1章:よくある脱走劇
第4話 坂本 雄二
隙間町の脇道通り裏にある質屋を訪れるものは、最初は不安げな顔をしていることが多い。記憶を売れることも、記憶を失えることも、信じがたいからだろう。
たいていのものは二回以上来ることは少ない。しかし二回扉をくぐったものは、三回四回と回数を重ねる傾向にあった。そんな客のひとりが、坂本と名乗る男だ。
「よぉ~っす、記憶屋」
「……」
質屋のなかにいるのは古希は過ぎているであろう、年老いた男だった。老人は記憶屋と呼ばれちらりと視線をあげたが、すぐにまた読んでいる本へ視線を戻す。
「相変わらず不機嫌そうな顔をしてんねぇ」
「……客じゃァないなら出ていきな。読書の邪魔だ」
「はっはっは! さすがの俺でもここが客以外に開かれない店だってことくらいわかってるぜ。俺は入れた。つまり客ってことだな!」
にぎやかな男だ。色が抜けてばさばさな髪に飛び抜けて明るい青のキャップをかぶっている。耳には大きなものから小さなものまで、派手なピアスがたくさんくっついていた。服装もごちゃごちゃとした柄のシャツで、出で立ちからしてにぎやかである。
口を開けばもっとにぎやかで、老人の倍以上は話す。老人はわずらわしそうにしながらも首を振った。言われたことが正しいからだろう。
この質屋は特殊で、客でないものは入れないようになっている。もっとも客でなくとも侵入してくる無粋な相手というのも存在するのだが。
「はァ……それで? なんの用だィ」
老人は諦めたのかやっと姿勢を正して坂本を見た。しかし本は机の上に広げたままだ。坂本は気にせず記憶屋の前に座る。といってもこの部屋に椅子はふたつしかない。丸テーブルを挟んで向かい合うと、坂本は行儀悪く頬杖をついた。
「とっておきの情報だ」
「そうかィ、それじゃァ見せてもらおうか」
老人が丸テーブル上に乗ったふしぎな道具にガラス玉を置く。坂本は慣れた様子で手前の取手を握った。近くに転がっていたゴムバンドで自らその手を固定する。
老人は始めるヨ、と言ってから取手を握った。ふわりとガラス玉に光景が映し出される。どこかにぎやかな場所だ。店が所狭しと並び、ひと通りがとても多い。
景色は道行くひとを眺め、視線がうろうろとしている。……と、手元にあるスマートフォンが視界に大きく入り、時間を確認している。数日前の午後七時過ぎだ。
時間を確認するとまた歩いて通り過ぎていくひとが映し出される。それを眺めていた老人の目が一瞬見開かれた。ガラス玉の景色もそれに呼応するように、横へ流れ、遠くへと焦点が移っていく。
やがて坂本が、ここまでだ、と言ったところで映像が終わった。どうだ? と自信に満ちた坂本に対し、老人は苦いものを噛んだような顔をしている。
「とっておきだったろ?」
「……十万」
「おいおい、そりゃないぜ。せめて二十万だな」
「偶然見かけただけだろゥ。目的も行き先もわかってないンじゃァ、十万でも高いサ」
「ちっ」
「それで?」
「わーった、わーったよ。十万でいい。その代わり、いい石が入ったらサービスしてくれよな」
「あんたが求めるようなモンはなかなか入ってこないヨ」
「ちっ」
坂本が二度目の舌打ちをしたところで、老人は衝立を見てアオガネ、と呼んだ。ぬるりと影から滑り出すように、薄暗いふんいきの男が出てきた。
アオガネは用件も聞かずに動き出す。老人も特になにを言うでもなく、フェルト皿に置かれていたガラス玉をどける。すぐに皿の中央がパチパチと弾け、黒いごつごつした小さな塊ができあがった。それを布手袋をした手で取り上げると、老人がすぅっと目を細める。そしてうなずいた。
「どうぞ」
いつの間にか老人の斜め後ろに控えていた薄ぼんやりとしたアオガネが、使い古された皮トレイに一万円札を十枚乗せて差し出す。老人はそれを坂本の前で数えて見せてから目の前へ置いた。
「相変わらず暗いな、おまえさんも」
「……」
言われたアオガネは黙って一礼すると、すすすっと衝立の向こうへ下がっていく。坂本は財布に十万円をいれ、それを懐へしまいながらニヤついた表情を浮かべた。
「そんでもって相変わらずシャイすぎる。そんな恥ずかしがらなくったってさ~、そろそろ俺に慣れてくれよ。お話しようぜ」
「これ以上、話すこたァないヨ」
軽いノリで言う坂本に、アオガネは答えない。代わりに答えた老人が扉を指さした。坂本は三度目の舌打ちをすると、やれやれと立ち上がる。
「毎度あり」
「また来るぜ」
その言葉を聞いて、老人は露骨に顔をしかめる。しかし幸いなことに、扉を閉めた坂本には見えていなかった。
★★★
坂本が去ったあと、店内に残された老人……ではなく、狭間は口元に疲れた苦笑を浮かべていた。いつの間にか老人の姿から、年齢不詳の若めの男になっている。なんのことはない、来た客に応じて違って見えるだけだ。
本来の姿は一応、黒い髪が伸び気味のオレンジの目をした男である。その狭間は小さな黒い石を指先で転がした。
「あの子にも困ったモンだ」
「……坂本のことか?」
答えたのは、衝立から出てきたアオガネだ。手に盆を持っている。盆にはお茶のセットが乗っており、それを丸テーブルに置く。マグカップがふたつ、そして小皿には小さなまんじゅうが四つ。
マグカップに入っているのは、そば茶だ。狭間は小さく礼を言ってそれを手に取り、ずずずとすする。
「太福屋のまんじゅうか。いいねェ」
指でひとつつまみ、ポイと口の中へ放る。小さなものだったこともあり、ひと口でなくなってしまった。むぐむぐと咀嚼し、またそば茶をすする。それから息をついた。
「坂本のことじゃァない。さっき
「
「頼んだヨ」
わかった、と答えたアオガネは席につかず、まんじゅうをふたつ同時に口へ入れた。ついでまだ熱いそば茶を流し込む。
口を動かすことなく、喉がなにかを通った様子もなく、アオガネは空になったマグカップを置いた。それを眺めていた狭間が渋面を作る。
「もっと人間らしく食いな。もったいねェ」
「味は理解している。外側は柔らかく、しかしハリがあり、中は甘くてなめらかだ」
「そうかィ。しかし人間ってェのは噛んで飲み込む動作が必要だ。それに熱いモンは少しずつ飲まねェとな」
「……急いでいないときに善処する」
言うなり、アオガネの輪郭が解け、ずるずると小さくなっていく。まるで、それ以上の説教は聞きたくない、とでもいうように。そして灰色の小鳥になると、ひとつはばたいた。
がた、っと窓がひとりでに小さく開き、アオガネだった小鳥はそこへ飛び乗る。小鳥の首が回って狭間を見た。くちばしから飛び出るのは、かわいらしい鳴き声ではなくアオガネの太い声だ。
「いってくる」
「……気をつけて行きな」
狭間が言い終わるか言い終わらないかのタイミングで、小鳥は外へ飛び出ていってしまった。また、ガタンと窓が閉まる。
「やれやれ」
残された狭間はつぶやくと、もうひとつのまんじゅうをつまんだ。食べ終えてまた茶をすすると、今度は先ほどの石を手にする。
手袋をしていないほうの手が、つい……と石からなにかを引っ張り出すような動きをした。ような、ではなく、実際に黒い糸が石から出ている。まるで、蚕の繭から絹糸を取り出すかのように。細い糸がゆっくり引っ張り出されていく。
静かに、ゆっくりと。狭間の指先が糸を紡ぐ。そして時間をかけて取り出された糸は、するするとひとりでに糸巻きへとおさまっていく。
最後に残ったのは、真っ赤なごくごく小さな石だった。直径1ミリあるかないか、だろう。ふぅ、と狭間が息をつく。
そして疲れたのか、ぐんにゃりと背もたれにもたれかかると目を閉じた。
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