3章:つかの間の日常
第18話 小村 明彦
隙間町の脇道通りの裏をひとりの男が歩いている。男……小村明彦は大きな荷物を背負っていた。服装もラフなもので、一見するとバックパッカーに見えなくもない。
歩きながら、小村はスマートフォンを操作していた。その操作が終わる前に、一軒の古びた質屋にたどり着く。昔からそこにあります、といったたたずまいで、木の板に「質」とだけ書かれた看板が出ている。それ以外にはなにも店とわかるものはない。
しかし小村はためらうことなく扉を開けた。小村の目的地は、このあやしげな質屋だ。入って後ろ手に閉めようとするが、うまくいかない。仕方ないのでスマートフォンの操作を止めると、振り返って両手でしっかり閉めた。
がたがたん。建てつけの悪い扉がはまったところで、奥から男がのんびりとあらわれる。はかったかのようなタイミングだ。
「悪いねェ、立て付けがよくないンだ」
「だったら直せ」
店内の中央にあるテーブルへ歩み寄りながら小村は文句を言うが、男……狭間は肩をすくめるだけで答えない。ただテーブルの奥側にある椅子に座ると、くたびれた様子で頬杖をついた。
狭間はまだ学生のような若さにも見えるが、三十を超えた年齢にも見える、ふしぎな男だ。ひょうひょうとした空気をまとっており、つき合いがそこそこ長い小村も、よくわからないことが多い。
小村が知っているのは、ひょろ長い身体の運動能力があまり高くないということくらいだ。有名で恐ろしいその能力は、よく知られた部分以外を知らない。それでも小村は気にしなかった。敵ではないことがわかっていれば、それで充分である。
小村はそういう割り切りのいい男だった。狭間より大きな上背に、分厚い身体、鍛えられた筋肉。いかにも体育会系、といった見た目を小村はしている。背負っていた重たそうな荷物も、軽々とおろす。そんな小村が椅子に座ると、ぎしりと苦しそうな音がした。
狭間は真っ黒な髪をがしがしとかくと、眠そうな目を小村へ向ける。その瞳はハッとするほど明るいオレンジだ。その顔へ小村は紙をつきつける。
「今回のリストだ」
「あァ」
「なんだ、疲れてるのか。やる気を出せ、商売だろ」
「やる気は売り切れだ」
「俺が売ってやる」
「いらねェ」
そうは言いつつも、狭間は目の前の紙をやっと受け取った。ざっと目を通すと、嫌そうに顔をしかめる。そして興味なさそうに卓上へ置いた。
「アオガネ、いつもの結界石を持ってきな」
「わかっている」
狭間がいうと、店内の片隅にある衝立の向こうから、ぬるりと男があらわれる。薄ぼんやりとした男だ。この店へ買いつけに来るたびに見る光景なので、小村は見慣れていた。
アオガネは手に黄色く濁った、小さな石を持っていた。それを狭間は受け取ると、机の上へ雑に置く。石の価値を知っている小村は、あからさまに顔をしかめた。
「もっとていねいにしろ。せめて手袋をしてトレーを使え」
「こっちの結界はこれで問題ねェ」
「話を聞け、ったく」
小村は荷物から大きくて薄い箱を引っ張り出すと、中から紙を一枚取る。紙には複雑な文様がびっしりと書き込まれていた。使うと結界を張ることができる。狭間の使った結界石と違い、一度使ったら終わりだが。
そもそも狭間の結界石は特別だ。色はイマイチどころか明確に悪いし、インクルージョンは多いが、一応ダイヤモンドである。いくら質は悪くとも、小石ほどの大きさもあるダイヤモンドだ。とんでもない価値がある。それを知っているから小村は狭間の雑なあつかいが許せない。
そんなダイヤモンドに、今は亡き超一級の結界師である中村一華が結界を封じている。この世にふたつとない宝といってもよかった。小村は素材や材料が専門だが、そういった道具にもあるていどは造詣がある。何億、何十億で取引されるような品だ。
紙に小村が力を流す。すると紙は燃えあがって消えた。小村にはよくわからないが、これで結界がはれたはずである。残念ながら小村は結界を感知することが苦手だ。
大きな商売のとき、万が一のために売手と買手の双方で結界を張ることは常識である。それはわかっているし、これまでの経験上必要だ。しかしめんどうでもあった。
狭間とは何度も取引しており、信頼関係もある。それに中村一華の結界があるのだから、自分の結界が必要になることなど、そうないはずだ。小村は心の中で文句を言いつつも、机の上へ置かれた紙をつついだ。
「これでいい、出せるものから出してくれ」
「アオガネ、ケースを順番に頼む」
「わかった」
アオガネが店の奥にある、大きくて頑丈な金庫を開ける。金庫そのものは、古いが業務用の市販品だ。中には大量の箱が納められている。書類を整理するためのケースにも見えるそれには、それぞれラベルが貼られていた。
アオガネがまずもってきたのものは『三か月以内』『半年以内』というラベルのものだ。最近仕入れた石が入った箱である。それがテーブルへ積まれていく。
「見てくれ」
「さーて、今回はどんなもんかね」
小村が開けた箱の中には、大量のルースケースが並んでいる。ルースというのは、アクセサリー等になっていない宝石のことだ。裸石ともいう。そしてルースケースというのは、そんな宝石を傷つかないよう、かつ見やすく保存できるケースのことである。
ルースケースにもいろいろあるが、箱にあるのは一箱に一粒から数粒ずつおさめるための、小さなものだ。それぞれ手書きのメモ紙も添えられている。書かれているのは、石の名前と重さ、重要な補足情報だ。
「この量だと……ひとりぶん、ってとこか」
「あァ」
人間ひとりから取れる宝石というのは、だいたい同じだ。年齢や経験、性格によって差は出るが、基本的に大きく変わらない。
「ペリドット、アメシスト、ピンクサファイア、ブルートパーズ……へえ、アンモライト? 珍しいな」
ひとつずつ手にとって確認していく途中で小村は手を止めた。アンモライトというのは、雑にいうと美しいアンモナイトの化石のことだ。遊色効果という虹のようなふしぎな色彩が美しい宝石である。狭間の店ではあまり見かけない石だ。
「ローズクォーツ、スモーキークォーツ、なんだこのへん水晶ばっかりだな。……おっ、ラピスラズリだ。アウイナイトはないのか? ラピスがあるなら期待できるだろ」
「かってに探しな」
「おい、俺は客だぞ」
アウイナイトは鮮やかな青い宝石だ。柔らかくて割れやすいため加工が難しく、アクセサリーにするのも注意が必要である。
ラピスラズリはダイヤモンドのように、単一の鉱石からできたものではない。複数の鉱石が含まれており、ラズライトやソーダライト、アウイナイトやノーゼライト等がまざったものをラピスラズリと呼ぶ。
出回っているアウイナイトは小さなものばかりだが、狭間の店なら別だ。本来はドイツでしか産出されない希少石であろうと、あり得ない大きさの石が出てくる可能性もある。もしあれば、とんでもない値段をふっかけられることになりそうだが。
小村は独り言をつぶやいたり、狭間に文句を言ったりしつつも、手にしたルースをふたつにわけていく。片方は箱へ戻し、もう片方はテーブルへ積まれる。そうやってアオガネが持ってきた箱をすべてチェックし終えた。
次はテーブルへ積まれたほうをじっくりと見直し、買うものと買わないものにわける。アウイナイトがないことは確認済みだ。そのかわり、バイカラーのタンザナイトを見つけた。
バイカラーの宝石というのは、言葉のまま、ひとつの宝石にふたつの色があるものをいう。タンザナイトはゾイサイトの一種で、青っぽいゾイサイトはタンザナイトと呼ぶ。ゾイサイトは多色性のある石のため、比較的バイカラーが出やすい。
小村が目をつけたものは、青紫のタンザナイトの端が淡いピンクへ変わっているものだ。かわいらしいハートシェイプカットなのもいい。
小村の経験上、こういった宝石はいい記憶が封じられていることが多かった。狭間に始末された者がどんな相手か、小村は興味がない。しかしどんな相手であっても、ひとつかふたつは、こうした特別な石が混ざっている。
「……そいつは高いヨ」
「だろうな、いくらだ?」
「三百万」
「なっ、いくら形や色がいいからって、そいつは高すぎる! 桁がひとつおかしいぞ!」
「中が特別なのサ。なにしろ初恋の記憶は、なかなか出ねェ」
「ぐっ、それは確かに……」
狭間の宝石には二種類の価値がある。ひとつが、いわゆる一般的な世間で通用する宝石としての価値。そしてもうひとつが、その中に封じられている……または込められている記憶や感情の価値だ。
前者はわかりやすい。小村が手にしているタンザナイトであれば、末端価格で三十万がいいところだ。良質だが大きさはふつう、小村の買取価格ならばせいぜい十万から十五万である。
小村は宝石から記憶や感情の力を引き出すことはできない。完全な状態でそれらを操れるのは、狭間のような者だけだ。
だが小村の客たちは違う。宝石内の見えない価値……インビジブル・インクルージョンと呼ばれる力をも引き出す。小村の最上客である華恵もそうだ。安物のクズ石から、とんでもない道具を作ったりする。
おそらく三百万というのも、宝石としての価値にプラスして、レアな記憶としての価値が上乗せされているのだろう。初恋の記憶というものが、どれほどのものなのか小村にはピンとこないが。
「三百、三百か……」
買えない額ではない。小村があつかう商品の中では高額なほうだが、もっと高価なものだって存在する。
そうではなく単純に、仕入れたところで売れる可能性があるのか。それを小村は考えていた。珍品のなかには、長時間在庫として眠り続けているものもある。経営上は不良在庫といっていいものだ。
とはいえ小村のような商売をする者にとっては、一概に不良在庫とはいえない。いつその珍品をほしがる客があらわれるとも限らないし、そういった相手に品をさっと用意してみせることこそ、小村の腕の見せどころだ。かといって現金三百万円を失って、小さな石ころをしまいこむことは、その後の仕入れに多少なりとも影響する。難しい問題だった。
「……にしても、初恋が三百万か。高いんだか、安いんだか、複雑だな」
自分の初恋にそれほどの価値があるのだろうか。小村は疑問だ。かといって三百万円で売れといわれたら、そんな金で自分の記憶を売り買いしたいとは思えない。
狭間の力は特殊だ。忘れるのではなく、本当に一切合切がなかったことになってしまう。かつて感じたときめきも、甘酸っぱい気持ちも。好きだった相手の顔も、相手とすごした時間も。なにもかも小村にとっては、なくなってしまう。
それがおそろしいことだ、という感覚が小村にはあった。その感覚が麻痺してしまったら、死期が早まるというのが小村の持論だ。
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