第19話 小村 明彦
「ほかに特別なものはあるのか?」
「……あんたが選んだなかにはねェな」
「こっちには特別なものがあるってことか」
こっち、と小村が示したのは買わないものとして箱へ戻したルースだ。狭間はじっとその箱を見つめてから、わずかにうなずいた。
返事をするのもめんどうらしい。いつもより疲れて口数が減っている。それを察したが小村は気にしなかった。ここは商談の場だ。そこにいる限り、狭間は商売の話をする義務がある。小村はそう考えている。
「で? どんなものだ」
「アレキがあったろゥ、そいつは中身が複雑すぎる」
「それは知ってる」
変色性……色の見えかたが変わる性質を持つ宝石は、総じてその傾向があった。カラーチェンジとも呼ばれるが、アレキサンドライトはその変色性を持つ宝石の中でも有名だ。
ひとつの宝石なのに、相反する大きな感情が入っている場合、変色性をもつことが多い。世に出回っている宝石の中では珍しい部類だけれど、狭間のあつかう宝石では珍しいものではなかった。ひとの感情とは本来複雑なものだ。
しかし材料や素材として見たとき、複雑すぎるものはあつかいが難しい。つまり売れづらいのだ。だから客から仕入れの要望もないのに買う理由がなかった。それで小村は買わないつもりだったのである。
「あとはフローライト」
「そいつもカラーチェンジって書いてあったな、同じだろ」
「中身もちィとやっかいだ。動物を殺しても足りねェほど憎む感情と、支配することによる喜び。動物が思う通りにならない苛立ち、どうせ無理なのだという諦め……あまりにも絡まりすぎて、どうにもならねェ」
フローライトはアレキサンドライトに比べれば、比較的安価な宝石だ。カラーチェンジするものもメジャーとはいえないが、レアかといわれれば悩む。レア度でいけば、アウイナイトのほうが珍しいといえる。
それもあって小村はフローライトを買うつもりがなかった。狭間の店には珍しい宝石を仕入れに来ているのだ。ほかで買えるものを手に入れるためではない。なによりカラーチェンジする宝石は売れづらいのだ。
「もっと需要が多いもんを教えてくれ」
「需要なんざ知らねェ。そいつを判断するのがショウさんの仕事だろゥ」
小村をショウと呼ぶものは多い。中村と大村という仕事仲間がいるせいだ。小村がショウ、中村がチュウ、大村がダイと呼ばれているのである。三人まとめてムラトリオだ。
長いつき合いの仲間なので、今さらどうにもできない。中村華恵はチュウさんと呼ばれるのを嫌がるが、小村は呼びかたにこだわりはなかった。中村と大村が、小村にとって相性のいい仲間であることも事実だ。
それはともかく、カラーチェンジフローライトは小村にとって、需要は少なく供給は多い宝石である。狭間は何度説明しても小村の希望を覚える気がないようで、小村はむすりと口を曲げた。
需要を判断するのが小村の仕事なのも本当なので、反論ができなかったのだ。だから、今回はカラーチェンジはいらないとだけ告げるにとどめた。
「で、ほかに特別なもんは?」
「大きなオブシディアンがあったろゥ」
「あ、それはいい。買わん」
「……」
「ほかは」
「ブラックオニキス」
「それもいらない」
「……」
オブシディアンもブラックオニキスも黒い石だ。過去の経験から、黒い宝石にはろくなものがないと小村は知っていた。純粋な負の感情を煮詰めると、そういった宝石になると狭間はいう。
マイナス感情は世の中にあふれている。また買い取ってほしいと思う人間も多い。だから狭間の店にはそんな石がごろごろしているのである。ほしいときに買いに来ればすむ。急いで買いつけるようなものではない。
「オニキスならサードニクスがあっただろ、それはどうなんだ」
サードニクスはオニキスの一種だ。日本では瑪瑙と紅縞瑪瑙といったほうがわかりやすいかもしれない。
「それはたいしたもんじゃねェ、食ったもんの記憶だ」
「ならナシだな……ほかは?」
「小さなシトリンはセックスの記憶だ」
「へえ、それは使いどころがいろいろありそうだ。どれ……これか。いくらだ?」
「ひとつ千円、まとめて三千でいいヨ」
「買う」
箱から出したルースケースには、小さなシトリンが四つ並んでいる。言いかたは悪いが、宝石としての価値はたいしたものではない。末端価格で千円はちょっと高いと感じるくらいだ。
しかし性に関する記憶は使いどころが多い。胸糞悪い道具に使われることも多いので、小村としては複雑だが。そんな胸糞悪い道具の需要が多いのだから、仕方ない。
それにしても初恋の記憶に比べ、セックスの記憶のなんと安いことか。考えると虚しくなりそうなので、小村は頭を振って眼の前のことに集中しようとする。
「……あァ、そういえばそこには入れてねェが、でかいカルサイトがあった。見てェなら出すが」
「でかいってことは、宝石じゃなさそうだな」
「カルサイトってェより大理石だ。だが悪かねェ」
「そいつはどんな記憶が?」
「肉体の動いた記憶をてきとうにまとめたのサ」
「ふーん、覚えておく。が、今回はナシだ」
「おもしろいとこだと、グレーのムーンストーンはオバケがこえェって感情だ」
「なんだそりゃ、こっち側でオバケなんぞ怖がるやつがいるのか」
「そうらしいな」
「ムーンストーン……こいつか。小さいな、ナシだ。ほかは?」
「……はァ」
「おい、めんどくさいって顔をするな。商売だろ」
「うるさいねェ……」
ぼやきつつも、狭間はいくつかの宝石をあげていった。そのなかから小村はヘリオライトを買うほうへ移す。ヘリオライトはサンストーンとも呼ばれる宝石だ。話題になったムーンストーンと対にされがちな石である。
そして外へ出していたルースケースもひとつひとつ確かめ、改めて買う買わないを決めていく。十以上のルースを入荷できそうだ。これだけでも来たかいがあったと小村はうなずく。
ちなみに一般的にオバケと呼ばれるものは、こちら側……小村や狭間のいる側では、珍しいものでもない。小村は実際にオバケや霊をあつかう者を何人も知っている。そういったモノが存在することもわかっていた。もっとも小村にはオバケとやらが見えないが。
とにかく怖がるものではない。それが小村の認識だ。だがたしかに狭間の店では珍しいといえる。
「で、あとはこのリストだ」
「あァ。アオガネ、とりあえず片づけてくんな」
「わかった」
店内の隅にひっそりと……小村から見ればぼんやりと立っていたアオガネが、広げられていた箱をまとめて金庫へしまいに行く。それを見送って小村は前のめりになっていた体勢を正した。
どうしても小さな物をよく見ようとすると、背中がまるまって乗り出してしまう。こった首を回しつつ、次が来るのを待つ。最初に狭間はアオガネへリストを渡していたから、すでに用意されているはずだ。
予想通り、そう時間をかけずにアオガネは戻ってきた。先ほどより多い箱を抱えている。テーブルに置かれたそれを、狭間はなにも言わずに手で示した。かってに見ろというのだろう。
「まずはジルコンか。どれ……青いもんは……」
青いジルコン、ブルージルコンと呼ばれる宝石を探しながら、小村は次々と箱を確認していく。箱につけられたラベルには、ジルコン1、ジルコン2、ジルコン3……と書かれているが、残念ながら色ごとにわけられているわけではなさそうだ。
ジルコンはさまざまな色があるので、色ごとにわけたほうが効率がよさそうなものである。しかし狭間に整理する気はなさそうだ。疲れた顔で頬杖をついている。見るからにやる気がない。
だが質問すれば狭間は答える。いくつか気になったブルージルコンを見せ、中身と値段を確認していく。そうして小村は目的のものを選んだ。
「うーん、やっぱりこいつだな」
「質は落ちるがいいのかィ」
「こっちには客の予算って都合があんだよ」
最後まで悩んでいたふたつのうち、小村は安いほうを選んだ。狭間のいうとおり、みょうなファンシーカットがほどこされており、一級品とはいいがたい。高いほうは文句のつけようがないラウンドカットだ。カラット数も少し大きい。
狭間は予算の話を聞いて、納得したようにうなずいた。金に困ってない狭間はあまり頓着しないが、小村の客には金にうるさいものが多い。とはいえ狭間も「適正な価格であるかどうか」についてはうるさいので、小村は狭間の値づけに文句はなかった。
「次はアクアマリンがいい」
「あァ。アオガネ、こいつの言うように持ってきてくれ」
「わかった」
アオガネはちらりと小村を見てから、わずかに顔をしかめた。狭間の命令しか聞かない男なので、狭間以外に従うのが嫌なのだろう。小村はそれに気づいていたが無視した。言ってもどうにもならないことを指摘するのは、疲れるだけだ。
「アクアマリンといやァ、こないだ手に入れそこねたもんは上物だったヨ」
「へぇ、どんなやつだ」
「25カラット以上あってカットも逸品、しかも初恋の記憶ときた完璧なアクアマリンだったんだがねェ」
「売ってもらえなかったのか」
「あァ」
「そうだろうな、ふつうそんな記憶は手放したがらないもんだ」
アオガネがジルコンの箱を片づけ、アクアマリンの箱を持ってくるまで、そんな雑談をする。
「なるべく攻撃的な記憶がいいんだが、あるか?」
「難しいことを言うねェ」
アクアマリンはベリルの一種だ。というより青色のベリルをアクアマリンと呼ぶ。一番上にあった箱をざっと見ながらたずねると、狭間は渋い顔をした。
これまでの経験でも、質のいいアクアマリンは純粋で切ない記憶が多い。たとえばさっき狭間のいった初恋のような。
「これとかどうだ」
「ショウさん、さすが目のつけどころがいィ。そいつはヒステリー女の記憶だ」
「ヒステリー女?」
「飼いネコが少しでもトイレ砂を外へこぼすことが、どうしても我慢ならねェって記憶だな」
「なんだそりゃ」
小村が手にとったのは、そう大きくない濁った色のアクアマリンだ。水に入れたらわからなくなってしまう、とまで言われているアクアマリンだが、これだけ濁っていたらすぐわかる。市場価値としても低い。
「そいつを取り出すのは、ちィとばかし骨が折れたヨ」
「おまえがそんなことをいうなんて、相当だな」
「石としての価値は低いが、アクアマリンのなかじゃ攻撃的なほうだろゥ」
「微妙な攻撃性だな。できれば透明度(クラリティ)が高いのがいい」
「注文が多いねェ」
狭間は小村が渡した紙を見て、まだまだ残りが多いリストを再確認すると、嫌そうに首を振った。
「商売なんだ、文句を言うな」
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