第10話 シュークリームと狭間
招かざる客は予想していたより早く来た。店の扉が、がたがたんと鳴る。すぐには開かない。だが、無理やり侵入されるのも時間の問題だろう。
だから狭間は扉が壊される前に立ち上がった。やれやれ、と首を振りながら。
「太福屋のまんじゅうが食いたかったンだが」
用事を言いつけたアオガネはまだ戻っていない。戻るとしても、太福屋が営業中に用事が終わらないかぎり、まんじゅうは買ってこないはずだ。古い和菓子屋は早くに閉まってしまうので、今日は難しそうだった。
がたがたん、また扉が鳴る。内側から建て付けの悪い扉を開けると、狭間はすぐに足を動かした。ふぎゃ、と足の下でネコがうめく。
動物を虐げることは本意でないが、かってに店へ入られても困る。狭間は外へ出てからしっかり扉を閉めてからネコを解放した。
がたがたん、と扉が閉まった瞬間、空気が緊張する。キィン、と張り詰めたなにかが鳴った。狭間が外へ出たことで、店に展開されている結界のセキュリティレベルがあがったのだ。
店を覆う網目が濃くなった。もっともここに、それが見える者は狭間以外にいない。その狭間もちらりと視線をやるだけで、しっかり確認することはなかった。
それより今は、足元にいるネコのほうが重要である。
赤い目が異様なほど輝く三毛ネコだ。狭間はアオガネに赤目の三毛ネコを探すよう言いつけたが、遅かったことをさとる。予想より動きの早い相手だ。
やれやれ、とまた首を振って狭間はネコを眺めた。距離を取って威嚇する様子は、いたってふつうのネコだ。ただ、その瞳だけがおそろしく光っている。
一歩近づくと飛び退き、また威嚇された。近づかないよう指示されているのか。それとも単に狭間を脅威と感じ威嚇しているのか。三毛ネコからはうかがい知れない。
「さァて、どうしたもんかねェ」
伸びっぱなしの髪をがしがしとかいて、狭間はため息をついた。ネコを放置すれば際限なく店へ入ろうとするだろう。このネコはそう指示され、操られている。
ネコの能力では店にほどこされた結界は破れない。しかしネコに他者を呼ばれた場合は別だ。馴染みの結界師に用意してもらった結界は頑丈ではある。しかしこの世に絶対というものは存在しないことを狭間は知っていた。
考え込んだ時間は、まばたきひとつていどのもので、狭間はすぐに動く。大きく踏み込んでネコを容赦なく蹴りあげると、その頭を右手でわし掴んだ。動物愛護団体から抗議がきそうな図である。
「のぞかせてもらうヨ」
小さくつぶやいて手に力を込める。そうしてネコの小さな脳から記憶を探った。
「あんたの名前はシュークリーム。主の名前は不明……若い女……どうやら、ほかにも仲間がいるようだねェ」
狭間のもう片手には、パチパチと小さな光をたてながら石ができていく。やがて必要な記憶をすべて引き出すと、ネコの目からは赤い光が失われていた。
本来の色なのだろう、緑の丸い目が狭間を見ている。踏みつけ蹴った痛みが残っているのか、苦しそうにうめくネコをおろしてやった。加減はしたつもりだし、すぐに死ぬことはないだろう。けれど長く生き残れるかどうかは、わからない。
だが狭間の知ったことではなかった。ただ敵対してきたものに対処しただけだ。少し申し訳なさそうな顔をするが、すぐに無表情に戻って歩き出す。
その足元に、にゃぁお、と三毛ネコがまとわりついた。また蹴りそうになって、あわてて足を止める。
もともと、ひとなつこいネコだったらしい。しなやかな身体をすりつけてくる。狭間はため息をつくと、ポケットからスマートフォンを取り出した。なにがしか操作をし、それからおもむろにネコを抱きあげる。
三毛ネコは抵抗もせずに狭間の腕へおさまると、そのまま連れ去られた。
もう少し待っていればアオガネが戻ってくるのだが、狭間は知るよしもない。質屋はいつも通り、ひっそりとそこにたたずんでいた。
★★★
三十代前半だろうか、くたびれた様子の男が狭間に向かい合っていた。相手の望む姿を写す狭間だが、本来の姿を知っている相手には、そのままの姿で見えることが多い。
男の目には黒い髪を伸ばしっぱなしにした、やたら明るいオレンジの目をした狭間が見えている。その腕の中にもうネコはいない。くたびれた男の腕へ移っていた。
それ以外にも、男の足元にはイヌが一匹、肩にはトリが一羽いる。ひと目のある往来なら視線を集める姿だ。だがここは幸い場所はほかにだれもいない、静かな住宅街の細い道だった。
「そうしたら、この子は預かるよ。こっちの好きにしていいんだろう?」
「あァ」
「まったく、飼えもしないのに拾うんじゃないよ」
「拾ったつもりはねェんだが」
ぼやく狭間のかわりに、シュークリームという名前だった三毛ネコが、にゃぁと鳴いた。ちらりとそれを見て狭間は踵を返す。長居は無用だ。
「もう帰るのか」
「……そいつの仲間が来るころあいだヨ」
「もう拾うんじゃないぞ」
「そンなら、殺しちまえばよかったのかィ?」
「そうは言ってないだろう」
「気になるなら来な」
「俺を利用するつもりだな?」
「さァてねェ」
狭間を睨む男の苛立ちを無視するように、いささか重たい動物の足音が近づいてくる。体格のいいサビネコだ。ネコはのそのそと歩き男の足元で止まった。
そして意味ありげに男を見あげ、首をかしげる。
「にぁ」
小さく鳴くサビネコに、男は顔をしかめた。短い間に男とネコで意思の疎通があり、男はネコから伝言を受け取っている。それはアオガネがサビネコに伝えた言葉だった。
「くそ、どっちにしろ利用するつもりだったのかよ」
「ひと聞きが悪いねェ、善意で知らせてやったんだろゥ」
利用されているだけの動物が向かってきたとき、殺してしまってもかまわないと狭間は考えている。なるべく傷つけないように気をつけるのは、ひとえに目の前の男がいるからだ。
友人とは言い難いが、知人というには少し親密すぎる。ふたりはそんな関係だった。ビジネスライクな協力関係とでもいうべきだろうか。
こびるつもりはないが、わざわざ心象を悪くする必要もない。だからできる範囲で融通する。それだけだ。
動物と友好関係を築き、その協力を得ている男は、罪のない動物を傷つけることを嫌がる。しかし狭間は本来が戦闘に向いていない。動物たちが襲いかかってきたとき、傷つけないように加減することは難しいのだ。
それなら、男が加減して捕まえればいいのである。そうすれば狭間が無力化できるのだから。……というのが狭間の理屈だった。それを男に言わせると「自分を利用している」ことになるのだが。
「来るンなら早くしな」
「くそっ……仕方ない。この子のことを頼む」
抱いていた三毛ネコをサビネコへ預けると、男はあわてて狭間を追いかけた。
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