き声が重なって、少しうるさい。ネコたちの輪から少し外れるようにして、アオガネは香箱を組んだ。


「三丁目で探しものをしてるやつがいた」

「探しもの?」

「君がこないだ拾ったっていう、小さなボールじゃないかい?」

「ボールといえば、肉屋の角を曲がったところ、犬のいる家の庭に、よさそうなのが転がっている」

「取りにいけないじゃないか」

「それより、あのトラがまた子を産んだってさ」

「よくやるねぇ」

「きっとまた人間を使うんだよ」

「あいつは人間づかいがうまいからな」


 取り止めのない会話をにゃごにゃごとするネコたちを眺めてから、アオガネは目を閉じた。ネコたちは総じて人間をバカにしつつも、その一方で慈しんでもいる。もちろん個人差が大きいが。

 ここはネコたちの縄張り争いの外にある場所だ。ほかのネコと待ち合わせるなら、ここがいい。といってもネコの時間感覚は曖昧だ。明確に今日この時間に待ち合わせを指定することは難しい。

 ここで待っていれば、相手に会えるかもしれない……そのていどだ。


「久しいな」


 声をかけられ、アオガネは目を開けた。年老いたネコだ。クリーニング屋の隣に飼われており、アオガネは何度か話したことがあった。


「そうだったかもしれない」

「隣の若い女が、キンキン叫んでうるさくてかなわん。どうにかならんか」

「ならんな」


 以前アオガネは、老ネコが世話になっている家の娘を、狭間の店へ誘導したことがあった。老ネコが、娘がずっと泣いている、とこぼしたことがきっかけだ。それを覚えていたのだろう。


「ならんか」

「ならん」

「どうしてもか」

「そのうるさい女を、あの店まで連れて来られるか?」

「無理だ」

「だろう?」


 前のときは、アオガネが老ネコに店を教えた。そして老ネコが、どうにかこうにか娘を質屋まで引っ張ってきたのだ。長年飼われているネコだからこそ、誘導できた。隣の家のヒステリックな女を誘導するのは難しいだろう。

 それに記憶や感情を失ったところで、ヒステリーが治るかはわからない。そのひとの性質が原因の場合、どうにもならない可能性が高いだろう。

 ちなみにアオガネは狭間が行なっていることの本質を理解していない。人間と人間の記憶、記憶にまつわる感情を理解しきれていないからだ。


 そうか、と諦めたように言って老ネコはアオガネから一体ぶん離れたところへ腰をすえた。相変わらず場所はにゃごにゃごとうるさい。それを気にしているのかいないのか、おっくうそうに目を閉じる。

 それを横目で見てからアオガネもまぶたをおろす。待ちびとならぬ待ちネコが来るまで、時間の許す限りここへいるつもりだ。

 こうやって無為に時がすぎることをアオガネは苦痛にしない。暇という概念を理解していないというべきか、ただぼんやりし続けることが可能である。


 夕方になるころには、ネコたちの顔ぶれは半数以上が変わっていた。それを確認していたわけではないが、アオガネはすっと顔をあげる。そうするべき相手がきたからだ。

 屋根と塀をつたって惣菜屋の裏へあらわれたのは、貫禄のあるサビネコだった。身体が大きいだけでなく、しっかりと筋肉と脂肪がついている。地面へおりたときに、どすっと音がしたことから体重が推して知れた。

 その瞬間、うるさかったネコたちの声が止まる。それだけの注目を集めるネコだった。このあたりを縄張りとする、いわばボスネコだ。自然と緊張が高まる。


 アオガネはそんな緊張とは無縁だが、サビネコを視界におさめると、のっそりと起きあがった。ずっと香箱を組んでいたせいでこわばっま身体を伸びをしてほぐし、その場へ座り直すとサビネコが来るのを待つ。

 サビネコもまた、当然のようにアオガネの前で止まると座った。


「ここへアンタがくるなんて珍しいな。用事はなんだ」

「赤目の三毛ネコを見たら教えてくれ」

「……めんどうごとか」

「俺が持ち込んだわけじゃない。向こうからやってくる。伝えないほうがよかったか?」

「いや……感謝しておく。借りにするつもりはないがね」

「それでいい。貸しを作りたいわけじゃないからな。俺も領分以上を求めるつもりはない」


 ネコの瞳はいろいろだが、赤い目をしているものはアルビノだ。それ以外でも赤っぽい瞳ならいるだろうけれど、赤目というほどなのだから、わかりやすく赤いのだろう。

 身体の白いアルビノではなく、三毛ネコということは、なにか理由があるということだ。つまりめんどうごとがある。

 サビネコには難しい遺伝子学など、もちろんわからない。しかし長年の経験から赤目の三毛ネコがろくなものではないと知っている。だから嫌そうに顔をしかめた。


 サビネコは惣菜屋の裏をふくめ、質屋周辺まで、広い縄張りを持っている。そして守っていた。めんどうごとがあれば、町は荒れる。サビネコはそれを望まない。

 だから彼女は彼女で、自身の縄張りを守る。それだけだ。アオガネもそれ以上は求めない。そもそも、ただのネコに特別なことなどできないのだ。ネコのなかには、ひと知れずふしぎな力を持つものもいる。しかし、それをもってしても狭間に向かってくる厄介ごとの対処は難しい。

 それなのになぜアオガネはサビネコと接触したのか。もちろん狭間からの指図だ。というより、アオガネは狭間の言うことしか聞かない。たまに狭間の言うことも聞かないが。


 ともかく、これで要件は果たした。アオガネは立ち上がると、夕日によって濃くなった影へともぐっていく。

 サビネコはふん、と鼻を鳴らしてそれを見送ると、来たばかりの場所をのそりと去った。やるべきことをするために。

 サビネコが去ると、その場はまたにぎやかなネコたちの声に支配された。



★★★



 その日が完全に夜になるころ、アオガネは店へ戻った。質屋はその役割を果たすことなく閉まっており、しんと静かだ。これが日常であるので、アオガネは気にしない。

 するりと窓から入り込み、店内の気配をさぐる。そして狭間がいないことを確認すると、店の片隅にある衝立の向こうへと消えた。すぐに、ぬるりと薄暗い印象の男が衝立からあらわれる。

 ひとの姿になったアオガネは、店中央にあるテーブルに寄った。置かれたカップは乾ききっており、狭間が出かけてから時間がたっていることを知らせてくる。出かけるなど聞いていないアオガネは、店内をぐるりと見渡した。


 アオガネは狭間の指示で動く。それ以外の方法を知らない。だから狭間がいないと、どうすればいいのかわからない。アオガネは途方にくれた様子で立ち尽くした。

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