第5話 大倉 灯里

 小鳥の姿で外へ出たアオガネはというと、はばたいてかなり高いところへと来ていた。小鳥が飛べる高さではない。けれどそれを見とがめるものもいなかった。

 隙間町はそう大きな町ではない。背の高いビルも少なく、アオガネがツバメより高く飛んだところで、ふしぎに思うような人間は皆無だった。

 アオガネは充分な高さまであがると、ある方向へと速度をあげていく。鳥ではありえない……もっと言えば現代の文明でもありえない速度まで達し、突き進んだ。


 やがて速度を落とし、高度も落として、ふわりとひとりの女の肩へと舞いおりた。長い髪を背中へ流した、かなりの美人だ。似合わない細いメタルフレームのメガネをかけているのが難点である。

 女は疲れた顔をして広い公園のベンチに座っていた。うなだれて足元を見つめていたものの、すぐ小鳥に気がついて顔をあげる。


「……アオガネ!」


 そして大きな声をあげた。平日の昼間とあって、広い公園にはさほどひとが多くない。けれど、少し遠くにいたひとにも聞こえたのか、何人かが女を見た。

 女はあわててベンチから立ち上がると、いそいそとひとのいないほうへと移動する。歩く間もちらちらとアオガネを確認していた。


「用件があってきたから、逃げたりしない」

「……海里のことね?」

「そうだ。灯里へ連絡するためにきた。海里の情報がある」

「ありがとう。ぜんぜん見つからなくて困ってたの」


 女……灯里はそう言うと、安心したように肩から力を抜いた。それからスマートフォンをポシェットから取り出す。すぐになにやら操作して、耳へあてた。電話をかけるようだ。


「師匠、ありがとうございます」

『礼を言うのは早いンじゃァないかィ』


 電話先は狭間だった。


『アオガネ、いつものとこにある』

「わかった」


 スマートフォンの近く……肩にとまっていたアオガネは狭間の声を聞き取り、足元のあたりをくちばしで突いた。そこには、たしかになにもなかったはずだ。なのに、アオガネが顔をあげたときにはくちばしに小さくて赤い石があった。

 灯里はポシェットから布手袋を取り出すと、片手にはめて小鳥の前へ差し出す。アオガネはそこへ石を落とした。


「……相変わらずスピネルなのね」

『十万だヨ』

「弟子からお金を取るんですか?」

『マージンも乗せてほしいかィ』

「えっ遠慮します!!」

『管理不行き届きの罰も乗せようかねェ』

「やめてくださいお願いします十万払いますっ!」

『そうかィ』


 くくくっと喉の奥で笑うような音を立てて電話は切れた。灯里が、がくりと頭と肩をたらす。さらにそのまま大きなため息をついた。

 そんな灯里の髪をアオガネが軽く引っ張る。支払いの催促だ。


「そんな大金、現金で持ち歩いてないわ。ちょっと待って」

「早くしろ。さっさと戻りたい」

「もう、弟弟子のくせに生意気よ」

「俺は狭間の弟子じゃない」

「じゃあ、ただの居候ね。ずるいわ、師匠のそばにいられるなんて」

「いそうろう……」

「他人の家で世話になってるひとのこと」

「……俺は居候じゃない。狭間は他人と違うし、俺はひとと言えない」

「あーもう、屁理屈こねない!……あなたと話すと疲れるわ」


 灯里はまたため息をつくと、首を振って話を打ち切った。それによってズレかけたメガネを直すと、おもむろに歩き始める。公園を出ると向かった先は銀行だ。

 アオガネは灯里の肩から飛び立ち、近くの電線にとまって待った。そう待たずに灯里が出てくると、また肩へおり立つ。灯里はちらりとアオガネを見たが、また歩き出す。

 向かった先は駅だ。隙間町駅のような、小さなものではない。大きなターミナル駅である。こそこそと小さな声で灯里が話す。


「外で渡すと目立つから、家に帰ってから渡すわ」

「……」


 アオガネは嫌そうに灯里の肩を突くが、灯里は気にしなかった。


「そのままじゃ電車に乗れないわ。ここ入って」


 示されたのはポシェットの中だ。アオガネはまた灯里の肩を突いたが、やはり灯里は気にしなかった。それどころか、わしっと小鳥をつかむと、むんずとポシェットへ押し込む。


「?!」


 アオガネが暴れようとするが、その前にポシェットのふたがしめられた。



★★★



 大倉、という表札がかかった一軒家が灯里の家だ。都心から少し離れたベッドタウンの一角にその家はあった。五〜六人は暮らせそうな大きさである。

 灯里は鍵を開けて中へはいると、ただいまも言わずに奥へ向かった。ただいまを言う相手である家族は不在だ。中へ入ったとたん、ポシェットがもぞもぞと動く。


「早く出せ。さもないとカバンを壊して出るぞ」

「もう、せっかちなんだから」


 灯里がポシェットを開けると同時に鳥の姿のアオガネが飛び出して、灯里の肩を容赦なくつついた。いたい痛いと逃げる灯里を何回も突いたところで満足したのか、床の上におり立つ。


「早くしろ」

「もう、そればっかりなんだから……」

「一分ごとに利子を取ろうか」

「払う! 払うから!」


 灯里はあわててポシェットから銀行の紙袋を出すと、中から一万円札を取り出して数える。それをアオガネも見守った。

 お互い確認したそれを灯里はアオガネのた足元に置く。ちょうど蛍光灯の位置の都合で、アオガネの影になっているところだ。すると十枚の札がすっと消える。それを見届けてから、灯里は電話をかけた。


「師匠、送りました」

『……どれ……たしかに。かわいい弟子だからね、利子は取らずにおいてやろゥ』

「師匠までそんなこと言うんですか?!」

『いィや。だがアオガネは言ったんじゃァないかィ』

「……」


 その通りだったので、灯里は黙る。そして諦めたように首を振って息をつくと、電話を切った。

 灯里は白い布手袋をした手にスピネル……アオガネから受け取った赤い石を取る。じっと見つめ……また息をついた。


 記憶を封じられた宝石だ。灯里たちは狭間からその技術を継承している。だから灯里は狭間を師匠と呼ぶ。

 狭間には、もう教えることはないと言われている。けれど灯里は何年経っても狭間に敵う気がしない。たとえばこのスピネル。ごく小粒だが、内包物もなく形が整えられていた。灯里にはまだ、ここまで宝石をきれいに精錬することができない。

 もうひとりの弟子、そして灯里の兄である海里も、ここまで精錬することはできないだろう。もっとも海里はふだん、記憶と感情にまつわる技術を封じられている。それを監督することが灯里の仕事だ。


 その海里が逃げ出したのは一週間ほど前のこと。気づいてすぐに探し始めたが、なかなか見つからなかった。そこへ来たのがアオガネだ。

 灯里は宝飾品を観察するための小さなルーペを取り出すと、じっと受け取ったスピネルを見た。まるで、その中になにか見えるかのように。



★★★



 地方都市の駅ビルを歩く男は、ひどく整った顔立ちに、うっすら笑みを浮かべていた。通りすがりの女が思わず目で追っている。それに気づかぬふりで、男はさびれた古い喫茶店に足を向けた。

 カランコロンと鳴るベルに、らっしゃい、と気の抜けた声があがる。商売する気があるのかないのか。よくわからない。

 くたびれた様子の老人だ。口には火のついていないタバコわくわえている。エプロンをしてカウンターのなかにいなければ、店員に見えなかっただろう。


「あんた、また来たのか」

「やだなぁ、そんな嫌そうな顔しないでよ。僕は客だよ?」

「押し売りしてくる客なんて、客じゃないぞ」

「まぁまぁ、そう言わずにさ。コーヒーひとつ」

「ちっ……」


 嫌がる店員を無視して男はカウンター席に座った。帰るつもりはないらしい。

 諦めたようにため息をついた店員が、ガチャガチャと乱暴な動作でコーヒーを用意する。そして、ガチャンと雑に男の前へ置いた。コーヒーがソーサーにこぼれるが、おかまいなしだ。


「まだ、その気にならない? 大事なんじゃないの?」


 男が意味ありげに笑う。店員の顔が、まるで苦虫を噛んだかのようにゆがむ。逆に男はにっこりと嬉しそうだ。コーヒーがこぼれても気にしないらしい。

 コーヒーをひと口飲んでから、男の表情が少し崩れた。


「……おいしくない……」

「文句があるなら帰りな」

「まずいわけじゃないんだよね。でも、なんていうか……おいしくないんだ」

「それなら、もう来るな」

「ケーキもほしいんだけどなぁ」

「出口はあっちだ」


 噛み合わない会話をしながら、男はそれでもコーヒーを飲む。


「いいお店だったのにね。残念だよ」

「……っ」


 店員が、なにかを耐えるように拳を握った。ぎゅっと力が込められ、強くにぎりすぎているのか、ぷるぷると震える。

 男はそれを楽しそうに観察していた。顔は笑っているのに、どこか得体が知れず、おそろしい表情だ。ゆっくり男の口が笑みの形のまま開く……。





「……見つけた」


 スピネルを通してその光景を見ていた灯里が、小さくつぶやいた。

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